わが国のベーシックインカムに対する注目度は欧米に比べて遅れているがこの制度を推奨する研究者はいる。
井上智洋氏はその一人でベーシックインカムの優位性を説いている。
「BI(ベーシックインカム)を社会保障制度の一種として見た場合、それは『普遍主義的社会保障』として位置づけられます。生活保護が『選別主義的社会保障』であるのとは対照的です。
生活保護の諸々の問題点は、それが『選別主義的』であることから生じています。
それに対し、BIは『普遍主義的』であるがゆえに、生活保護の問題点を克服することができます。
BIの給付にあたっては、労働しているかどうか病気であるかどうかは問われません。
金持ちであるか貧乏であるかも関係ありません。
全国民があまねく受給するものだから取りこぼしが無く、誰も屈辱を味わうことがありません。
また、労働しても受給額は減額されないので労働意欲を損ねにくいと考えられます。
BIではまた、貧困の理由が問われることがありません。」(井上智洋著文春新書『人口知能と経済の未来』)
財源は国全体として捉えれば問題はない。コストに関しては生活保護は労働コストがかかるがBIはほとんどかからないという。
「まず、一人あたり月7万円の給付に必要な100兆円は実質的なコストではありません。
というのも、お金は使ってもなくならないからです。私の使ったお金は、他の誰かの所有物となります。
国が使ったお金も誰かの所有物になります。この世から消えてなくなるわけではありません。
この場合、全国民の納めた100兆円が全国民に戻ってくるだけのことです。
一国を一個人や一企業に置き換えて考えないように注意してください。
一個人が使ったお金はその個人から消えてなくなりますが、国全体から消えてなくなるわけではありません。
その点を踏まえないと、BIの持つ効率性を理解することができません。
生活保護のような再分配の場合、選別のための行政コストが掛かります。これは実質的なコストであり、前述したとり、貧困者とそうでない者を選り分けるコストは馬鹿になりません。
一国の経済にとって実質的なコストというのは、お金を使うことではなく労力を費やすことなのです。」(前掲書)
ベーシックインカムは現金を一律に給付するため行政裁量の余地がない。
自動振込みにすれば行政コストもかからない。
富裕層、貧困層を問わず一律に支給するため不公平との指摘もあるがこれは税率によって調整することができる。税率調整は所得が高くなるほど税率を高くする。
もっとも危惧されるのが財源の問題であるが、上のように国全体としては問題がなくかつわが国には事実上財政問題は存在しないのでこの制度施行に何ら支障はない筈である。(わが国に財政問題がないことはこの小論でも幾度か言及してきた)
にもかかわらずわが国ではベーシックインカムの議論が一向に盛りあがらない。
小池百合子都知事が立ち上げた『希望の党』はベーシックインカムを政策公約の一つに掲げたが注目されることもなかった。有権者はこの政策を奇抜で単なる人気取りと見立てまじめに受けとらなかったのだろう。
なぜこういうことになるのか。その答えの一つは現代日本が抱える重篤な病にある。
たとえば消費税増税である。デフレ下にもかかわらず、ここ20年間で3%→5%、5%→8%と2回増税された。
その都度当然のごとくGDPの6割を占める消費が伸びなやみ景気は冷え込みGDPは停滞した。未だにデフレから脱却できず格差も拡大した。
消費税増税のたびに景気が低迷しても与野党を問わず増税を支持するというこの不思議さ。
背後に財務省がいることは心ある識者が指摘するところである。
このような理不尽がまかり通っているのがわが国の消費税増税である。
このような国情ではベーシックインカムについていくら行政コストが省けるとか財政問題はないと叫んだところでこれの実現は ”百年河清をまつ” がごとしであろう。
根本原因は政策にあるのではなく社会的強者が政策を選択する権限を有し、その行使にあたって自分たちの都合を優先しているからである。
明治維新は当時の列強に飲み込まれる危機感が原動力となって歴史的偉業が成し遂げられた。
この時に匹敵する危機が訪れれば事態は変わるであろう。逆にこのような危機が訪れなければベーシックインカムについてまじめに議論されることもないであろう。
危機はいつ訪れるか? そのときは汎用AIが開発され失業者が大量に街にあふれる時であると予想する研究者は多い。
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