核をめぐってアメリカに対する北朝鮮の挑発がエスカレートしている。GDPにしてアメリカのわずか0.1%にすぎない小国が大国を挑発し、大国の型破りな大統領が負けじと応酬する。この光景は異様である。
問題はアメリカが北朝鮮に核放棄を認めさせるか否かにある。
核については理不尽なことが多い。中国は1960年代から核実験を繰り返した。国際社会の非難に対し、中国は実験のたびごとに米、ソ(連邦)2大国の核兵器をなくし最終的には核兵器全廃を目指すと反論した。
フランスはド・ゴール大統領のもとガロア将軍の比例的抑止理論で核武装した。
この理論を端的に表現しているのが次の一文である。
「もし、1956年11月、ハンガリー政府がソ連に打ち込める三発のヒロシマ型原爆を保有していれば、この報復の核脅威の故に、モスクワはブタペストと交渉せざるを得ず、この二国間には新たな暫定合意が生まれたであろう」
この理論こそ北朝鮮をはじめとした中小国の核武装の理論的支柱になっているといわれている。
中国もフランスも核を保有するや1970年に米、露、英、仏、中以外核兵器を認めないという核兵器の不拡散に関する条約(NPT)に署名した。
電車に先に乗った乗客が後から乗ろうとする乗客を締め出すような理不尽な条約である。
北朝鮮は中国やフランスと異なり小国である。大国の論理が優先する国連決議によって孤立している。
北朝鮮が核を放棄しなければ米朝戦争は避けられない。そしてその時期は諸条件を考慮すれば今年4月の確率が高い。多くの専門家はこのように予想している。
ここで戦争について考えてみよう。
戦争は極めて人工的現象である。動物の世界には本能的な争いはあるがこれは戦争とは言えない。オルテガ・イ・ガセは戦争を定義して言う。
「戦争は本能的なものでなく、人間の考え出したもの、学問や統治とまったく同様、疑いもなく人間的制度である」
「戦争とはある種の利害衝突を解決すべく人間が考案した手段」であり、
「戦争の放棄は、世の中からこれら利害の衝突を取り除くわけではない」
戦争を放棄すれば利害の葛藤はそれまで以上にもつれ
「利害の葛藤がなんとしても解決を求めてくる」
したがって
「他の良き手段が見出されぬかぎり、戦争は平和主義者のみが住まうこの想像上の地球のうえに容赦なく甦ってくる」
このオルテガの戦争の定義にしたがえば北朝鮮が核放棄するかアメリカが核放棄の要求を断念するかしないかぎり戦争は避けられない。
妥協なくこのまま時間が経過すれば事態はますます悪化する。
独裁者の宥和策ほどあてにならないものはない。第二次世界大戦前のミュンヘン会談がそれを証明している。
しからばどうすればいいか。過去に北朝鮮との交渉当事者であったペリー米元国防長官の助言がある。
「我々がこうあってほしいと思うようにではなく、いまあるがままの北朝鮮に対処する必要がある」(2018.1.12現代ビジネス)
戦争するにしてもしないにしても北朝鮮が核兵器を保有している現実を肝に銘じてことにあたれということだろう。
北朝鮮が2003年に核兵器の不拡散に関する条約(NPT)を脱退してから今日まで北朝鮮に核放棄を迫る交渉が続けられてきた。
時の経過とともに事態は悪化している。いずれ「利害の葛藤がなんとしても解決を求めてくる」のであれば、これ以上の先延ばしは米朝だけでなく関連諸国にとってもより良い結果をもたらすとは思えない。
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