2014年8月18日月曜日

衰退するアメリカ 2

 フランスの歴史人口学・家族人類学者である、エマニュエル・トッドは、2002年に発表した「帝国以後」で、2050年までにアメリカの覇権が終わると予言しフランス、ドイツ等でベストセラーとなった。
 彼は真の帝国に値する組織には常に2つの特徴があるという。

 「・・・帝国は軍事的強制から生まれる。そしてその強制が、中心部を養う貢納物の徴収を可能にする。
 ・・・中心部は終いには、征服した民を通常の市民として扱うようになり、通常の市民を被征服民として扱うようになる。
 権力の旺盛な活力は、普遍主義的平等主義の発達をもたらすが、その原因は万人の自由ではなく、万人の抑圧である。
 この専制主義から生まれた普遍主義は、征服民族と被征服民族の間に本質的な差異が存在しなくなった政治的空間の中で、すべての臣民に対する責任へと発展していく。

 この2つの判断基準に依拠するなら、直ちに以下のことが理解できるようになる。
 すなわち、最初は征服者にして略奪者であったが、次いで普遍主義的で、道路、水道、法と平和という恵みを分配したローマは、まさに帝国という名に値していたのに対して、アテネは挫折した一形態にすぎなかった、ということである。(中略)

 この2つの基準に照らしてみると、アメリカは著しい不足振りを呈する。
 それを検討するなら、2050年前後にはアメリカ帝国は存在しないだろうと、確実に予言することができる。
 2つの型の『帝国』の資質がアメリカには特に欠けている。
 その1つは、全世界の現在の搾取水準を維持するには、その軍事的・経済的強制力は不十分である、ということ、2つ目は、そのイデオロギー上の普遍主義は衰退しつつあり、平和と繁栄を保証すると同時に搾取するため、人々と諸国民を平等主義的に扱うことができなくなっている、という点である。」
(エマニュエル・トッド著石崎晴己訳藤原書店『帝国以後』)

 アメリカの軍事能力について、海空の制圧力には疑いの余地はないが、地上戦については、帝国にふさわしい能力を備えていない、帝国を維持するには領土の占領と、慣習的な意味での帝国的空間の形成が不可欠であるからという。
 第2次大戦 欧州戦線でのアメリカ軍の戦いについて厳しい評価を下している。

 「イギリスの歴史家で軍事問題の専門家であるリデル・ハートが見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、投入された経済的・人的資源の圧倒的な優位を考慮すれば、効率性に劣るものだった。
 ある程度の犠牲精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された。
 イタリアのモオテ・カッシーノではポーランド人部隊とフランス人部隊、ノルマンディではファレーズで敵軍を分断するのにポーランド人部隊という具合である。
 作戦毎に部族の長と契約して金を支払うという、現在アフガニスタンでアメリカがやっている『流儀』は、それゆえ昔ながらの方法の、さらに悪質化した現代版にすぎない。
 この面ではアメリカはもはやローマにもアテネにも似ておらず、ガリア人傭兵やバレアレス島の投石兵を雇っていたカルタゴに似ている。
 B29はさしずめ象の代わりということになろうが、生憎ハンニバルの役割を果たすものはだれもいない。」(前掲書)

 第2次大戦時、アメリカは、たしかに欧州戦線でも太平洋戦線でも地上接近戦に強いとはいえなかったかもしれない。
 しかし非効率とはいえ圧倒的な物量と技術でカバーした。
 戦後もこの方式は変わらない。これを可能にしているのが全世界からアメリカへの貢納物である。
 アメリカへの貢納物とはなにか。それは基軸通貨ドルを利用したシステムである。

 「アメリカ合衆国の『景気の回復』の度に、世界各地からの製品の輸入は膨れ上がる。
 貿易収支の赤字は増大し、毎年毎年、マイナスの新記録を打ち立てる。ところがわれわれは満足する、というよりむしり、安堵する。
 これはまさに逆様にしたラ・フォンテーヌの世界で、蟻がキリギリスに食べ物を受け取ってくれと頼んでいるようなものなのである。 こうなるとアメリカ合衆国に対するわれわれの態度は、国家が景気刺激策を打ち出すのを待望する、全世界的なケインズ的国家の臣民の態度に他ならない。
 現にケインズの見解では、需要を下支えするために消費するというのは、国家の機能の一つである。
 その『一般理論』の末尾で彼は、ピラミッドを建設するフォアラについてちょっとした優しい言葉をかけている。
 彼は浪費を行うが、それによって経済活動の調整を行っているわけである。アメリカはわれわれのピラミッド、全世界の労働によって維持されるピラミッドに他ならない。
 このケインズ的国家としてのアメリカというヴィジョンと、グローバリゼーションの政治的解釈とは完全に適合するということ、これは確認せざるを得ないのである。
 アメリカ合衆国の貿易収支の赤字は、このモデルで言うなら、帝国が徴収する課徴金と定義されなければならない。
 アメリカ社会は経済的観点からすると、世界全体にとって国家となった、ということになる。」(前掲書)

 非生産的で金融に支えられたアメリカ。これがエマニュエル・トッドがいうアメリカの『中心部を養う貢納物の徴収』システムであるが、この信頼性には疑問があるという。

 「アメリカはローマのような軍事力を持っていない。その世界に対する権力は、周縁部の朝貢国の指導階級の同意なしには成り立たない。
 徴収率が一定限度を越え、資産運用の安全性の欠如が一定水準を越えると、彼らにとって帝国への加盟はもしかしたら妥当な選択ではなくなってしまう。
 われわれの自発的隷属は、アメリカ合衆国がわれわれを公平に扱うのでなければ、さらに的確に言うなら、われわれをますます中心的支配社会の成員とみなすようになるーこれこそあらゆる帝国の力学の原理そのものであるーのでなければ、維持され得ないであろう。」(前掲書)

 このシステムは公平性、普遍主義が生かされてはじめて機能するが、アメリカはこれから遠ざかっているという。

0 件のコメント:

コメントを投稿