まずフリードマンの魅力として挙げられるのが、彼の学説は自由を求める精神が基盤となっていることである。
アメリカはイングランドから信仰の弾圧を逃れてきたピューリタンによって誕生した。
圧制・弾圧はアメリカ人にとって消し去ることのできない幼児体験となっている。彼の学説がアメリカ人の心の琴線に触れるであろうことは容易に頷ける。
つぎにフリードマンの主張が具体的に分かり易くかつ時代に適合していたことが挙げられる。
1970年代アメリカはベトナム戦争で疲弊し財政も悪化していた。
この時フリードマンはニクソン政権に徴兵制廃止と為替の自由化を進言した。彼はまた弱者にも配慮し、負の所得税を提起している。
折りしも冷戦下で社会主義よりも自由主義が優るという彼の主張は多くのアメリカ人に受け入れられたであろうこともまた容易に頷ける。
最後に挙げられるのが経済学者としてフリードマン独特の実証的な経済理論の方法であろう。
彼は、若い時、一時自分の進路について数学者になるか経済学者になるか迷ったと言っている。このためか社会科学である経済学とその他の科学の違いをはっきりと認識し、独自の実証的経済理論を展開した。
経済学の方法論についてフリードマンはつぎのようにのべている
「実証的な科学としての経済学は、条件の変化がもたらす結果を予測するのにも用いられるような、経済現象に関する、試論的に容認される、一般化の体系である。
この一般化の体系の拡大、それらの妥当性に対するわれわれの信頼の強化、ならびに、それらが産み出す予測の精度の改善における進歩は、あらゆる知識の探求を阻む人間能力の限界によって妨げられるだけでなく、社会科学一般、とりわけ経済学にとって --- けっして固有のものとはいわないまでも --- とくに重要な障害によっても妨げられるのである。
経済学の主題に慣れてしまうと、それに対する特殊な知識を侮るようになる。
その主題が日常生活や公共政策の主要な問題にとって、重要であるために、客観性が阻害されたり、科学的分析と規範的判断の混同が助長されたりする。
管理実験よりむしろ管理されない経験に頼らざるをえないため、試論的な仮説の容認を正当化するのに非常に効果的で、明確な証拠を産み出すことがむずかしい。
管理されない経験に頼るからといって、仮説はその仮説の含意もしくは予測と観察可能な現象との一致によってのみテストされることができるという方法論上の基本的原理が影響を受けるわけではない。
しかし、そのために仮説をテストするという仕事はいっそうむずかしくなり、それにかかわる方法論上の諸原理に関する混同が入り込む余地はいっそう大きくなる。
社会科学者は、その他の科学者たち以上に、かれらの方法論について気を配る必要がある。」
(ミルトン・フリードマン著佐藤隆三・長谷川啓之訳富士書房『実証的経済学の方法と展開』)
一言でいえば、社会科学である経済学の ”経済理論は、 『仮説』 をたてても、これを 『テスト』 して実証することは困難である。” ということであろう。
それならばどうしたらいいのか? フリードマンの処方箋はこうだ
「そのような理論は、その”仮定”を”現実”と直接に比べてテストするということはできない。
事実、それがなされうるような有意味な方法はない。完全な”現実主義”を達成することは明らかにできないから、したがって、ある理論が、”じゅうぶんに”現実的かどうかという問題は、当面の目的にとってじゅうぶんに良好な予測をその理論がもたらすかどうか、あるいは択一的な理論による予測以上にすぐれた予測をそれがもたらすかどうかを確かめて、はじめて解決されるのである。
けれども、理論は、それがもたらす予測の正確さと独立に、その理論の仮定が現実的であるかどうかによってテストできるのだという信念がはびこっており、しかもそれが経済理論を非現実的であると非難する、多年にわたる多くの批判の源泉ともなっている。
そのような批判は大体において見当ちがいであり、したがって、その批判に刺激されて試みられた経済理論の改良の企ては、ほとんど失敗してきた。
経済理論にたいするきわめて多くの批判が見当ちがいだからといって、現在の経済理論が厚い信頼を受けるに値するということにはならないのはいうまでもない。
それらの批判は的を外しているかもしれないが、批判に値する的はあるかもしれない。もちろん、取るにたらない意味でなら、的は明らかにある。
いかなる理論も試論的であることは避けがたく、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。
このようなありきたりの文句を超えて進むためには、”現在の経済理論”の内容をもっと明確に把握し、そして、その異なった部分を区別する必要がある。
経済理論のある部分は他の部分より明らかにいっそうの信頼に値するのである。
実証的な経済学の現状の包括的評価、実証的経済学の妥当性に関連する証拠の要約およびそれぞれの部分が受けるに値する相対的な信頼の評価を行なうことは、いやしくもそれが可能だとしても、明らかに一冊の専門書もしくは一連の専門書によって始めてなしうる仕事であり、方法論に関する一編の短い論文でなしうることではない。」(前掲書)
少しく敷衍してみよう。
仮説を完全に実証することなどできない以上、それを求めつづけても仕方がないしそんなことをしても無意味だ。
仮説が当面の目的にとって現実的であるかどうかが問われなければならない。
いいかえればその仮説の予測がその他の仮説の予測より優れているかどうかが問われるべきである。
いかなる経済理論も所詮は仮説の域を脱することはできないし、しかも知識の進歩とともに変化を受けやすい。 だがこの仮説の評価はそう簡単にはできない。一編の短い論文などでできない。腰をすえて専門的に研究して始めてできるような仕事だ。
フリードマンの説に従えば、われわれは経済学の仮説は、専門的に研究しなければ評価不可ということになる。
この突き放したような方法論はケインジアンはじめ当時の経済学者から批判されたといわれている。
だが当時経済学会で圧倒的権威であったケインズ経済理論に翳りがみえはじめた時期でもあり、フリードマンの説は新鮮な驚きをもって迎えられたという。
このような魅力によりフリードマンは学問的にも政策的にもまずアメリカでその後世界中に大きな影響を与えた。
その影響とは具体的にどんなものか。またわが国にどんな影響をあたえたか。
フリードマンが述べているように経済理論は試論的であり専門的な研究を経ずして評価できないかもしれない。だが、時を経れば試論が完全に実証されなくともその帰趨は次第に明らかになり、評価もまた可能となろう。
2015年12月28日月曜日
2015年12月21日月曜日
資本主義と自由について 4
2007年のサブプライムローン問題から連鎖的に発生した2008年のリーマンショックを含む金融危機は、またたくまに世界を駆け巡った。
資本移動の自由なくしてあり得ない事件である。
フリードマンは規制緩和、金融自由化および資本移動の自由化の促進を主張した。
彼の主張が直接的に2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。
だが彼の主張は市場主義あるいは市場原理主義の精神的バックボーンとなっている。
フリードマンは自著で ”投機は一般的に不安定化をもたら すものであると主張する人びとは,その主張が投機業者は損をするものだという 主張とほぼ等しいことをほとんど認識していない” と投機を擁護している。
投機活動には価格安定化作用があるとさえ言っている。
アメリカでは、市場万能主義が跳梁し、その影響は金融工学にもおよび、2人のノーベル経済学受賞者を巻き込んだロングターム・キャピタル・マネジメント事件を引き起こした。
2人のノーベル章受賞者とは、スタンフォード大学教授のマイロン・ショールズとハーバード大学教授のロバート・マートンであり、受賞理由が 『デリバティブの価格付け理論』 であった。
当時ノーベル経済学受賞者もかかわった投機事件として騒がれた。
今なおウォール街発信の金融デリバティブを駆使した市場経済はアメリカのみならず世界に蔓延している。
欧州では、ドイツ主導による緊縮財政が域内の諸国を拘束している。
フリードマンの影響はわが国にも及んだ。
橋本内閣は、イギリスのサッチャー政権による金融ビッグバンを見習ってか金融機関の大幅な規制緩和と組織改組を実施した。
小泉内閣は郵政民営化を実施し、 ”貯蓄から投資へ” の旗印のもと銀行と証券の垣根がとり払った。
安倍内閣は、民間議員をフル活用し構造改革と規制緩和に励んでいる。
まるでフリードマンの亡霊が世界を駆け巡り彼の教義が人々を呪縛しているかのような不思議な現象である。
かってマルクスは、”商品は貨幣に恋をする。だがその道のりは平坦ではない” と言った。
だは現下の世界情勢はこれを ”商品は貨幣に恋をし、その恋は必ず成就するであろう” と言い直す必要がある。
前者を、有効需要の原理になぞらえれば後者はセイの法則となる。
経済学の永遠のテーマ 『有効需要の原理』 と 『セイの法則』 は振り子のように時代によって変わった。
その時々に相応しい政策となったときもあれば必ずしもそうでないときもある。
現代は後者に該当するといえよう。世界の各地でかって経験したことがない長期のデフレ現象に苦しめられているにも拘らず需要喚起の政策が等閑に付されているのだから。
なぜかかる事態になったか。ひとりミルトン・フリードマンにせいにするのは無謀である。
だが彼の教義には人々をひきつけ離さないものがあるのも事実だ。
知日家のロナルド・ドーアが自著で 「米国のビジネス・スクールや経済学大学院で教育された日本の『洗脳世代』 」 と命名した人たちは少なからずフリードマンに代表されるシカゴ学派の影響をうけた人たちといわれる。
フリードマンはなぜこのように強い影響を与えることができたのだろうか。
資本移動の自由なくしてあり得ない事件である。
フリードマンは規制緩和、金融自由化および資本移動の自由化の促進を主張した。
彼の主張が直接的に2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。
だが彼の主張は市場主義あるいは市場原理主義の精神的バックボーンとなっている。
フリードマンは自著で ”投機は一般的に不安定化をもたら すものであると主張する人びとは,その主張が投機業者は損をするものだという 主張とほぼ等しいことをほとんど認識していない” と投機を擁護している。
投機活動には価格安定化作用があるとさえ言っている。
アメリカでは、市場万能主義が跳梁し、その影響は金融工学にもおよび、2人のノーベル経済学受賞者を巻き込んだロングターム・キャピタル・マネジメント事件を引き起こした。
2人のノーベル章受賞者とは、スタンフォード大学教授のマイロン・ショールズとハーバード大学教授のロバート・マートンであり、受賞理由が 『デリバティブの価格付け理論』 であった。
当時ノーベル経済学受賞者もかかわった投機事件として騒がれた。
今なおウォール街発信の金融デリバティブを駆使した市場経済はアメリカのみならず世界に蔓延している。
欧州では、ドイツ主導による緊縮財政が域内の諸国を拘束している。
フリードマンの影響はわが国にも及んだ。
橋本内閣は、イギリスのサッチャー政権による金融ビッグバンを見習ってか金融機関の大幅な規制緩和と組織改組を実施した。
小泉内閣は郵政民営化を実施し、 ”貯蓄から投資へ” の旗印のもと銀行と証券の垣根がとり払った。
安倍内閣は、民間議員をフル活用し構造改革と規制緩和に励んでいる。
まるでフリードマンの亡霊が世界を駆け巡り彼の教義が人々を呪縛しているかのような不思議な現象である。
かってマルクスは、”商品は貨幣に恋をする。だがその道のりは平坦ではない” と言った。
だは現下の世界情勢はこれを ”商品は貨幣に恋をし、その恋は必ず成就するであろう” と言い直す必要がある。
前者を、有効需要の原理になぞらえれば後者はセイの法則となる。
経済学の永遠のテーマ 『有効需要の原理』 と 『セイの法則』 は振り子のように時代によって変わった。
その時々に相応しい政策となったときもあれば必ずしもそうでないときもある。
現代は後者に該当するといえよう。世界の各地でかって経験したことがない長期のデフレ現象に苦しめられているにも拘らず需要喚起の政策が等閑に付されているのだから。
なぜかかる事態になったか。ひとりミルトン・フリードマンにせいにするのは無謀である。
だが彼の教義には人々をひきつけ離さないものがあるのも事実だ。
知日家のロナルド・ドーアが自著で 「米国のビジネス・スクールや経済学大学院で教育された日本の『洗脳世代』 」 と命名した人たちは少なからずフリードマンに代表されるシカゴ学派の影響をうけた人たちといわれる。
フリードマンはなぜこのように強い影響を与えることができたのだろうか。
2015年12月14日月曜日
資本主義と自由について 3
フリードマンは1950年代と1960年代を通じ経済理論の世界で巨星のように聳え立っていたケインズ理論の批判によって俄然注目を浴びた。
1929年の大恐慌の原因は、ケインズは資本主義の欠陥によるといったが、フリードマンは貨幣政策の失敗であるといった。
ケインジアンはインフレと失業がトレードオフの関係にあるフィリップス曲線を根拠に政府が財政と金融に積極的に介入すべきであると説いたが、フリードマンはフィリップス曲線を否定した。
またフリードマンはケインズの貨幣論を否定しマネーサプライと物価に着目し貨幣数量説をとなえ”インフレは貨幣的な現象だ”と主張した。
マネーサプライはルールによって実施されるべきで政府の裁量によるべきではない、とも。
この一連のケインズ批判によりフリードマンの名声は確固たるものになった。
フリードマンは、自由社会における政府の役割を制限すべきであると主張した。そして政府に委ねるべきではない仕事のほんの一部として14項目を挙げている。
彼には、自由を守り自由の範囲を広げることは、自由主義に則った制度であれば、国家の強制に比べてたとえ速度は遅くとも、確実に各自の目標を実現できるという固い信念がある。
彼の提言は、現状を鑑みてもアメリカに止まらずその他の資本主義諸国にも広がった。わが国に対しても例外ではない。
特筆すべき分野は、財政・金融関連であろう。マネタリストといわれる彼は、この分野で世界を席巻するほどの影響を及ぼしした。
サッチャー政権やニクソン・レーガン政権の政策に採用されたのだから。
主だったものは
1 貨幣量調整による所得政策 名目GDPにあわせて貨幣量を調整することによって景気を安定させる
2 変動為替相場制の提案 ドルと金の兌換を止め変動相場制にすることによって国際収支は均衡させる
3 負の所得税政策 一定の所得に達していない人には補助金を与え貧困を軽減する
上記提言の結果はどうか。与えた影響の割に成果は心もとない。
1 名目GDPにあわせて貨幣量を調整する方法はインフレ対策にはなったが必ずしも景気を安定させたとは言えない。
2 変動為替相場によって国際収支を均衡させるのが目的であったが、ニクソン政権によるドルと金との兌換禁止後、貿易赤字は解消されなかった。
3 負の所得税対策は辛うじて所期の目的を達成している。
このように採用された政策は必ずしも目的を達せず、影響も限られる。
フリードマンの影響が最も顕著になるのは、彼が名声の絶頂期で死去した後であろう。
彼の思想と直接的なかかわりはないが、少なくとも影響を受けたと思わせる施策に端を発した諸々の事件が文字通り世界を駆け巡った。
1929年の大恐慌の原因は、ケインズは資本主義の欠陥によるといったが、フリードマンは貨幣政策の失敗であるといった。
ケインジアンはインフレと失業がトレードオフの関係にあるフィリップス曲線を根拠に政府が財政と金融に積極的に介入すべきであると説いたが、フリードマンはフィリップス曲線を否定した。
またフリードマンはケインズの貨幣論を否定しマネーサプライと物価に着目し貨幣数量説をとなえ”インフレは貨幣的な現象だ”と主張した。
マネーサプライはルールによって実施されるべきで政府の裁量によるべきではない、とも。
この一連のケインズ批判によりフリードマンの名声は確固たるものになった。
フリードマンは、自由社会における政府の役割を制限すべきであると主張した。そして政府に委ねるべきではない仕事のほんの一部として14項目を挙げている。
① 農産物の買取保証価格制度政府の役割を抑えた小さな政府の提言である。
② 輸入関税または輸出制限
③ 産出規制
④ 家賃統制、全面的な物価・賃金統制
⑤ 法定の最低賃金や価格上限、法定金利
⑥ 細部にわたる産業規制、銀行に対する詳細な規則
⑦ 連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制
⑧ 現行の社会保障制度、とくに老齢・退職年金制度
⑨ 事業・職業免許制度
⑩ 公営住宅および住宅建設を奨励するための補助金制度
⑪ 平時の徴兵制
⑫ 国立公園
⑬ 営利目的での郵便事業の法的禁止
⑭ 公有公営の有料道路
(ミルトン・フリードマン著村井章子訳日経BP社『資本主義と自由』から)
彼には、自由を守り自由の範囲を広げることは、自由主義に則った制度であれば、国家の強制に比べてたとえ速度は遅くとも、確実に各自の目標を実現できるという固い信念がある。
彼の提言は、現状を鑑みてもアメリカに止まらずその他の資本主義諸国にも広がった。わが国に対しても例外ではない。
特筆すべき分野は、財政・金融関連であろう。マネタリストといわれる彼は、この分野で世界を席巻するほどの影響を及ぼしした。
サッチャー政権やニクソン・レーガン政権の政策に採用されたのだから。
主だったものは
1 貨幣量調整による所得政策 名目GDPにあわせて貨幣量を調整することによって景気を安定させる
2 変動為替相場制の提案 ドルと金の兌換を止め変動相場制にすることによって国際収支は均衡させる
3 負の所得税政策 一定の所得に達していない人には補助金を与え貧困を軽減する
上記提言の結果はどうか。与えた影響の割に成果は心もとない。
1 名目GDPにあわせて貨幣量を調整する方法はインフレ対策にはなったが必ずしも景気を安定させたとは言えない。
1982年の金融危機時アメリカはフリードマンの提言によらず、大幅な金融緩和という実践的な対処方法で切り抜けた。
2 変動為替相場によって国際収支を均衡させるのが目的であったが、ニクソン政権によるドルと金との兌換禁止後、貿易赤字は解消されなかった。
3 負の所得税対策は辛うじて所期の目的を達成している。
このように採用された政策は必ずしも目的を達せず、影響も限られる。
フリードマンの影響が最も顕著になるのは、彼が名声の絶頂期で死去した後であろう。
彼の思想と直接的なかかわりはないが、少なくとも影響を受けたと思わせる施策に端を発した諸々の事件が文字通り世界を駆け巡った。
2015年12月7日月曜日
資本主義と自由について 2
ミルトン・フリードマンが現れるまでの経済学の潮流を大雑把にスケッチしてみよう。
”経済はそれ自体の法則で発展する” ということは、経済の発展は国家とは本来関係ないということである。
これが社会契約説を唱えたジョン・ロックの経済思想である。
この思想を経済学として確立したのがアダム・スミスである。
古典派経済学とは、カール・マルクスの命名によるといわれているが、アダム・スミスはこの学派の中心人物の一人である。
古典派経済学の経済理論の本質は、”セイの法則” である。セイの法則とは”作ったものは全て売れる” という理論である。
ところが1929年アメリカの大恐慌は、作ったものはちっとも売れず、見えざる手によって導かれる筈の自由放任の古典派経済学のマーケットメカニズムはいっこうに作動しない。
そこでジョン・メイナード・ケインズは古典派経済学の理論とは逆のことを考えた。
作ったものが売れるのではなく、売れるものが作られる。供給が需要を作るのではなく、需要が供給を作のだ、と。
このケインズの有効需要の理論がアメリカの政策として現実に採用されるまでには紆余曲折があった。最終的には第二次世界大戦勃発によって途轍もない需要が生まれため大恐慌は収まった。ケインズの有効需要の理論が実証された。
かくて戦後の一時期、特に60年代はケインズ経済学の全盛時代であり、この時期にフリードマンは現れた。
フリードマンはケインズ経済学に反旗を翻した代表的な経済学者の一人である。
ケインズ経済学の本質である公共投資による有効需要政策の効果を否定したのだ。
サミュエルソンを筆頭にアメリカのケインジアンたちは、インフレと失業との関係について、
”失業を低下させるために財政出動などで景気を刺激するとインフレが昂進し、逆にインフレを低下させるために財政出動などを止めて緊縮財政にすれば失業が増える。”
これを 『フィリップス曲線』 で説明し、失業とインフレを同時に解決することはできず、いずれかにしなければならないと主張した。
ところが、1960年代後半からのアメリカはインフレは昂進するは失業は増えるはのダブルパンチを浴び、いわゆるスタグフレーション現象になった。
フリードマンはこのスタグフレーション現象を指摘し、そもそも『フィリップス曲線』 が失業率を財政出動などで下げようとしていることが前提となっているが、この考え自体が間違っていると主張した。
彼は自著 『インフレーションと失業』 で失業率がインフレ率に連動しない自然失業率なるものが存在し、これを財政出動などでさらに下げようとしても下がらずインフレだけが昂進すると言っている。
インフレ政策をとれば、労働者は従来の賃金に甘んずることく、インフレに見合った賃金を要求するだろう。
そうであれば実質賃金が下がらないため、あらたに雇用する余地が生ぜず失業率を低下させる効果もない。
さらにフリードマンは、ケインズ経済学の核心の一つでもある消費性向についても批判している。
国民の消費は、利子率やその他諸々の要因よりも所得の変化に左右される。しかも所得に対する消費性向は変わらない。
仮に所得500万の人の消費性向が30%と仮定し、この人の所得が1割増加したとしよう。この人は消費を15万(50万x30%)増やすだろう。逆に1割所得が減れば15万円消費を節約するだろう。
したがって民間が設備投資を控える不況期においては、景気をよくするためには政府が財政出動して国民の所得を増やし消費を刺激し景気をよくするほかない。これがケインズのいう消費性向である。
これに対しフリードマンは、国民の消費は必ずしも短期的な所得の変化に左右されないことを、実証的研究で発表した。
そして彼は、消費は、短期的な変動に左右されず、長期的な恒常所得に左右されるという仮説をたて、証明を試みた。
恒常所得の仮説とは、人々が将来所得が増える見込みがあれば消費を増やすが、逆に将来所得が増える見込みがなければ消費を控えることをいう。
折りしもフリードマンが、恒常所得仮説を発表したころアメリカはスタグフレーションに苦しみ、ケインズ経済学の理論に疑問符が付され、フリードマンの仮説が注目された。
1970年代から1980年代はじめにかけてフリードマンの仮説は脚光をあびた。フリードマンの光の部分である。
だが1980年代が進むにつれてそれが色あせてきた。フリードマンに影がさしてきた。
”経済はそれ自体の法則で発展する” ということは、経済の発展は国家とは本来関係ないということである。
これが社会契約説を唱えたジョン・ロックの経済思想である。
この思想を経済学として確立したのがアダム・スミスである。
古典派経済学とは、カール・マルクスの命名によるといわれているが、アダム・スミスはこの学派の中心人物の一人である。
古典派経済学の経済理論の本質は、”セイの法則” である。セイの法則とは”作ったものは全て売れる” という理論である。
ところが1929年アメリカの大恐慌は、作ったものはちっとも売れず、見えざる手によって導かれる筈の自由放任の古典派経済学のマーケットメカニズムはいっこうに作動しない。
そこでジョン・メイナード・ケインズは古典派経済学の理論とは逆のことを考えた。
作ったものが売れるのではなく、売れるものが作られる。供給が需要を作るのではなく、需要が供給を作のだ、と。
このケインズの有効需要の理論がアメリカの政策として現実に採用されるまでには紆余曲折があった。最終的には第二次世界大戦勃発によって途轍もない需要が生まれため大恐慌は収まった。ケインズの有効需要の理論が実証された。
かくて戦後の一時期、特に60年代はケインズ経済学の全盛時代であり、この時期にフリードマンは現れた。
フリードマンはケインズ経済学に反旗を翻した代表的な経済学者の一人である。
ケインズ経済学の本質である公共投資による有効需要政策の効果を否定したのだ。
サミュエルソンを筆頭にアメリカのケインジアンたちは、インフレと失業との関係について、
”失業を低下させるために財政出動などで景気を刺激するとインフレが昂進し、逆にインフレを低下させるために財政出動などを止めて緊縮財政にすれば失業が増える。”
これを 『フィリップス曲線』 で説明し、失業とインフレを同時に解決することはできず、いずれかにしなければならないと主張した。
ところが、1960年代後半からのアメリカはインフレは昂進するは失業は増えるはのダブルパンチを浴び、いわゆるスタグフレーション現象になった。
フリードマンはこのスタグフレーション現象を指摘し、そもそも『フィリップス曲線』 が失業率を財政出動などで下げようとしていることが前提となっているが、この考え自体が間違っていると主張した。
彼は自著 『インフレーションと失業』 で失業率がインフレ率に連動しない自然失業率なるものが存在し、これを財政出動などでさらに下げようとしても下がらずインフレだけが昂進すると言っている。
インフレ政策をとれば、労働者は従来の賃金に甘んずることく、インフレに見合った賃金を要求するだろう。
そうであれば実質賃金が下がらないため、あらたに雇用する余地が生ぜず失業率を低下させる効果もない。
さらにフリードマンは、ケインズ経済学の核心の一つでもある消費性向についても批判している。
国民の消費は、利子率やその他諸々の要因よりも所得の変化に左右される。しかも所得に対する消費性向は変わらない。
仮に所得500万の人の消費性向が30%と仮定し、この人の所得が1割増加したとしよう。この人は消費を15万(50万x30%)増やすだろう。逆に1割所得が減れば15万円消費を節約するだろう。
したがって民間が設備投資を控える不況期においては、景気をよくするためには政府が財政出動して国民の所得を増やし消費を刺激し景気をよくするほかない。これがケインズのいう消費性向である。
これに対しフリードマンは、国民の消費は必ずしも短期的な所得の変化に左右されないことを、実証的研究で発表した。
そして彼は、消費は、短期的な変動に左右されず、長期的な恒常所得に左右されるという仮説をたて、証明を試みた。
恒常所得の仮説とは、人々が将来所得が増える見込みがあれば消費を増やすが、逆に将来所得が増える見込みがなければ消費を控えることをいう。
折りしもフリードマンが、恒常所得仮説を発表したころアメリカはスタグフレーションに苦しみ、ケインズ経済学の理論に疑問符が付され、フリードマンの仮説が注目された。
1970年代から1980年代はじめにかけてフリードマンの仮説は脚光をあびた。フリードマンの光の部分である。
だが1980年代が進むにつれてそれが色あせてきた。フリードマンに影がさしてきた。