2018年12月3日月曜日

会社は誰のものか

 カルロス・ゴーン前日産会長の会長解任劇は会社は誰のものかということを改めて考えさせる。
 資本主義においては言うまでもなく「会社は株主のもの」である。このことに一点の曇りもない。
 だがこれに反する見方をする人が少なからずいることも確かだ。
 会社は法律上は株主のものかもしれないが、実質は経営者と従業員のものである。公器という意味では社会のものでさえある。株主は概念上の所有者にすぎない。こう主張してはばからない。そしてこういう主張は多くの日本人に受け入れられやすい。
 それが証拠にかってフジテレビの経営権をめぐるライブドア事件でホリエモンが激しいバッシングを受けたことが挙げられる。
 資本の論理から理はホリエモンにあったが世論と当局にあえなく葬り去られた。

 日本人は金の力だけで会社を乗っ取ることに拒絶反応する。生理的に受け付けない。血が通っていないという。
 資本主義においては、株主は持ち株数に応じて会社の資産を所有する。これが資本主義の前提である。このことは17世紀のオランダ東インド会社以来変わっていない。
 資産を所有するとは自由に使用、収益、処分することができる権利である。
 株主は自分の資産を焼いて食おうと煮て食おうとかまわない。なぜなら資本主義における所有は絶対であるからである。
 これは道徳、社会通念、善悪、好悪の問題ではない。資本主義が成立するための基本的条件である。これなくして資本主義は成立し得ない。
 資本主義社は、株主が自社の利益を最大化するという原則に支えられている。この原則のためには、意欲的な従業員と満足した顧客を生み出し、コミュニティのよき隣人、責任ある社会の一員となることが求められる。

 資本主義に欠点があることは紛れもない事実である。
 目先の利益に汲々とする。従業員を酷使する一方報酬は従業員に少なく役員に過大に与える。利益のためには環境破壊も辞さない。一言でいえば「強欲」が資本主義の欠点である。
 だが資本主義にはこの欠点を社会にあげつらい反映させる余地がある。欠点を是正するよう影響力を及ぼすことができる。
 が、影響を及ぼすことと会社を所有することは別である。会社は株主のものであり、株主は利益の最大化のために取締役を選ぶ。取締役会は株主の意向を受けて経営者を選ぶ。

 日本では実質的にこの原則が守られていない、この意味において日本は資本主義ではない。
 日本で生起する会社にまつわる摩訶不思議なことー欧米人にはそう映るーはここに淵源がある。

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