2015年3月23日月曜日

ベトナムの英雄

 先々週ベトナムを旅行しました。今回で3度目のベトナム旅行となります。
 絶好の春日和を想像していましたが、連日予想外の霧雨で肌寒い想いをしました
 相変わらず街を走るバイクの多さに圧倒されますが、訪れるたびに少しずつではあるが自動車の割合が多くなっているように思います。
 今回はベトナムの英雄といわれる人達の印象が強く残る旅でした。

 日本で最も有名なベトナム人といえばホー・チ・ミンでしょう。ホーチミン廟には故人の遺志に反し遺体が安置されています。
 遺体の直近の四方を常時衛兵が守っています。ベトナムの人々が如何にホー・チ・ミンを敬愛しているかが分かります。
 共産党指導者は権力掌握後スターリン、毛沢東、ポルポトなどのように反対派を粛清する例が多いですが彼はそんなものには無縁でした。
 彼はまた汚職とか腐敗にも無縁で高潔であったといわれています。
 彼が晩年ハノイで過ごした邸宅を見ましたが二階建ての簡素なものです。

 古都ホアルーはハノイから南へ約100kバスで2時間強のところです。
 この地は古都というには規模が小さいがベトナムの歴史には重要な位置を占めています。
 ベトナムの歴史を一言でいえば支配に抗する歴史と言ってもいいでしょう。
中国、モンゴル、フランス、アメリカと支配者は変わったが常に大国に抗する歴史でありました。
 なかでも特筆すべき出来事は10世紀半ばの中国支配からの脱却でしょう。
 中国による支配は10世紀半ばまで千年の永きにわたり続きました。
 10世紀半ば英雄ゴ・クェンは千年続いた中国支配をついに打破しベトナム最初の独立王朝を築きました。
 ゴ・クエンの死後ベトナムは群雄割拠の時代を経て12人の族長のうちの一人の部下であったディン・ポ・リンが頭角を現し不安定な国内を統一しました。彼は独立を確かなものとし首都をホアルーに定めました。
 ベトナムの王朝はいつの時代も内紛が絶えずディン・ポ・リン王朝も例外ではありません。
 皇帝ディン・ポ・リンは長子リエンを差し置いて弟のハンランを後継者にし、末弟のディントゥエを衛王にします。
 長子リエンはこれに不満をもち弟のハンランを殺害してしまいます。

 ここからガイドさんの説明になりますが、廷臣で侍衛のド・ティエックは、ある日自分がベトナムの皇帝になるという ”星のお告げ” を受け早速これを実行に移します。
 皇帝ディン・ポ・リンと長子リエンが泥酔している時をみはからって二人とも殺害してしまいます。

 このガイドさんの説明を聞いてシェークスピアのマクベスを連想しました。ただ暗殺者ド・ティエックは早くも三日後に殺されてしまいます。

 ベトナムの王朝にはドラマになる素材が豊富なようで、いつの日かこれを採り上げる作家が現れ名作が生まれるかもしれません。

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