宗教離れの傾向は若い世代より高齢世代により顕著に見られるのが日本の現状である。その原因はどこにあるのだろうか。
原因の一つとして考えられるのは近代化を急いだ日本の歴史的要因がある。
明治政府は、欧米諸国に追いつき追い越すためには国家国民が一体とならなければならない。そのためには欧米におけるキリスト教のような機軸となるものが必要であるあると考えた。
日本にはもともと八百万の神を崇める自然崇拝の神道があり、このほか外国から仏教、儒教、キリスト教が入つてきた。
ところが、これらの宗教が日本に入るや、仏教は戒律をとり払い、儒教は宗教から道徳となり、キリスト教は土着の宗教と習合するなど一段と多神教化が進んだ。
何れも国家の機軸とするには微弱であるとし、明治政府は、これらに換わるものとして皇室にその機軸を求めた。
明治21年6月の伊藤博文の憲法演説はその象徴的な出来事である。
「歐洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千餘年、獨り人民の此制度に習熟せるのみならず、また宗教なる者ありて之が機軸を爲し、深く人心に滲潤して人心之に歸一せり。
然るに我國に在ては宗教なる者其力微弱にして、一つも國家の機軸たるべきものなし。
佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも,今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖,宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。
我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ。是を以て此憲法草案に於ては専ら意を此点に用い,君権を尊重して成る可く之を束縛せざらんことを勉めたり。」
(『枢密院会議筆録』「憲法草案枢密院会議筆記 第一審会議第一読会における伊藤博文枢密院議長の演説」明治21年6月18日,京都での憲法演説)
幕末から維新にかけ神話教育と尊王の思想が普及し皇室を機軸とする素地はあった。
だがこの伊藤博文の憲法演説を機に急速に皇室、その中心の天皇を現人神とする教育が徹底された。
日本の長い歴史で実質上皇室以外の宗教を排除しようとする思想教育はこの明治21年を境に始まったといっていい。
そしてこの思想は時と共に過激さを増し太平洋戦争突入で頂点に達した。
大多数の国民は神国日本の不敗を信じ戦った。日本政府によるこの天皇を現人神とする思想教育は明治21年から昭和20年までの半世紀余継続したが敗戦を機にもろくも崩壊した。
その事実を思い知らしめるものに、神道指令と昭和天皇の人間宣言がある。
神道指令とは正式には、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並に弘布の廃止に関する件」(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府に対する覚書)であり、
その要旨は、神社の国家管理禁止、神宮、神社をその他の宗教と同列の宗教法人令による宗教法人扱いとする、神職は公の身分を失い、神社の財産は国家管理から宗教法人に移管するものであった。
ただここで重要なことは、国家神道という言葉には触れているものの皇室や天皇については一切触れていないことである。
その理由はGHQが日本国民の天皇に対する感情を考慮し占領政策上あえて触れなかったという見方が有力である。
このため国家神道は解体されたが、皇室神道は何ら影響を受けなかった。
神道指令の翌年の元旦に昭和天皇は自らの神格を否定した内容を含む詔書を出された。いわゆる天皇の人間宣言である。日本歴史上まれに見る神格化された現人神・天皇の思想教育の歴史に幕が下ろされた。
これにより、天皇を神と崇めた時代から象徴天皇へと変わるという思想信条上のアノミーを経験した高齢世代の宗教観に少なからず影響を与えたに違いない。その結果が先の調査結果に現れている。
人は年とともに宗教に関心を抱くようになる。死を身近に感じるからである。
老齢になるほど信心深くなるのではなく逆に不信心になるなど通常考えられないような調査結果になっているのはこのような歴史的要因によりものであろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿