8月25日北京の新華社通信は、昭和天皇の戦争責任についての記事を掲載した。
曰く、
”昭和天皇は侵略した国と人民に対して謝罪の意思を表さなかった。故に昭和天皇の後継者は 『ブラント元西ドイツ首相が跪くことでドイツ民族が立ち上がった』 ことを厳粛に受け止め、誠意をもって謝罪し懺悔すべきである。それによってはじめて過去が氷解し信頼と調和が得られる” と。
これに対しわが国の政府は著しく礼を欠いていると抗議した。
この件で戦争責任と歴史認識についての中国とわが国の認識の違いが如何に根深いかが分かる。
日本人が考える戦争責任と中国が考えるそれとは著しく異なる。
中国が考える日本の戦争責任は、何よりもまず日本の軍国主義であり、これは天皇を中心とした政府、軍隊、財閥などの主要な勢力によって主導されたものである。
中国政府の公式見解ではないが、少なくとも新華社通信はこのように断じている。新華社通信は政府系通信社である。中国政府の意向無しとしない。
それでは日本の戦争責任とは何か?
責任主体の不在。これこそ日本の戦争責任の実態である。全てにあるが、だれか特定の個人や機関に特定できない。
それを裏付ける有力な証拠がある。
戦後旧海軍の将校が集まり130回以上にわたり開催された戦争反省会の記録である。
一様に口をそろえて言うことは 『なんとなく戦争に突入するというその場の空気に逆らえなかった』 である。
今も昔も日本人は空気に左右される。空気は日本人にとって宗教の戒律、あるいはそれ以上のものである。これに逆らうものは断罪される。
また同上の反省会であきらかにされたように、度重なる御前会議で昭和天皇が戦争を支持されたという記録はどこにもない。
事実は、輔弼である内閣と統帥部は一致して対米英開戦を上奏した。
立憲上、昭和天皇はこれを却下できない。もしこれを昭和天皇が却下されたとすればどうなったか。
内閣は総辞職し、対米英開戦は避けられたであろう。
だが、そうなればこの時点で立憲政治は死をむかえたであろう。
立憲政治を守るために昭和天皇は輔弼が一致して上奏した対米英開戦を承認せざるを得ない。
従って昭和天皇に戦争責任があるという人は立憲政治を守らなくてもよいと主張するに等しい。立憲の常道なくしてデモクラシーはありえない。
昭和天皇には戦争責任がある、だがデモクラシーは絶対守らなければならないという人は自らの矛盾に気づいていない。
新華社の記事がいかに的外れであるかがわかる。
このように外国からなかなか窺い知れないのが日本の戦争責任問題である。
戦争責任に限らず日本人はどのような場合に責任を負うのか。日本人と責任について改めて原点に立ち返り考えてみたい。
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