2015年9月14日月曜日

日本人と責任 3

 約四半世紀前、昭和天皇が重篤の病気になられた時、国民はこぞって自粛し一切の慶賀やイベントを中止した。
 そこには天皇の病気を心配するという本来の目的から逸脱し、ひたすら自粛するという外面的な問題だけが一人歩きした。
 このため関連する仕事に従事する人は、商売上がったりとなった。
 国民一丸となっての自粛ムードに突入したのは誰かが命令したのではなく日本に特有の”空気”がなせる仕業であった。
 この現象は論理的に説明できないしその責任の所在もわからない。
 上記の事例とはいささか異なるが、”空気”の圧力が特定の個人や集団に向かったならばそれは暴力的な力で彼らを打ちのめしてしまう。竜巻があたり一面を巻き上げるように。
 その責任には限度がなく、無限責任となって彼らを苦しめる。

 たとえば、2004年鳥インフルエンザ事件が発生し全国へ被害が拡大危惧される中、京都府の農場主がインフルエンザが疑われるにも拘らず府に報告せず鳥を出荷した。
 この事実が匿名電話で判明し、メディアによってこれが拡散され、隠蔽を指示したとされる農場主の両親は、自殺し、農場は廃業となった。
 この類のもっとも凄惨な事例の一つは”虎ノ門事件”であろう。

 「12月27日午前10時15分、摂政殿下議会開院式へ行啓のため、虎の門外御通過中、一兇徒(日本人)、仕込杖銃を発射せしも、殿下には全く御安泰にあらせられ、そのまま議院に臨ませられ、滞りなく午後零時10分、御無事赤坂離宮に還啓あらせられる。供奉員一同また無事なり。凶漢は射撃と同時に、直ちに現場で捕縄されたり(大正12年12月27日付・東京日日新聞号外)」
(岩田礼著三一書房『女たちの虎ノ門事件 煉獄』)

 摂政殿下とは、皇太子時代の昭和天皇である。この事件以降、犯人である難波大助の家族はもとより彼にかかわった人々に時と処を問わず容赦なく災禍が降りかかってくる。
 家族への災禍のある日を作家の岩田礼氏は次のように描写している。

 「突然、天井の上の藁屋根に、雹のようなものが突き刺さった。バサバサッ・・・ ドサドサッ・・・
 同時に遠い畦の中から、破声が上がった。
  ”大助のオヤジは自決しろ!”
  ”難波一族の者は、この立野から出て行け!”
 さきほどの罵声につづいて、村人たちが怒りの礫を投げつけているのだった。
 一睡もできぬまま、夜が白々と明けた。
 裏の井戸で釣瓶を操る音がした。納戸の戸を開けると、この冷えの中で、父が水垢離をとっていた。斎戒沐浴をすませた父は、きのうにつづいて祭壇に額ずいた。
 天皇御一家と、曽祖父覃庵をはじめとする先祖の霊に、呪文のような言葉を唱えていた。
 その『行』が終わると、父は小作の人に頭を下げて、家の補修を頼んだ。
 なにをするのかと思ったら、七間もある屋敷の雨戸を全部閉め切り、その上を針金でガンジガラメに縛り上げた。
 開いているのは、台所に通じる表と裏の勝手口だけだった。
 安喜子(難波大助の妹)は自分の身体まで縛られた気がして、胸うちで怨言を言った。
  ”いくらなんでも、こんなにまでしなくてもいいのに・・・” 
 その金縛りの家の中で、安喜子は母のオクドさんに向かった。またも母に訴えた。
とうとう、こんな牢屋のような家になってしまいました - 」
(前掲書)

 丸山真男は、ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品をも兼ねるものに、『國體』という名でよばれた非宗教的宗教の魔術的な力が『大正デモクラシー』の波が最高潮に達した時代においても、おそるべき呪縛力を露わした事件として、この虎ノ門事件を挙げている。
 そこでは臣民は無限責任を果される。

 「かって東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著『日本=ヨーロッパ』のなかで在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。
 一つは大正12年末に起こった難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)である。
 彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ『その後に来るもの』であった。
 内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当たった警官にいたる一連の『責任者』(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官となっただけではない。
 犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して『喪』に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担任した訓導も、こうした不逞の徒をかって教育した責を負って職を辞したのである。
 このような茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。
 もう一つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)、『御真影』を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。
 『進歩的なサークルからはこのように危険な御真影は学校から遠ざけた方がよいという提議が起こった。
 校長を焼死させるよりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった』とレーデラーは誌している。
(丸山真男著岩波新書『日本の思想』)

 丸山真男はこのような無限責任のきびしい倫理は、巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包していると述べている。
 権限と責任は近代社会のルールであるが、日本社会にこの原則が真に根付いたかは疑わしい。
 いったん責任を負わされたときの被害はあまりにも大きいので誰もが責任を負いたがらない。
 かくてどこにも責任をとろうとする人間がいない無責任社会が出現する。日本の戦争責任問題は最終的にはここに帰着する。
 ドイツなど他国の戦争責任問題と比較を絶する。

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