戦後の自虐史観教育は急性アノミーを拡大再生産させた。
アノミーについてここで一度整理しておきたい。
フランスの社会学者E・デュルムケは生活水準の激変によって自殺率が増加することに気づきアノミー概念を発見した。
富籤で不相応の巨額の金を手にした人が、その後の人生が悲惨であったという記事をみかけることがある。
原因は、急に、不相応の金を手にしたことによって生活水準が変わり、それまで付き合っていた人との絆が崩れ、一方、新しく仲間に入ろうとした上流社会には、成り上がりものとして、仲間にいれてもらえず地域社会から孤立し、どこにも所属できない無連帯となったことによる。
このように自分の居場所をなくし心の平穏を保てなくなった状態を単純アノミーという。
アノミーにはこのほかに急性アノミーがある。信頼しきっていた人に裏切られたとか、自分の価値観を急激に根底から覆され、精神錯乱状態になって発生するアノミーである。
自虐史観教育は、敗戦後の倒錯した価値観によってもたらされた急性アノミーを拡大再生産する役割を担ってきた。
戦前、日本国民は政府・軍隊を信頼しきっていた。
日本は一度たりとも外国に侵略されたこともないし、戦争で負けたこともない。
皇紀二千六百年に亘り天皇を戴く神州不滅の国である。
その中心に位置するのが天皇陛下の軍隊 皇軍である。
この時期、陸軍士官学校とか海軍兵学校、進んでは陸軍大学、海軍大学など受験生の羨望の的であった。
日本の国立大学で試験があったのは東大法学部だけでその他は無試験、医学部でさえ並べば入れた。これは誇張でもなんでもない。その東大法学部でさえ陸士、海兵よりはるか下位と見られていた。
兵隊さんは国民の信頼を一身に受けていた。国民は、兵隊さんのため必要とあらば、宿泊、食事など無料で提供した。兵隊もこの信頼に応えるべく振る舞った。
ところが、敗戦を機に、これら価値観が根底から覆えった。
完膚なき敗戦、天皇の人間宣言、兵隊の戦地における残虐行為の報道など混乱を極めた。
価値観の混乱に、決定的に拍車をかけたのは、米軍GHQの自虐史観教育である。
教員のパージ、教科書の検閲はいうに及ばず、国旗、国歌までも規制された。
戦前 日本の朝日、讀賣、毎日の大衆有力3紙は、軍部の意向を先回りして自主検閲を行い主戦論を展開していた。
最有力朝日など満州事変勃発時を基準にして昭和20年の敗戦直前までに発行部数を2倍も増やした。
戦後、これら3紙は、一転してGHQの意向を先回りして、紙面の自主検閲を行い、GHQ政策を競って推進した。
戦後、この精神を汲んだ流れは、未だに変わることなく延々とつづいている。
軍部、GHQから、影の権威ともいうべき財務省へ。
時の最も有力な権威の意向を汲むという精神である。
中韓両国が、日本に対し正しい歴史認識をと喧しい。
最近、特に取り上げられる従軍慰安婦問題について、自虐史観教育との関連で検証してみたい。
従軍慰安婦問題とはいうものの、焦点はただ一点、強制連行があったか否かである。強制連行がなければ犯罪とはいえず問題にもならない。
1965年の日韓基本条約締結の時、慰安婦の強制連行など議題にもでなかった。
慰安婦問題がクローズアップされたのは、1983年、日本人の吉田清治による「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、昭和18年(1943年)に軍の命令で「挺身隊」として、済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという体験を発表。これを朝日新聞が取り上げ報道したことが発端である。
後日、吉田清治は「この本は全て嘘でした」と認めている。
それにも拘わらず、吉田清治の本とこれを取り上げた朝日新聞の報道は、一人歩きをはじめた。
さらにまずいことに日本政府は恰も日本軍の強制連行があったかのごとく謝罪してしまった。何をかいわんやである。
このことは政府にかぎらず教育現場においても同じ現象が起きた。
平成9年度(1997年)から、中学の歴史教科書には従軍慰安婦の強制連行が記載された。
マッカーサが占領政策を有利に進めるためにはじめた自虐史観教育は平成の世になっても一向に衰えることなく末端の教育現場を汚染し尽した。
強制連行はなかったという事実を突きつけられてさえも改められることはなかった。まさに日本中が自虐史観という空気に洗脳されたというほかない。
日本のかかる情況を韓国が利用しない筈がない。慰安婦の強制連行は動かぬ事実として国際社会に向かって喧伝し、アメリカの地方都市に慰安婦の銅像まで建てた。
知日家のイギリス人前エコノミスト編集長ビル・エモットは、歴史認識問題で、中韓にあまり反論しないほうがいい、反論しても国際社会は、この問題で日本の味方になる国はない、とまでいっている。
全く事実とは異なることが、国際社会では事実として定着してしまった。
マッカーサは占領政策のために、自虐史観教育を徹底した。
どの国でも実施している、愛国教育は悪であるという概念を植えつけた。
日本人は戦後、正しい教育の”関節”をはずされそのまま放置されたといっていい。
あろうことか、このままでいいという日本人が未だにいる。
恐るべし、自虐史観教育。
この世の関節がはずれてしまったのだ。
なんの因果か、
それを直す役目を押しつけられるとは!
シェークスピア「ハムレット」
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