2019年8月19日月曜日

日本国憲法考 1

 74回目の終戦記念日を迎えた。この時季になると国のあり方についての議論が活発になる。
 憲法は国のあり方を決める重要な法律である。この機会に日本国憲法について深く考えてみたい。
 わが国の近隣には依然として決して友好的とはいえない国がある。国防を独立国とはいえないような待遇に甘んじながら同盟国アメリカに頼っている。
 憲法の制約下では国防を外国任せにすることはやむを得ないし現実的なのかもしれないが国防という国の根幹をいつまでも外国任せにしていいはずがない。
 歴史が示すように国と国との関係は移ろいやすく恒常的ではない、ましてわが国は文明論的にも孤立している。同盟関係は常にこのことを念頭におくべきであろう。
 先月の参議院議員選挙の争点の一つにもなった憲法についての見解は護憲と改憲に分かれた。
 一方は世界に冠たる平和憲法だからこれを死守すべしといい、もう一方は現憲法はGHQ(アメリカ占領軍)の押し付けで現状にもそぐわないし(特に第9条)改憲すべしという。
 双方に言い分があるだろうが問われるのは何が日本の国益になるかでありこれ以外に問題の所在はないはずである。
 だが日本国憲法を注意深く見ると問題の本質はこれ以前にあることが分かる。
 憲法が形骸化し機能していないことおよび憲法に確固たる機軸がないこと、この二点に問題の本質がある。これは国益以前の問題である。
 憲法が形骸化し機能しないとはどういうことか。最も重要な法律が機能しないことでありそれは国家枠組みの箍(たが)が外れていることを意味する。シェイクスピア劇のハムレット流にいえば「この世の関節がはずれてしまった」のだ。
 また日本国憲法に確固たる機軸がないとは何を意味するか。大日本帝国憲法にあって日本国憲法にないもの、その象徴的なものは国家の機軸である。
 大日本帝国憲法では「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあるが日本国憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基ずく」とある。
 日本国憲法では天皇の政治的権限はなく国家・国民統合の象徴に止まり主権は国民に移った。主権が国民に移ったが肝心の国家の機軸となるべきものの記載がどこにもない。本来はあるべき憲法前文にもない。
 敗戦直後の急性アノミーは国家の機軸喪失によるものであった。「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定された天皇が人となったのだ。 
 74年たったいまもわが国を覆う「自主性のなさ」や「自信のなさ」は確固たる国家の機軸を欠いているからでありほかに思い至らない。
 機能不全と機軸を欠いた憲法、この二つがもたらす弊害は想像を超えて大きい。順次考えてみよう。

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