2018年11月26日月曜日

アメリカのオデッセウス 3

 人は概して心の平穏が保たれ精神的に安定していれば大衆運動などに参加しない。
 精神的に不安定な状況とはどういうことか。エリック・ホッファーによれば、それは自分が自分であることに耐えられずその境遇から逃れようとする状況であるという。
 自分自身に自信が持てない人間は他に拠りどころを求めるほかない。
 かかる人は、お前は何者かと問われれば個人的属性ではなく自分が所属する組織名を挙げるであろう。
 そういう人にとって個人としての目的や価値は存在しない。所属する集団を離れては如何なる意味も見出せないからである。
 集団に所属すれば、集団としての目的、信条、価値があり、個人はそれらを共有することができる。
 知識人はこららの人びとをやすやすと組織の目的に誘導し、大衆を動かすことができる。

 「私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神授の権利を持っていると思っている人たちである。
 知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育あるエリートの一員だという感情こそが問題なのである」
 「知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。
 知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである」(以上『波止場日記』から)

 エリック・ホッファーはファシズムや共産主義などに狂信的な運動を見て、あらゆる大衆運動の本質は、宗教運動にその原型を求めることができると言う。
 欲求不満にさいなまれた人間は、その状態から脱出して、自己存在の不安から脱出しようとする。
 そして大衆運動を定義して曰く
 「運動は言論人によって開拓され、狂信者によって具体化され、活動家によって強化される」と。

 ところがアメリカは欧州や日本と異なりもともとが大衆の国であり知識人が行うことを大衆自身がやってしまう。大衆運動で知識人が機能する余地がない。前衛なき大衆がアメリカの本質である。

 「アメリカという国は、建国以来、いわゆる知識人に社会に関する権力を与えたこともないし、一般の国民が彼らの高説に耳を傾けてその態度や行動を決定したこともないと私は思っています」
(インタビュー「百姓哲学者の反知識人宣言」、エリック・ホッファー・ブック)

 エリック・ホッファーは仕事仲間の沖仲仕たちに本を読むことをすすめるなど優しい眼差しを向ける一方知識人に対しては誠に手厳しい。
 彼らは無視されるくらいならむしろ迫害されることを望む。有能で無為を余儀なくされている知識人はいつの時代にも危うい爆発物である。例えば仲間の多くがノーベル賞を受賞しひとり取り残されたオッペンハイマーは原子爆弾の開発、製造に自己の活路を見出し存在感を見せつけた。

 有能な人間は諸刃の剣である。ギリシャ神話の英雄オデッセウスは腕力ではなく頭を使って味方を勝利に導いた。
 エリック・ホッファーは、「言葉がすべてである」知識人の時代に、彼らが発する華々しい『山を動かす』スローガンに惑わされないよう警告した。
 労働と読書の放浪のすえエリック・ホッファーが得た結論の一つである。

 アメリカは今も昔も大衆の国である。だがその意味するところは変わった。
 かってチャーリー・チャップリンはヒットラーを風刺しアメリカで人気者になった。
 そして今ハリウッドの人気映画監督マイケル・ムーアは現役のトランプ米大統領をヒットラーになぞらえ茶化している。
 アメリカ人も第三帝国のドイツ人と同じように『山を動かす』スローガンに惑わされるようになったのだろうか。
 大衆がその役割を放棄し皮肉にも『型破りな』知識人がリードする時代に変わったのだろうか。そう考えるほかない現象である。
 知識人に惑わされてはいけない。エリック・ホッファーのこの警告は今やアメリカ人にとって他人事ではなくなった。

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