2018年11月19日月曜日

アメリカのオデッセウス 2

 人生に失敗した、生活設計に失敗した、あるいは自分のキャリアを台無しにされたと思う人間はどういう行動をとるか。
 エリック・ホッファーが古典をみる眼は独特である。

 「ツキュディデスは情熱的な将軍であった。作家になりたいなどとは思っていなかった。戦さで兵士を指揮したかったのである。
 しかし戦さに敗れたあと彼は追放され、他の将軍たちが戦争するのを眺めて切歯扼腕するほかなかった。
 そこで彼はかって書かれた中で最もみごとな歴史の一つ、『ペロポネソス戦争』を書いたのである。
 マキャベリは生まれながらの策士だった。彼の宿望は黒幕になったり、折衝したり、策謀したり、巨頭会談をしたり、使節に立ったりなどすることだった。
 だが彼は二流の外交官としての職を失い、生まれ故郷の村に戻らねばならなくなり、村の宿屋で噂話やトランプ遊びにふけって日々をすごしていた。
 晩になると家に帰り、泥まみれの服を脱ぎ、礼服をまとうと、坐して『君主論』と『リウィウス論』の著作にかかったのである。」
(エリック・ホッファー著柄谷行人訳ちくま学芸文庫『現代という時代の気質』)

 このほかギリシャ、中国、フランスなどの例を挙げ、自ら才能あると自負している有為な人材が無為を余儀なくされそのエネルギーを発散させて歴史に残る仕事をしたという。

 ホッファーは強者だけでなく弱者についても一風変わった見方をしている。

 「権力は腐敗すると、しばしばいわれてきた。しかし、弱さもまた腐敗することを知るのは、ひとしく重要であろう。 
 権力は少数者を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる。憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は、弱さの所産である。
 弱者のさかうらみは、かれらに加えられた不正から生まれるのではない。むしろ、かれら自身の無力感と無能力感から生まれる。
 弱者は、邪悪を憎むのではなく、弱さを憎む。弱者は、ひとたびやれる力をもてば、弱みのあるところはどこであれ、それを見つけ次第、破壊する。
 弱者が、弱者をえじきにするときの、あの酷薄さ。弱者の自己憎悪は、かれらの弱さへの憎悪を示す一例にすぎない。」
(エリック・ホッファー著永井陽之助訳平凡社『政治的人間-情熱的な精神状態』)

 エリック・ホッファーは、個人としての弱さ、脆さがひとたび大衆を形成すれば社会全体に影響すると警告した。必然的に彼の目は大衆運動に向けられた。
 敗戦から高度経済成長期にかけ活躍したわが国の推理作家の松本清張は個人に潜む暗部に焦点をあてベストセラー作家となったが、エリック・ホッファーは一歩をすすめ個人に巣食う欲求不満がいかにして大衆運動に結びついていくか、そのからくりを解き明かし米国民の反響を呼んだ。

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