2019年9月9日月曜日

日本国憲法考 4

 日本国憲法にははっきりとした機軸がない。機軸がなければ国としてまとまりに欠ける。
 まとまりがない社会には規範がない。規範がなくモラルを欠いた社会は目標を見失う。
 手っ取り早く信じられるのはカネということになるがカネは損得勘定であって社会の規範やモラルにはなり得ない。
 中国、北朝鮮あるいは韓国から歴史問題を突きつけられて右往左往するのは歴史問題について日本に確固たる基盤がないからである。

 イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは
「12~13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言ったという。
 この出典には疑問あるも云わんとする趣旨は理解できる。
たとえば人は尊敬する人や愛する人のことについて詳しく知りたいと思う。
 恋人であれば彼氏あるいは彼女の些細なことまで知りたいと思うだろう。
 一方、関心がない人についてはどうでもよいから詳しく知りたいなどと思わない。人はどうでもよいことに時間を費やすことなどしない。

 これと同じで自国の歴史を知らないで真に自国を愛することなどできない。
 戦後わが国は自国の歴史を詳しく学ぶことを禁じられた。
戦後わが国の歴史教育はGHQの指令の下にアメリカ教育使節団が作成した報告書がベースとなっている。
 その報告書の教育の目的および内容という項目で、先の戦争は日本の愛国教育が原因でありこれを悪と定義し、国史、修身を停止するよう提言している。
 戦後の歴史教育はこの報告書をもとに文部省と日教組を通じて行われ自虐史観が国民の間に広く深く浸透した。
 戦後の日本人は自国の正しい歴史を知る機会を閉ざされただけでなく愛国心を悪と教えられ日本のことなどどうでもよいと考える風潮が生まれた。
 機軸のない国家の必然の結果とはいえこのままで放置していいはずはない。

 人間は自分の意志さえしっかりしていれば社会と関係なく生きていけると思う。
 だが東西古今にわたりひろく社会科学を跋渉した小室直樹博士はそれは思い違いであるという。

 「人間はともすれば、自分の自由意志で動いているようについ思ってしまう。
 権威なんかなくても自分の頭だけで生きていけると思うわけですが、社会科学は『それは幻想にすぎない』ということを教えています。
 人間とは社会的存在であって、本当の意味での『個人』は存在しないのです。
 人間が生きていくためには、何らかのガイドラインがなければならない。
 そのガイドラインとなるのが、規範であり、モラルなのですが、そうしたものを作るのが他ならぬ権威なのです。
 もし、そうした権威がなくなってしまえば、その人は人間的に生きていくことが不可能になる。
 ある人は猛獣のようになるし、ある人は植物のように動かなくなる。
 それが急性アノミーであるというわけです。戦後の日本に起きたのは、まさしくこの急性アノミーでした。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)

 いま香港で起きている混乱は自由が奪われるという不安からきている。彼らにとって自由は規範でありモラルである。
 あの過激なデモは彼らが信条としてきた自由という「権威」を守る戦いである。

 明治時代伊藤博文は皇室を国家の機軸とした。これにより国民の力を結集して日本を近代化し目論見通り欧米に追い付くことができた。機軸の霊験あらたかその効果たるやかくのごとし。
 イギリス国教会の弾圧を受けたピューリタンの精神がアメリカの誕生とその後の運命を決定した。
 ナチスの苦い経験から新生ドイツはカント哲学の思想を憲法第一条に明記し機軸とした。
 わが国ではいま憲法改正が問題となっているが機軸についての議論が一向に聞こえてこない。問題意識がないことの証左である。
 GHQ主導の日本国憲法は機軸のない魂の抜け落ちた憲法である。これに入魂するのはいつの日か。
 残念ながらこの問題は国家存亡の危機が訪れるまで議論の俎上に上ることさえないかもしれない。
 だがその時になってからでは先の敗戦直後のように遅きに失する。この問題で議論が早すぎるということはない。
 江戸時代の本居宣長は、師である賀茂真淵のアドバイスで古事記の研究をはじめ35年もの歳月を費やしこれを解読した。
 その上で古事記は古代日本人の心情が現れた最上の書であると評価した。
 仮に日本国憲法の機軸を日本の起源に求めるとすればそれは古事記をおいてほかにない 

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