アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンは非同盟がアメリカの国益であるといった。
この政策は長く守られてきたが第一次世界大戦を境にアメリカは他国に干渉するようになった。
第二次世界大戦後アメリカは超大国となって世界の警察官的役割を担うようになった。
時を同じくして歴史の必然であるかのようにアメリカでグローバリズムが勢いを増しその傾向はクリントン大統領の時代に頂点に達した。
アメリカはグローバリズムの発信源でありトランプ大統領誕生で少し後退したとはいえいまなお世界の最前線である。 なぜそうなったか、グローバリズムの原因が分かればアメリカをよりよく知ることができるであろう。
アメリカは建国以来アングロープロテスタント文化が中心の国家でありWASP(White Anglo-Saxon Protestant) が国民の大半を占めていた。
ところが第一次世界大戦以降WASP以外の移民が増加した結果WASPの割合が減少しアメリカは多人種多文化国家となった。人種の数が多くなれば人種間のトラブルも避けられない。こと人種については根強い偏見がつきまとう。
アドルフ・ヒットラーはユダヤ人について「この世界にユダヤ人だけがいるのなら、かれらは泥や汚物に息がつまりながらも、憎しみに満ち満ちた闘争の中で相互にペテンにかけよう、根こそぎにしようと努めるに違いない」(わが闘争)といってユダヤ人を寄生虫呼ばわりした。
日本については「日本の文化はヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ」(わが闘争)とけなし仮にヨーロッパやアメリカのアーリア人がこの世からいなくなれば日本の科学技術は枯渇し昔の日本に戻るだろうといった。
アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは「日本人の頭蓋骨はわれわれのより約2000年発達が遅れている」といったいう、真偽のほどは定かでないが彼が日本人蔑視の人種差別者であったことは間違いないようだ。
ことほどさように人種的偏見は根強く人びとの奥底に潜んでいる。
ところが人種的にWASPの割合が減って名実ともに多人種国家となったアメリカではマイノリティに対する攻撃とか偏見はアメリカの信条である自由と平等に反し社会正義にも悖るとされた。公民権運動はその一環である。
20世紀初頭からインディアン、黒人、ヒスパニック、アジア、ユダヤ系などマイノリティの権利が守られ増大するにつれ相対的にWASPの権利が低下した。
注目すべきはこの混沌とした多人種の中で人口わずか約2%に過ぎないユダヤ人が急速にその存在感を増したことである。
第二次世界大戦の最中、ヨーロッパのホロコーストから逃れたユダヤ人をアメリカは温かく迎えた。アメリカはユダヤ人にとって安息の地であった。そのアメリカでユダヤ人は思う存分才能を開花させた。
政治、経済、メディア、司法など主要な要職をユダヤ人が占めるようになった。従来はこれらの殆どをWASPが独占していた。アメリカの人種的メジャーがWASPからユダヤ人に移った。
アメリカは覇権国である。したがってヒットラーの言を逆手にとれば「寄生虫のユダヤ人が世界を支配した」ことになる。
カーター大統領の特別補佐官であったポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーはアメリカにおけるユダヤ人の台頭を解説している。
「このように独特な文化的、政治的アイデンティティが役割を果たすようになったのは、かっては排他的だったWASPのエリート集団が崩壊し、またかっては同一化に努めていたアメリカで、多様性を受け入れていこうという動きが表面化した時期と一致する。
WASPの支配が衰えたのに代わって、社会的立場と政治的影響力を増大させたのがユダヤ系のコミュニティである。
その向上の歴史は驚くべきもので、ほとんど一世代のあいだに、かならずしもあからさまでないにしても広く偏見の対象にされていた彼らが、アメリカ社会で影響力の大きいさまざまな分野の要職を押さえるようになった。
それは、学界、マスメディア、娯楽産業であり、政治資金集めに関しても同様である。
ユダヤ人五、六百万はまた、平均的アメリカ人よりもはるかに高い学歴と高い収入を得ている。
より重要なのは、新しい多様性の時代にふさわしく、ユダヤ系の人々がユダヤ人としてのアイデンティティを目立たないようにすることがもはやなくなったことでありープレッシャー自体は五十年前同様、今でも多くの人が感じているがーまた、彼らはイスラエル繁栄のために当然の肩入れをすることを遠慮しなくなった。
アメリカの中東政策の形成にユダヤ系コミュニティが果たす役割は、過去数十年のあいだに、当初のおおむね消極的なもんから、徐々に積極的になり、ときには決定的な影響を与えるまでになった。」
(ズビグニュー・ブレジンスキー著堀内一郎訳朝日新聞社『孤独な帝国アメリカ』)
ユダヤ人がアメリカで台頭した原因は彼らが民族として優秀であったからかもしれない。
だがそれに劣らず重要なことは彼らがグローバリズムを最大限利用したことである。
このグローバリズムによって彼らは途方もない利益を得たのだ。ズビグニュー・ブレジンスキーはグローバリゼーションが経済理論から国家的信条へと変貌したという。
「分析であり、教義であるグローバリゼーションの概念をもっとも情熱的にもてはやしたのが、一流の国際企業や金融機関だったというのは示唆的である。
彼らはつい最近までは自分たちに、『多国籍』というレッテルを貼るのを好んでいた。
彼らにとってグローバリゼーションという流行語は大変な価値を象徴している。国家の時代である近代に本来備わっていた、世界的な経済活動に対する伝統的な規制を超越するものである。
グローバリゼーションの教義の熱狂的支持者には、それは経済的利益をもたらすだけでなく、必然的に政治的利益さえももたらすと熱弁をふるう者もいた。」(前掲書)
グローバリゼーションのメインプレイヤーは一流の国際企業や金融機関である。そしてその中心にユダヤ人がいる。これがアメリカの現実である。
グローバリゼーションの理論的支柱は歴史必然論である。国境の壁を取り払えば地球規模で最も効率よく成長できる、と。
ところが世界各地でグローバリゼーションに対する反対運動が起きている。本家本元のアメリカでは大統領が主導し世界中にその余波が及んでいる。
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