中国では革命の都度王朝が変わるも社会体制は変わらないという易姓革命を繰り返してきた。
毛沢東による共産党革命も基本的に同じで毛沢東による易姓革命と言える。
毛沢東は下放政策や文化大革命によって歴代の王朝と同じく中国を疲弊させた。毛沢東の悪しき模倣者ポルポトは同じく下放政策によってカンボジアをズタズタにした。
ただ中国はカンボジアと違って破滅寸前で踏みとどまった。
1978年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で鄧小平は改革開放路線に大きく舵を切り、これ以降中国は一意専心、経済発展に驀進した。
この時、事実上中国は目覚めた。
その後の中国の驚異的な発展は有史以来どの大国もなしえなかった成長を遂げたことはいうまでもない。
歴史上、世界の覇権国が新興国から挑戦を受けたとき、両者の関係はぎくしゃくするとファリード・ザカリアは言う。
だが中国の場合従来の挑戦国とは違うとも言う。中国には孫子の兵法 ”勝敗は戦う前に決している” という戦法がある。
「従来型の軍事的政治的進出に対処するすべを、アメリカは心得ている。
ソ連の脅威もナチスの台頭も、本質的にはこのタイプだった。
アメリカは従来型の進出を押しとどめるための概念的枠組みと実用的ツールー武器、援助、同盟ーをもっている。
もしも中国が傍若無人にふるまって近隣諸国を激怒させ、世界に脅威をばらまいたなら、ワシントン政府は効果的な政策をパッケージにして実行し、自然な均衡化のプロセスを誘発させるだろう。
そして、この流れを利用して日本、インド、オーストラリア、ベトナムなど周辺各国を結束させ、中国の台頭を難なく封じ込めてしまうはずだ。
しかし、中国が非対称戦略を貫いたとしたら、どうなるだろか? 世界各国との経済関係を徐々に深め、節度ある穏やかな行動をとり、じっくりと勢力圏を拡大しながら、世界における重要性と友好と影響力の増大だけを追求するとしたら?
アメリカの忍耐力と耐久力をすり減らすために、ワシントン政府をアジアの隅へ隅へとゆっくり押しやる戦略をとってきたら?
傲慢ないじめっ子のアメリカになりかわるべく、代替者としての立場を密かに固めていくとしたら?
このようなシナリオが現実となったとき、果たしてアメリカはどう対処するのだろうか?」
(ファリード・ザカリア著楡井浩一訳徳間書店『アメリカ後の世界』)
このような難題についてアメリカには経験もなく準備もほとんどできていないとザカリアは言う。
中国の台頭が肌で感じられ、その派手な経済的、軍事的プレゼンスに比し、インドのそれは控えめに見える。
だが、BRICsの生みの親ゴールドマンサックスのジム・オニール会長は言う。
「ここ10年間、中国の方が高い成長率を達成するとばかり考えていました。今回の出張で『インドの方が高成長を見せるかもしれない』と初めて考えるようになりました。(中略)
インドは人口統計学的に見て非常に恵まれた状態にあり、新たな小規模な街の都会化が進む高成長期に突入しつつあります。 インフラの水準が不十分であり中国に著しく劣る状態にありますが変化が見られていることが重要だと考えています。」
(2010年11月6日 Viewpoints FROM THE OFFICE OF THE CHAIRMAN-Goldman Sachs )
インドを一度でも訪れた人は首をかしげるだろう。粗末なインフラと悲惨な貧困、それに根深いカースト制度。
だが、フリード・ザカリアは、楽観的に見ている。
脆弱なインフラと貧困については、これらを克服するにインドには大英帝国の遺産である英語に裏打ちされた人的資源とそれを生かした社会の活力がある。
カースト制については、成長は必ずしも文化によって制約されるものではない、なによりインドにはたぐいまれなる真の民主主義がある。
インドを特徴づける力強い社会と弱い政府。そして次のように言いきっている。
「現在のインドに似ているのは、19世紀末のアメリカ合衆国だ。 世界政治におけるアメリカの台頭を大きく遅らせたのは、国内の制約要因だった。
1890年当時、アメリカはイギリスから世界一の経済大国の地位を奪取していたものの、外交と軍事の面ではまだまだ二流国にすぎなかった。
軍事力はブルガリアに次ぐ第14位。産業力はイタリアの13倍だが、海軍力はイタリアの8分の1。
アメリカは国際会議にほとんど参加せず、アメリカの外交官は国際問題においてケチな役回りばかりを演じていた。
ワシントンDCは小さな地方都市で、アメリカ連邦政府は限定された権力しかもたず、一般的に大統領の地位は要職とみなされていなかった。」(前掲書)
目の前の現実に心を奪われると、それが何時までも続くと錯覚しがちだが、将来の変化予測は現実世界に囚われることのない想像力にかかっている。
あたりまえすぎて忘れがちなことだ。
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