戦後日本の急性アノミーの原因として、前稿では、わが国の受験戦争と自虐史観教育をあげた。このほか急性アノミーの原因として共同体の崩壊は深刻である。
順次、敷衍したい。
まず、受験戦争から。
教育の本来の目的は、人間らしい人間を作ることである。幕末、長州の吉田松陰は、松下村塾記に、「学ぶとは人たる所以を学ぶことなり」 と塾の基本方針に掲げている。
ところが戦後の教育を俯瞰するに、これら理念とは程遠い教育がなされ、ついには受験戦争と呼ばれるまでに至った。特に1979年(昭和54年)1月の共通一時試験導入からその傾向は顕著になった。
何故にこのようになったのか、淵源は明治初期の官僚育成のための学校創設に遡る。明治政府は官僚育成学校として、東京帝国大学法学部を創設した。
日本をいち早く西欧の近代国家に並ぶべく、官僚機構を最大限活用し、見事その目的を達成した。この官僚機構は、敗戦で一度挫折はしたものの、米軍の占領政策上の都合でたちまち蘇り、戦後の高度成長にも貢献した。
ところが発展途上であった日本にとって有効に働いたこの官僚機構であったが、成熟した日本にとっては徐々にその弊害が目立ち始めた。
試験を通じて選ばれた特権階級はその権力を恣にした。これを見た日本中の若者がそれを目指すようになった。
勿論、これは象徴的な出来事であるが、この現象は、官民問わずわが国のあらゆる分野に影響を及ぼした。
受験戦争の勃発である。
受験戦争は、受験生を無理やり相対評価によって振り分け、教材あるいは試験を全国一律にすればする程競争意識がいやがうえにも高まった。
成熟しつつあった日本で、試験を多様化すべき時に、導入された共通一次試験は受験戦争回避の歯車を完全に逆回転させた。
かくして受験戦争の犠牲になり相対評価で強制的に差別させられる若者の間から、徐々に連帯の意識は薄れ、同世代の仲間を敵とみるようになった。
因みに、一定のレベルに達すれば可とする、運転免許試験のような絶対評価試験では受験戦争は起こり得ないし、電気技士試験を受ける若者とボイラー技士試験を受ける若者とのあいだには何の競争も生まれない。
夫々が他と比較されることなく、独自に自分の目指す道に邁進するだけであり、及第しなければ、さらに自分を磨いて精進するだけである。
そこではけして他人を競争相手と見ることもない。
受験戦争回避のキーワードは、絶対評価と多様化。
成熟した日本社会には、受験戦争は若者間の連帯感を引き裂くという害こそあれいかなる利点も見出せない。
遡って、爾後の成果をみるかぎり、明治政府の官僚育成政策に異論を差し挟む余地はない。
問題とすべきは、この政策が時代を経るにしたがって制度疲労を起こしたにも拘わらず、一向に是正されなかったことである。
日本は、古来、中国や朝鮮半島からさまざまな多くのものを受け入れてきたが、例外的にどうしても受け入れなかったものがある。
宦官、纏足および科挙である。中国史家によれば、いまわしい食人の習慣もこれに加わる。
このうち科挙制度は、一時、奈良時代に入ったが定着しなかったという記録がある。
が、今日、官僚の日本社会における壟断ぶりをみると、奈良時代に一時的に入り、すぐに廃れたはずの科挙制度が復活したのではないかと思わせるものがある。
日本人は本来このような制度には馴染まない筈である。それが証拠に、科挙制度を受け入れる機会はいくらでもあったが、現在まで受け入れてこなかったという厳然たる歴史的事実がある。
現代の日本社会において、これ以上、官僚の壟断を許せば、それは紛れもなく中国の科挙制度時代と同じく官僚壟断社会の再現となる。中国の科挙制度がもたらす官僚の腐敗・腐蝕は言うを俟たない。
官僚の力の源泉は、相対評価試験によってもたらされた。この相対評価試験制度を改たむるに、官僚に任せるほどあてにならないことはない。
この改革は官僚機構と無縁のところからなされるだろう。
が、その時期はいつなのか、またそれを成し遂げるのは誰なのか、予測さえできない。
日本社会から、受験戦争を追放すること、そして若者の間の連帯感を呼び覚ますこと、いずれも喫緊の課題である。
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