2015年1月26日月曜日

海峡の国マレーシア

 マレーシアのマラッカとボルネオ島コタ・キナバルに旅行した。
海上交通の要衝マラッカ海峡をのぞむマレーシアは16世紀初頭ポルトガルによる占領にはじまり宗主国が時代を隔てオランダ、イギリスと交替し長らく植民地として虐げられてきた。
 ところが1941年第二次世界大戦初頭 日本軍による北部のコタ・バル上陸を機にマレーシアの運命は一変する。
 戦後イギリスは宗主国として一旦復帰するも流れは止まらずマレーシアは1957年ついに念願の独立を勝ち取った。
 独立後の発展は目覚しい。なかんずくマハティールは1981年首相に就任するや直ちに西洋に見習うのではなく短期間に経済成長を成し遂げた日本を見習うべきだとして”ルックイースト政策”を推進しマレーシア発展の原動力となった。
 そして今やマレーシアは、2020年までに先進国の仲間入りを目指すまでに成長した。

 ”ルックイースト政策”のせいかマレーシアは親日的である。
日本軍はマレー戦線で戦禍を及ぼしたにも拘らずそのことで恨みつらみを言うマレーシア人の話は聞いたことがない。
 マレーシア国定の中学校歴史教科書は、日本軍のコタ・バル上陸から書き起こされているという。
 日本軍上陸が独立のきっかけを作ったと受け取れる教科書書き起こしである。
 中韓の歴史認識に悩まされ、自虐史観にとらわれる日本にとってマレーシアの親日は一服の清涼剤である。

 イスラム教国マレーシアのモスクを見学した。礼拝所で祈るイスラム教徒を身近に見る機会に恵まれた。
 女性と子供の様子は印象的である。女性は礼拝所の廊下の覆いに隠された場所で礼拝する。イスラム教ならではの儀礼である。
 子供の礼拝は万国共通、仲間とふざけ合いながら礼拝している。敬虔なイスラム教徒も子供の時はみなこうであったのだろう。
 マレーシア旅行中に邦人2人がシリアで拘束され人質になったという衝撃的なニュースが流れた。
 敬虔なイスラム教徒にとってこれら凶悪なテロリストは無縁であろう。が、これらテロリストもまたイスラム教徒を名乗る。
 イスラム教は理解し難いと改めて思い知らされる。
 

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