石橋克彦氏は東京大学理学部の助手になったばかりの頃SF作家小松左京の小説 「日本沈没」 を読みいたく影響を受けた。
このままでは日本は大変なことになる。世間はのんびりしすぎている。
県や国を啓発せねばならないという動機から石橋氏は1977年(昭和52年)2月地震予知連絡会会報に一本の表と図解付きのレポートを発表した。
同レポートの第1項で
「従来の『遠州灘地震』 との相違を明確にするためと、社会的影響(震災は駿河湾沿岸が最劇甚であろう)を強調するために、予想される大地震を 『駿河湾地震』 と呼んだ。
マグニチュードは、最悪の場合 8.3 程度になるだろう。」
と危機を煽った。”社会的影響を強調するため” とは研究者らしからぬ言葉である。
第2項では
「 『駿河湾地震』 は切迫している恐れがある。正確に言うと、長期的予測の結果として、前兆現象が(あるとすれば)いつ始まっても不思議ではない状態である恐れが強い。」
(以上いづれも石橋克彦氏発表地震予知連絡会会報 『東海地方に予想される大地震の再検討 ー 駿河湾地震の可能性ー 』 から )
これ以前にも複数の研究者から東海地震の危険性が叫ばれていたが、直接的にはこのレポートがキッカケとなり 「東海地震」 が一人歩きを始めた。
翌年の1978年1月に発生した伊豆大島近海地震がこれに火をつけ、「大規模地震対策特別措置法」 が国会に提出された。
法案の審議過程で気象庁の末広参事官(当時)が 「東海地震に限る大規模地震については予知できる」 の発言が決め手となり同法案は成立した。
これに伴い地元静岡県は国から法律に基づき特別な財政支援を受け、県をあげて地震対策に取り組んだ。
メディアも 「東海地震」 が差し迫っていると危機を煽った。かくて東海地震以外の大地震は日本人の眼中から消え去り、ひとり東海地震のみがクローズアップされた。
SF作家の小説を読んで影響を受けた一研究者のレポートが ”大規模地震=東海地震” という固定概念を植えつけたのに違いはないが、これを社会現象にまで高めたのは別の力によるところが大きい。
それは ”原子力村” ならぬ ”地震村” の力である。
地震村は、研究者、政治家、地元自治体、防災関連業界などから構成され、彼らにとって東海地震は振ることによって予算を生み出す貴重な ”打ち出の小槌” となった。
ところが来るはずの東海地震はいっこうに来ず(幸いなことに)、レポート発表から阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災そして今回の熊本地震が発生しいづれも壊滅的被害を受けた。
これらの大震災を経験しさすがに国民は地震予知についてやや懐疑的になった。
ところが地震予知にたずさわる学者・研究者や防災関係者は驚くことに平然としていた。
東日本大震災後、学者や当局の事情を朝日新聞の黒沢氏はこう解説している。
「政府が 『予知の可能性がある』 として、東海地方に特別な観測網を構築して、前兆となるであろう地殻の微妙な変化を24時間体制で監視している。
こうした特別な体制があるのは将来起きると想定される 『東海地震』 だけで、東日本大震災が起きた日本海溝にも、阪神大震災のような活断層で起きる地震にも、予知を目指したシステムはない。
つまり、東海地震以外の地震予知は、そもそも能力もなければ、やる意思もないのが実情である。
例えば、『予知できなかった』 という指摘は、地震学者や防災関係者の立場に立ってみると、試験を受けていない学生が、『入学試験に合格できなかった』 と言ったり、『遭難者を救助できなかった』 と、荒天で救助に向かえなかった山岳救助隊に言ったりしているようなものなのだ。
『合格できなかった』 『救助できなかった』 とは、誤りではないが、そもそも挑戦してもいないのだから、できるはずもないのである。」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)
来るはずの大地震が来ず、監視外の大地震が発生するに至って、国は地震予知について 「可能」から「一般的に困難」へと変更したが、学者を含めた当局と国民の間の認識は乖離したままだ。
東海地震対策は当該地域では徹底されたが、それ以外の大地震は想定されず対策もとられてこなかった。
当局は東海地震以外は能力もなければやる意思もなかったと言うが、東海地震を強調した罪はあまりにも大きい。
東海地震以外の地域は大震災に対してまともな対策をとらなかったのだから。
阪神・淡路大震災後、当時の地震予知推進本部長も兼務する科学技術庁長官の田中真紀子氏は興味ある発言をした。
「地震から1ヶ月もたたない1995年2月15日の衆議院科学技術委員会で所見を問われた田中は、
『大震災後に地震予知に対する認識が随分変わった。いろんな専門家の話を聞いても難しい。研究はいいかも知れませんが、口をあけて待っているのではなく、避難訓練や耐震構造物を優先する現実的な対応をするべきではないかと考えております』
と答えた。
この時期、田中は、地震研究者の間で、今も引き合いに出される言葉を放った。
『地震予知にカネを使うくらいだったら、元気のよいナマズを飼った方が良い』
彼女らしい物言いではあるが、核心を突いている発言だったかもしれない。」(前掲書)
想定外の災禍は繰り返された。新潟県中越、東日本、そして熊本。
「日本損害保険協会によると、2014年度の地震保険の世帯加入率は宮城県の50.8%に対し、熊本県は28.5%。
震災後、被災した宮城は大きく伸びたが、地震への備えの必要性は熊本まで届かず、意識の差は歴然だ。」(5月1日付河北新報)
東海地震の幻が熊本を呪縛しつづけてきたなによりの証である。
地中深くで起こる地震のメカニズムについては解明されていないことが多い。まして一般の国民はこの分野で全くの門外漢だ。
学者や研究者の言葉は思いのほか人びとに影響をあたえる。地震は国民の生命と財産に直結するからである。
繰り返して言おう。東海地震をクローズアップさせ結果的にその他地域を油断させた罪はあまりにも大きい。
(当ブログへご訪問いただきありがとうございます。次稿は都合により約1ヶ月後の6月中旬の予定です)
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