2018年7月16日月曜日

AI時代の格差問題 6

 わが国はバブル崩壊からデフレとなり20年もの長きにわたり未だそこから脱却できないでいる。
 デフレは経済的強者をさらに強くし弱者を一段と弱くする。当然の帰結としてわが国は格差社会になった。
 今からおよそ20年前、小渕内閣の諮問に対し経済戦略会議は【日本経済再生への戦略】と題して答申した。
 この答申の基本路線を歴代内閣も踏襲したためこれがその後の日本の針路を決定した。
 それゆえこの答申の内容を検証すれば自ずから格差縮小への道筋が見えてくるであろう。
 なお当時の諮問会議の中心メンバーの一人であった竹中平蔵氏はいまも内閣府の国家戦略特区民間議員として影響力を行使するなど現内閣も基本的に20年前の路線を踏襲している。
 同答申のなかで結果的に格差拡大を招くことになった象徴的な一節がある。

 「21世紀の日本経済が活力を取り戻すためには、過度に結果の平等を重視する日本型の社会システムを変革し、個々人が創意工夫やチャレンジ精神を最大限に発揮できるような【健全で創造的な競争社会】に再構築する必要がある。
 競争社会という言葉は、弱者切り捨てや厳しい生存競争をイメージしがちだが、むしろ結果としては社会全体をより豊かにする手段と解釈する必要がある。
 競争を恐れて互いに切磋琢磨することを忘れれば、社会全体が停滞し、弱者救済は不可能になる。
 社会全体が豊かさの恩恵に浴するためには、参入機会の平等が確保され、透明かつ適切なルールの下で個人や企業など民間の経済主体が新しいアイデアや独創的な商品・サービスの開発にしのぎを削る「創造性の競争」を促進する環境を作り上げることが重要である。
 これまでの日本社会にみられた【頑張っても、頑張らなくても、結果はそれほ ど変わらない】護送船団的な状況が続くならば、いわゆる【モラル・ハザード】(生活保 障があるために怠惰になったり、資源を浪費する行動)が社会全体に蔓延し、経済活力の停滞が続くことは避けられない。
 現在の日本経済の低迷の原因の一つはモラルハザードによるものと理解すべきである。 
 もしそうであるなら、日本人が本来持っている活力、意欲と革新能力を最大限に発揮 させるため、いまこそ過度な規制・保護をベースとした行き過ぎた平等社会に決別し、個々人の自己責任と自助努力をベースとし、民間の自由な発想と活動を喚起することこそが極めて重要である。
 しかし、懸命に努力したけれども不運にも競争に勝ち残れなかった人や事業に失敗し た人には、【敗者復活】の道が用意されなければならない。
 あるいは、ナショナル・ミニ マム(健康にして文化的な生活)をすべての人に保障することは、【健全で創造的な競争 社会】がうまく機能するための前提条件である。
 このようなセーフティ・ネットを充実 することなくして、競争原理のみを振りかざすことに対しては、決して多くの支持は得 られないであろう。
  経済戦略会議は、こうした観点から、アングロ・アメリカン・モデルでもヨーロピア ン・モデルでもない、日本独自の【第三の道】ともいうべき活力のある新しい日本社会 の構築を目指すべきであると考える。」
(平成11年2月26日経済戦略会議答申 日本経済再生への戦略第2章『健全で創造的な競争社会』の構築とセーフティ・ネットの整備)

 平等より、競争優先。競争によって社会全体が富めばトリクルダウン理論によって弱者も救済される。
 規制を撤廃し努力した人が報われる社会を実現する。
 自己責任を原則とするが不運にも競争から脱落した人には敗者復活とセ-フティ・ネットを用意する。
 このように競争力を強化し全体として繁栄を目指しながらも弱者を置き去りにしないという格調高い目標を掲げている。
 当時支配的であった新自由主義的発想である。掲げた目標は理想に近いが現実はこうならなかった。

・トリクルダウン理論は機能せず、弱者は放置された。
・規制緩和により参入障壁が撤廃されデフレが進行した。
・折からグローバル化の波をうけ従業員の賃金はが上がらず安いまま放置された。
・格差が拡大し階級化したため、努力した人が必ず報われる社会ではなくなった。
・生活保護を受けるに値する世帯全体のうち受給できている人は15%にすぎない。これでは健康で文化的な生活をうける権利が満たされているとはいい難くセーフティ・ネットは充実しなかった。

 バランスを欠き格差が拡大した社会は全体としても繁栄ぜず成長は頓挫した。およそこの答申が目指すところと逆の結果になった。

 なぜこういうことになったのか。様々な要因が考えられるが一つだけ確かなことがある。
 それは社会の弱い立場にある人びとの声が届かないで強者の論理が優先されたからである。現実の政策に社会的強者の意向は反映されたが社会的弱者のそれは反映されることが少なかった。
 格差縮小は社会的弱者をいかにして救済するかにかかっている。
 過去弱者救済はかけ声だけにおわった。社会的強者の論理がこれを押しつぶしてきたからである。
 これを避けるためには弱者を救済するための制度的な裏づけが必要である。それも行政による恣意的な裁量の余地のない制度的な裏づけである。
 これに関連しては消費税と生活保護を例にとれば分かりやすい。 
 日本の消費税は一律に課される。毎月の消費額が収入のごく一部にすぎない富裕層にとっては消費税率が10%になろうが20%になろうが痛痒を感じない。
 ところが毎月の消費額が収入の大部分を占める貧困層にとってはたとえ1%や2%の消費税率アップでも家計に大きな負担となる。
 ベーシックインカムは消費税と対極にあり上に挙げた理由が真逆になり格差を和らげるように働く。
 わが国の消費税に相当する欧州の付加価値税は高率だが贅沢品などが主で食料や日用品などは免除あるいは低率に抑えられているものが多い。
結果的に税全体に占める割合に大きな差はない。
 弱者に対しわが国の消費税は厳しく欧州の付加価値税はやさしく設計されている。
 生活保護については、これを適用するに当たって【資力調査】によって選別されるがこれには多額の行政コストがかかる。さらに選別にあたっては裁量の余地が生まれる。
 この結果不正受給者がいる一方で生活保護の受給額以下で放置されたままの人が現れる。
 ベーシックインカムは行政コストが殆んどかからず裁量の余地もない。無条件で現金を配るなど一見突飛に見えるがこのように救済弱者の要請に応える制度でもある。

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