明治政府は欧米列強の圧力に対抗するため近代国家づくりを急いだ。
近代国家のためには近代官僚制度を創設する必要があった。まず土地と人民を管理するため内務省と警察を創設した。近代官僚制のスタートである。
草創期の官僚は井上毅、川路利良などに代表されるように高い能力と高邁な志をもった官僚が国家の基礎つくりに貢献した。
彼らはひたすら国家国民のために努力した。ために国民は官僚に対し厚い信頼を寄せた。
ところが近代的官僚制になって1世紀強、早くも制度疲労を来たし官僚のエトスががらりと変わった。国家国民のためというより自ら所属する省益・私益優先する集団に成り果てた。
官僚に対する日本人の信頼が揺らいでいる。省益とあらば民主主義の大権である立法権をも簒奪しほしいままにしている。
かかる官僚のエトスの変化を国民も薄々感じるようになった。
何か変だ。いつまでたっても景気はよくならない。いつまでたってもデフレから脱却できない。政策が間違っているかもしれない、と。
簒奪された立法権を官僚から奪還するにはいかなる手段があるか。官僚の自浄作用を待つのは求むべくもない。
政治家の意識が変わらねばならない。政治家の意識が変わるためには国民の意識が変わらなければならない。政治家のレベルとは国民のレベルに他ならない。
ここでいう意識とは何か。官僚に対する意識であり、民主主義に対する意識である。
選挙を経ない官僚が実質的に立法・政策を決定している現状は民主主義とはいえない。選挙のとき国民が投票した一票が何ら反映されないからである。
省益・私益に走る官僚から国益を守るにはまず官僚のエトスを知らなければならない。
古今東西の官僚制を徹底的に研究したマックス・ウエーバーは公私混同する家産官僚のエトスについて明らかにした。
英国の歴史・政治学者パーキンソンは家産官僚、依法官僚を問わず、官僚は放っておけば自分の権力を肥大化させると指摘した。
一旦腐敗した権力は朽ちるまで止まることを知らない。
公の仕事をするゆえ、官僚は本来、善であると考えるのは空想にすぎない。
官僚の害は必ずおこるものという前提で対策を考えなければならない。
そのためには、このような官僚本来のエトスを正しく認識する必要がある。
すべての官僚対策の一丁目一番地はここから始まる。
具体策の一つとして官僚組織の監視がある。
長年いわれながら殆んど日の目を見ない命題である。言うは易し行うは難し。
ここで参考になるのが官僚腐敗対策の大先輩・中国である。
「中国の王朝は巨大な官僚組織を持ちながら、どうして長続きしたのか。その最大の理由は、つねに官僚グループに対抗する勢力があったからです。その対抗勢力がつねに官僚組織を監視し、それが腐敗、堕落してくると糾弾した。だからこそ、官僚組織が制度疲労を起こさず、長持ちした。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)
当初対抗勢力として貴族や宦官がいたがそれでも抑えきれないため中国の歴代王朝は御史台という官僚の汚職を捜査する機関をつくった。
「御史台の力たるや今日の警察や検事の比にあらず。
なぜなら、この御史台の長官である御史大夫に告発されると、自動的に有罪と推定される。
つまり、『疑わしきは罰せず』ではなく『疑わしきは罰す』という原則が適用される。(中略)
今の人間から見れば、何という恐怖政治かと思ってしまうでしょうが、そのくらい強大な権力で牽制していないと、官僚組織はかぎりなく肥大し、腐敗していく。
そうなると、もはや皇帝でさえどうにもならないというわけです。この講義で私は何度も『国家権力はリヴァイアサンである』と述べましたが、高級官僚とはそのリヴァイアサンをも食い殺してしまう、恐るべき怪獣、いや寄生虫です。
この寄生虫がはびこれば、皇帝でさえ権力を失いかねない。
だからこそ、中国の皇帝たちは知恵の限りを絞って、御史台という制度を作った。」(前掲書)
御史台は現代日本では非現実的である。が現代日本に最も欠けているのが御史台制度を作ったその精神であることは間違いない。
日本人は伝統的に官僚を信頼してきた。が今やそれを見直すべき時にきている。国民とその代理人の政治家が主権を甦えらせることができるか否かがかかっているからである。
これに失敗し、このまま日本の政治が偏差値ロボットのベスト・アンド・ブライテスト集団に壟断され、官僚主導の政策が続けば、失われた20年がやがて失われた30年とか40年になるだろう。
そしてその結果、国際社会から ”かって先進国であった日本” という有難くない称号を与えられる羽目になるだろう。
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