キリスト教は、イエス・キリストの教えであり、福音書が啓典である。
福音書は神との契約である。この神との契約は上下関係の契約であり(神の人間に対する一方的な命令)これがこの宗教の根本である。
この福音書には、人間の行動について具体的な命令が書かれててない。いはば規範なき宗教であり、信仰のみが救済の条件となっている。
人間の行動ではなく、信仰のみが全てである、という点で他のすべての宗教と異なっている。
キリスト教を理解するには、まず実質的に開祖ともいうべきパウロを知らなければならない。
パウロは当初、熱心なパリサイ派ユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害する側にいた。
ダマスカス街道で「パウロなぜ、わたしを迫害するのか」と復活したイエスに呼びかけられ、その後、パウロは目が見えなくなった。
ところがアナニアというキリスト教徒が神のお告げによってパウロのために祈ると、パウロの目から鱗のようなものが落ち目が見えるようになった。
こうしてパウロは回心しキリスト教徒になった。
ローマ市民権を有するパウロはキリスト教の教義を事実上再定義するとともに熱心に布教活動をし、その伝道は異邦人にも及んだ。
彼はピリピ人への手紙で「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み目標を目指して一心に走っているのです。」
またテサロニケの信徒への手紙で「落ち着いた暮らしをし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。神様から委ねられた働きを人任せにすることなく、主から委ねられたと喜んで献身してゆくことが信仰の成長、成熟につながります。」
幾世紀も経て後に資本主義の精神として結実した行動的禁欲 「祈り、かつ働け」 の原型がこのパウロの手紙に見出すことができる。
恰もオリンピックのマラソンランナーの如く、あらゆるものにわき目をふらず、ひたすら神を信じ、教会においても社会においても神様からの賜物を持ち寄り、主のために働くときに、私たちはキリストのからだになる、と。
パウロによってキリスト教は単なるユダヤ教の分派から後の世界宗教へと進みはじめた。
が、パウロの時代から中世に至るまで、キリスト教は少数であり、真の世界宗教になるには、16世紀の宗教改革まで待たなければならなかった。
中世ヨーロッパの教会は、善行を積まなくても金を積めば救われる、と信徒に免罪符を売りつけ金儲けに走るなど、腐敗が横行していた。
マルティン・ルターはこの免罪符(贖宥状)を批判し、この批判が宗教改革のきっかけとなった。
マルティン・ルターが公表したローマ教会に対する95ヶ条の論題は大きな反響を呼び、宗教改革は各地に拡大していった。
マルティン・ルターの影響も大きかったが、宗教改革の極めつけは、フランス人 ジャン・カルヴァンの思想であろう。
ジャン・カルヴァンは聖書を研究し尽くし、辿りついた結論が、彼の著書「キリスト教綱要」でとなえられた”予定説”である。
この予定説こそカトリックから分離したプロテスタントの神学思想の骨格をなした。
予定説とは、神によって救済される者と、救済されない者は予め決められていて人間にはどうすることもできないという説である。
善行を積もうが積むまいが、教会に寄進しようがしまいが、その他一切の人間の行動に関係なく、救われるものと、救われないものは予め決まっていて変えようがない。
しかも、自分が救われているか否かを知ることさえできない。
このような教義であれば、日本人の平均的な反応は、「救済されるかどうかが予め決められているのであれば、努力のしがいがない。せいぜい生きているうちに信仰などにかかわらず、自由に楽しく過したほうがましだ。」 となるだろう。
が、熱心な予定説を信じるキリスト教徒はそうは考えない。
小室直樹博士の分析はこうだ。
「神様の考えていることは理解不能で、誰が救われるかと言っても、全体を考えてみればそこには共通点がある。
神様から救われるほどの人だったら、きっとキリスト教を信仰し、予定説を信じている筈、と。
これは、神様に救われるための必要条件にすぎず十分条件ではない。
が、この必要条件をみたすことによって、自分はひょっとしたら神から選ばれた人間なのかもしれない、と考えるとあまりの光栄に体も震えてくる。
しかし、はたして神に選ばれたかどうかは結局のところ分からない、分からないからこそ、さらに一生懸命に信仰する。
かくして、カルヴァンの予定説を信じた人にとって、信仰心に終着点はなく、どこまでもどこまでも信仰心を募らせていく無限運動に入る。」
救済されるための必要条件は充たしたが、十分条件は充たされていないという不安定な情況におかれればおかれる程、なおいっそう人々は心の安定を求め信仰へと向かうのだろう。
さらに小室博士はこのカルヴァンの予定説が社会に与えた影響について述べている。
「プロテスタントの登場こそが近代への扉を開いた。カルヴァンの予定説は単に絶対王権を覆しただけではない。近代民主主義も近代資本主義も、予定説がなければ生まれなかった。カルヴァンは歴史を変えた大天才だ」 と。
キリスト教の論理は予定説であるが、この予定説は、因果応報、信賞必罰を否定する。このため人は神の存在に疑問を抱きかねない。
このような疑念を払拭し、神は義(正しい)であることが証明されなければならない。これがキリスト教の神義論である。
アメリカ合衆国の全ての紙幣とコインの裏面には、
”IN GOD WE TRUST”
という文字が刻印されている。信仰のみが救済の条件であるキリスト教社会の面目躍如たるものがある。
民主主義、資本主義、近代法という輝かしい近代文明の基礎となるものは殆どキリスト教を媒体として生まれた。
キリスト教は、隣人にたいする自己犠牲愛と無条件の奉仕を教える。
歴史上のキリスト教徒の異教徒に対する残酷さはこの教えと矛盾するようだが、これもまたキリスト教の教えである。
神の命令は絶対で、敬虔なキリスト教徒であればあるほど神の命令にしたがう。
近代文明を理解するにはキリスト教の理解は必須であり、キリスト教について、もっと学ばなければならないという想いは募る。
2013年8月19日月曜日
宗教について 1
外国を理解するのは容易ではない。人種、文化的に比較的日本人に近いと思われる中韓両国でさえ最近の言動もなんとも理解できないことが多い。
なかでも宗教にまつわることについては特にそうである。
聖書に書かれていることをそのまま信じるファンダメンタリスト、厳格な六信五行を行うムスリムなどに至っては、もはや我々の理解を超える。
外国を理解するには、まずその国の宗教を理解しなければ一歩も先に踏み出せないと言っていいかもしれない。さもなくば表面だけの理解に止まる。
外国の宗教を理解するにあたっては、まず日本の宗教について正しく理解することからはじめなければならない。
NHK放送文化研究所も参加している国際比較調査グループが2009年5月に実施した日本人の宗教についての調査では、宗教を信じていない人が多く、また宗教の中では仏教に親しみを持つ人が多いことが調査の結果わかった。
宗教を信じている39%、信じていない49%、
親しみを感じる宗教では、
仏教65%、神道21%、キリスト教13%
芥川龍之介の小説「神神の微笑」で、奇妙な老人が宣教師オルガンティーノに対し
「あなたは天主教を日本に広めようとしていますね。それも悪いことでもないかもしれません。しかしでうすもこの国に来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」と語らせている。
また「日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から「八百万の神」を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる。
日本人が海外の思想に変化を加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも。
この芥川龍之介の小説の考えをより具体的に表現したのが、山本七平が提唱した「日本教」という概念である。
この山本七平の提唱を、社会科学的に整備したのが今や絶版となった、山本七平氏と小室直樹博士による対談形式の共著 「日本教の社会学」(講談社)である。
日本人の宗教について、芥川龍之介が小説で示唆したことが、この本で、社会科学的に解明され方法論的に体系づけられたといっていい。
その骨子は
・日本教は仏教の経典、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランなどの体系化されたものはなく、戒律なき宗教である。あるいは入ってきたあとそれらの戒律は骨抜きにされる。
・日本教には、血縁、地縁、階級、共同体から離れた神との契約という概念は一切ない。
・日本に入ってくる宗教は、仏教、キリスト教、儒教など全て入ってきた途端に日本教の一派になる。
日本教徒仏教派、日本教徒キリスト派、日本教徒儒教派となる。
一つの例として、江戸幕府によるキリシタン禁令下で信者発見のため使用された踏み絵。
真のクリスチャンであれば、唯一絶対の神との契約が全てであり、踏み絵は単なる被造物にすぎない。日本人クリスチャンは、この被造物に感情移入し物神化させ逆にそれに支配されたが、これなど典型的な日本人的発想。キリスト教を真に理解していたとは言い難い。
・日本教は、神や仏は人間のために存在する。表面的には神仏を尊重するが、実質的には神仏の都合より人間の都合を優先する。
・日本教にはドグマがない。従って体系化された行動規範がない。が、「空気」がドグマの役割を果たし、これが日本人を拘束している。
前述のように、日本人は無宗教だと自覚している人が半数を占める。が、「空気」は今も昔も日本人を呪縛している。その意味で殆どの日本人は、「空気」をドグマとする日本教徒といえる。
人が行動するに、無目的に行動する筈がない。宗教活動に於いても例外では有り得ない。
日本教には体系化された行動規範がなくドグマもない。が、それと同等の「空気」という実質的なドグマがあり、これに拘束されている。
このような宗教感を持つ日本人が仏教、キリスト教、イスラム教、儒教を理解することは容易ではない、逆もまた然り。
が、この日本教の立ち位置を認識し、充分に腑に落としこんでおけば、難解とはいえ外国の宗教、行動様式を理解する一助となろう。
順次、代表的な宗教につき考えてみたい。
なかでも宗教にまつわることについては特にそうである。
聖書に書かれていることをそのまま信じるファンダメンタリスト、厳格な六信五行を行うムスリムなどに至っては、もはや我々の理解を超える。
外国を理解するには、まずその国の宗教を理解しなければ一歩も先に踏み出せないと言っていいかもしれない。さもなくば表面だけの理解に止まる。
外国の宗教を理解するにあたっては、まず日本の宗教について正しく理解することからはじめなければならない。
NHK放送文化研究所も参加している国際比較調査グループが2009年5月に実施した日本人の宗教についての調査では、宗教を信じていない人が多く、また宗教の中では仏教に親しみを持つ人が多いことが調査の結果わかった。
宗教を信じている39%、信じていない49%、
親しみを感じる宗教では、
仏教65%、神道21%、キリスト教13%
芥川龍之介の小説「神神の微笑」で、奇妙な老人が宣教師オルガンティーノに対し
「あなたは天主教を日本に広めようとしていますね。それも悪いことでもないかもしれません。しかしでうすもこの国に来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」と語らせている。
また「日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から「八百万の神」を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる。
日本人が海外の思想に変化を加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも。
この芥川龍之介の小説の考えをより具体的に表現したのが、山本七平が提唱した「日本教」という概念である。
この山本七平の提唱を、社会科学的に整備したのが今や絶版となった、山本七平氏と小室直樹博士による対談形式の共著 「日本教の社会学」(講談社)である。
日本人の宗教について、芥川龍之介が小説で示唆したことが、この本で、社会科学的に解明され方法論的に体系づけられたといっていい。
その骨子は
・日本教は仏教の経典、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランなどの体系化されたものはなく、戒律なき宗教である。あるいは入ってきたあとそれらの戒律は骨抜きにされる。
・日本教には、血縁、地縁、階級、共同体から離れた神との契約という概念は一切ない。
・日本に入ってくる宗教は、仏教、キリスト教、儒教など全て入ってきた途端に日本教の一派になる。
日本教徒仏教派、日本教徒キリスト派、日本教徒儒教派となる。
一つの例として、江戸幕府によるキリシタン禁令下で信者発見のため使用された踏み絵。
真のクリスチャンであれば、唯一絶対の神との契約が全てであり、踏み絵は単なる被造物にすぎない。日本人クリスチャンは、この被造物に感情移入し物神化させ逆にそれに支配されたが、これなど典型的な日本人的発想。キリスト教を真に理解していたとは言い難い。
・日本教は、神や仏は人間のために存在する。表面的には神仏を尊重するが、実質的には神仏の都合より人間の都合を優先する。
・日本教にはドグマがない。従って体系化された行動規範がない。が、「空気」がドグマの役割を果たし、これが日本人を拘束している。
前述のように、日本人は無宗教だと自覚している人が半数を占める。が、「空気」は今も昔も日本人を呪縛している。その意味で殆どの日本人は、「空気」をドグマとする日本教徒といえる。
人が行動するに、無目的に行動する筈がない。宗教活動に於いても例外では有り得ない。
日本教には体系化された行動規範がなくドグマもない。が、それと同等の「空気」という実質的なドグマがあり、これに拘束されている。
このような宗教感を持つ日本人が仏教、キリスト教、イスラム教、儒教を理解することは容易ではない、逆もまた然り。
が、この日本教の立ち位置を認識し、充分に腑に落としこんでおけば、難解とはいえ外国の宗教、行動様式を理解する一助となろう。
順次、代表的な宗教につき考えてみたい。
2013年8月12日月曜日
アノミー 4
先月、山口県周南市金峰で8世帯14人が住む集落で5人が殺害されるという衝撃的な事件があった。平成の「八つ墓村事件」と騒がれたほど典型的な村落共同体の葛藤事件である。
このような事件は戦前にこそみられたが、現代では稀有である。
このような事件は戦前にこそみられたが、現代では稀有である。
戦前の日本は、天皇を中心にした共同体であり、この共同体の底辺に村落共同体があった。
前稿で記したように天皇の人間宣言によって、天皇イデオロギーの共同体は解体したが、底辺の村落共同体は、存続した。
が、この村落共同体も、日本の高度経済成長時代を迎えるとともに、その姿を変え事実上解体した。
かくして昭和20年から高度経済成長が始まりかける昭和30年頃の凡そ10年間で従来の日本社会の共同体は頂上から底辺まで解体した。
戦後10年間、日本社会は完全な、無規範、無連帯社会となり、アノミーは日本中を覆い尽くした。
破壊され解体された村落共同体は日本社会から全くなくなったのかという、そうではなく、高度成長を機に、会社組織あるいは役所組織に紛れこんでいったのだった。
これらの組織の内と外の二重規範の存在がなによりそれを証明している。
いうまでもなく会社は利益を追求する集団であり、役所は国家あるいは地方の公益を追求する集団である。
ドイツの社会学者 テンニースは、近代社会は、地縁、血縁、友情などで結びついた自然発生的なゲマインシャフト(共同体組織)と、利益や機能を追求する人為的なゲゼルシャフト(機能組織)を形成していくと提唱した。
ゲマインシャフトは人間関係を重視し、ゲゼルシャフトは機能を重視する。
この定義に従えば、高度成長を機に、日本の村落共同体は、人間関係を重視した集団が、機能を重視した集団へと紛れこんだことになる。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの並存である。
機能組織でありながら人間関係を重視する共同体組織でもある。
この結果どういう現象が起こるか。
組織の規範が二重となる現象が起こる。
機能組織の規範はどんな場合でも一つしかない。
が、共同体組織は、内と外では規範が異なる二重規範である。
外で通用することが、内では通用せず、内で通用することが、外で通用せず、といった現象が起こる。
ここで重要なことは、この二重規範が生じたとき、共同体組織は内の規範を最優先する。
中央省庁の省益最優先、国益後回し、会社内では会社の利益が最優先、その他は後回しなどが典型的な例である。
役所にしろ会社にしろ、日本社会の組織の内部の実態は外部からは伺い知ることはできない。
共同体組織の特徴として、末端になればなる程、この内の規範の締め付けが厳しくなる。
不正を暴くには、内部告発に頼るほかないが、内部告発するには、職を賭す覚悟がなければできない。
なにしろ組織内部の論理が最優先される日本社会では、組織に不利益となる告発など許される筈もなく論外だ。
逆に、組織に利益をもたらすものであれば、たとえそれが限りなく不法行為に近いものであっても許される。
幾度も述べたが、デフレ下の消費増税で、国全体の税収が減ろうとも、自らの歳出権の増大という省益のためとあらば、全てを犠牲にする。
最強官庁 財務省の省益あって、国益なしの論理およびその行動様式は、官民問はず、日本社会の隅々まで行き亘っている。
アノミーの結果、日本社会は他のいかなる国にも見出せない日本独自の組織を生んだ。
民主主義とは何か、また資本主義の精神とは何か、いずれ稿を改め考察したいが、このような日本独自の組織社会には、とても民主主義は育たないし、また資本主義の精神も宿り難い。
戦前 軍部は国民を置き去りにし戦争に向け独走した。
今再び、官民はこぞって組織の論理を振りかざし、省益と終わりのない企業戦争に突き進み止まることを知らない。
前稿で記したように天皇の人間宣言によって、天皇イデオロギーの共同体は解体したが、底辺の村落共同体は、存続した。
が、この村落共同体も、日本の高度経済成長時代を迎えるとともに、その姿を変え事実上解体した。
かくして昭和20年から高度経済成長が始まりかける昭和30年頃の凡そ10年間で従来の日本社会の共同体は頂上から底辺まで解体した。
戦後10年間、日本社会は完全な、無規範、無連帯社会となり、アノミーは日本中を覆い尽くした。
破壊され解体された村落共同体は日本社会から全くなくなったのかという、そうではなく、高度成長を機に、会社組織あるいは役所組織に紛れこんでいったのだった。
これらの組織の内と外の二重規範の存在がなによりそれを証明している。
いうまでもなく会社は利益を追求する集団であり、役所は国家あるいは地方の公益を追求する集団である。
ドイツの社会学者 テンニースは、近代社会は、地縁、血縁、友情などで結びついた自然発生的なゲマインシャフト(共同体組織)と、利益や機能を追求する人為的なゲゼルシャフト(機能組織)を形成していくと提唱した。
ゲマインシャフトは人間関係を重視し、ゲゼルシャフトは機能を重視する。
この定義に従えば、高度成長を機に、日本の村落共同体は、人間関係を重視した集団が、機能を重視した集団へと紛れこんだことになる。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの並存である。
機能組織でありながら人間関係を重視する共同体組織でもある。
この結果どういう現象が起こるか。
組織の規範が二重となる現象が起こる。
機能組織の規範はどんな場合でも一つしかない。
が、共同体組織は、内と外では規範が異なる二重規範である。
外で通用することが、内では通用せず、内で通用することが、外で通用せず、といった現象が起こる。
ここで重要なことは、この二重規範が生じたとき、共同体組織は内の規範を最優先する。
中央省庁の省益最優先、国益後回し、会社内では会社の利益が最優先、その他は後回しなどが典型的な例である。
役所にしろ会社にしろ、日本社会の組織の内部の実態は外部からは伺い知ることはできない。
共同体組織の特徴として、末端になればなる程、この内の規範の締め付けが厳しくなる。
不正を暴くには、内部告発に頼るほかないが、内部告発するには、職を賭す覚悟がなければできない。
なにしろ組織内部の論理が最優先される日本社会では、組織に不利益となる告発など許される筈もなく論外だ。
逆に、組織に利益をもたらすものであれば、たとえそれが限りなく不法行為に近いものであっても許される。
幾度も述べたが、デフレ下の消費増税で、国全体の税収が減ろうとも、自らの歳出権の増大という省益のためとあらば、全てを犠牲にする。
最強官庁 財務省の省益あって、国益なしの論理およびその行動様式は、官民問はず、日本社会の隅々まで行き亘っている。
アノミーの結果、日本社会は他のいかなる国にも見出せない日本独自の組織を生んだ。
民主主義とは何か、また資本主義の精神とは何か、いずれ稿を改め考察したいが、このような日本独自の組織社会には、とても民主主義は育たないし、また資本主義の精神も宿り難い。
戦前 軍部は国民を置き去りにし戦争に向け独走した。
今再び、官民はこぞって組織の論理を振りかざし、省益と終わりのない企業戦争に突き進み止まることを知らない。
2013年8月5日月曜日
アノミー 3
戦後の自虐史観教育は急性アノミーを拡大再生産させた。
アノミーについてここで一度整理しておきたい。
フランスの社会学者E・デュルムケは生活水準の激変によって自殺率が増加することに気づきアノミー概念を発見した。
富籤で不相応の巨額の金を手にした人が、その後の人生が悲惨であったという記事をみかけることがある。
原因は、急に、不相応の金を手にしたことによって生活水準が変わり、それまで付き合っていた人との絆が崩れ、一方、新しく仲間に入ろうとした上流社会には、成り上がりものとして、仲間にいれてもらえず地域社会から孤立し、どこにも所属できない無連帯となったことによる。
このように自分の居場所をなくし心の平穏を保てなくなった状態を単純アノミーという。
アノミーにはこのほかに急性アノミーがある。信頼しきっていた人に裏切られたとか、自分の価値観を急激に根底から覆され、精神錯乱状態になって発生するアノミーである。
自虐史観教育は、敗戦後の倒錯した価値観によってもたらされた急性アノミーを拡大再生産する役割を担ってきた。
戦前、日本国民は政府・軍隊を信頼しきっていた。
日本は一度たりとも外国に侵略されたこともないし、戦争で負けたこともない。
皇紀二千六百年に亘り天皇を戴く神州不滅の国である。
その中心に位置するのが天皇陛下の軍隊 皇軍である。
この時期、陸軍士官学校とか海軍兵学校、進んでは陸軍大学、海軍大学など受験生の羨望の的であった。
日本の国立大学で試験があったのは東大法学部だけでその他は無試験、医学部でさえ並べば入れた。これは誇張でもなんでもない。その東大法学部でさえ陸士、海兵よりはるか下位と見られていた。
兵隊さんは国民の信頼を一身に受けていた。国民は、兵隊さんのため必要とあらば、宿泊、食事など無料で提供した。兵隊もこの信頼に応えるべく振る舞った。
ところが、敗戦を機に、これら価値観が根底から覆えった。
完膚なき敗戦、天皇の人間宣言、兵隊の戦地における残虐行為の報道など混乱を極めた。
価値観の混乱に、決定的に拍車をかけたのは、米軍GHQの自虐史観教育である。
教員のパージ、教科書の検閲はいうに及ばず、国旗、国歌までも規制された。
戦前 日本の朝日、讀賣、毎日の大衆有力3紙は、軍部の意向を先回りして自主検閲を行い主戦論を展開していた。
最有力朝日など満州事変勃発時を基準にして昭和20年の敗戦直前までに発行部数を2倍も増やした。
戦後、これら3紙は、一転してGHQの意向を先回りして、紙面の自主検閲を行い、GHQ政策を競って推進した。
戦後、この精神を汲んだ流れは、未だに変わることなく延々とつづいている。
軍部、GHQから、影の権威ともいうべき財務省へ。
時の最も有力な権威の意向を汲むという精神である。
中韓両国が、日本に対し正しい歴史認識をと喧しい。
最近、特に取り上げられる従軍慰安婦問題について、自虐史観教育との関連で検証してみたい。
従軍慰安婦問題とはいうものの、焦点はただ一点、強制連行があったか否かである。強制連行がなければ犯罪とはいえず問題にもならない。
1965年の日韓基本条約締結の時、慰安婦の強制連行など議題にもでなかった。
慰安婦問題がクローズアップされたのは、1983年、日本人の吉田清治による「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、昭和18年(1943年)に軍の命令で「挺身隊」として、済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという体験を発表。これを朝日新聞が取り上げ報道したことが発端である。
後日、吉田清治は「この本は全て嘘でした」と認めている。
それにも拘わらず、吉田清治の本とこれを取り上げた朝日新聞の報道は、一人歩きをはじめた。
さらにまずいことに日本政府は恰も日本軍の強制連行があったかのごとく謝罪してしまった。何をかいわんやである。
このことは政府にかぎらず教育現場においても同じ現象が起きた。
平成9年度(1997年)から、中学の歴史教科書には従軍慰安婦の強制連行が記載された。
マッカーサが占領政策を有利に進めるためにはじめた自虐史観教育は平成の世になっても一向に衰えることなく末端の教育現場を汚染し尽した。
強制連行はなかったという事実を突きつけられてさえも改められることはなかった。まさに日本中が自虐史観という空気に洗脳されたというほかない。
日本のかかる情況を韓国が利用しない筈がない。慰安婦の強制連行は動かぬ事実として国際社会に向かって喧伝し、アメリカの地方都市に慰安婦の銅像まで建てた。
知日家のイギリス人前エコノミスト編集長ビル・エモットは、歴史認識問題で、中韓にあまり反論しないほうがいい、反論しても国際社会は、この問題で日本の味方になる国はない、とまでいっている。
全く事実とは異なることが、国際社会では事実として定着してしまった。
マッカーサは占領政策のために、自虐史観教育を徹底した。
どの国でも実施している、愛国教育は悪であるという概念を植えつけた。
日本人は戦後、正しい教育の”関節”をはずされそのまま放置されたといっていい。
あろうことか、このままでいいという日本人が未だにいる。
恐るべし、自虐史観教育。
この世の関節がはずれてしまったのだ。
なんの因果か、
それを直す役目を押しつけられるとは!
シェークスピア「ハムレット」
アノミーについてここで一度整理しておきたい。
フランスの社会学者E・デュルムケは生活水準の激変によって自殺率が増加することに気づきアノミー概念を発見した。
富籤で不相応の巨額の金を手にした人が、その後の人生が悲惨であったという記事をみかけることがある。
原因は、急に、不相応の金を手にしたことによって生活水準が変わり、それまで付き合っていた人との絆が崩れ、一方、新しく仲間に入ろうとした上流社会には、成り上がりものとして、仲間にいれてもらえず地域社会から孤立し、どこにも所属できない無連帯となったことによる。
このように自分の居場所をなくし心の平穏を保てなくなった状態を単純アノミーという。
アノミーにはこのほかに急性アノミーがある。信頼しきっていた人に裏切られたとか、自分の価値観を急激に根底から覆され、精神錯乱状態になって発生するアノミーである。
自虐史観教育は、敗戦後の倒錯した価値観によってもたらされた急性アノミーを拡大再生産する役割を担ってきた。
戦前、日本国民は政府・軍隊を信頼しきっていた。
日本は一度たりとも外国に侵略されたこともないし、戦争で負けたこともない。
皇紀二千六百年に亘り天皇を戴く神州不滅の国である。
その中心に位置するのが天皇陛下の軍隊 皇軍である。
この時期、陸軍士官学校とか海軍兵学校、進んでは陸軍大学、海軍大学など受験生の羨望の的であった。
日本の国立大学で試験があったのは東大法学部だけでその他は無試験、医学部でさえ並べば入れた。これは誇張でもなんでもない。その東大法学部でさえ陸士、海兵よりはるか下位と見られていた。
兵隊さんは国民の信頼を一身に受けていた。国民は、兵隊さんのため必要とあらば、宿泊、食事など無料で提供した。兵隊もこの信頼に応えるべく振る舞った。
ところが、敗戦を機に、これら価値観が根底から覆えった。
完膚なき敗戦、天皇の人間宣言、兵隊の戦地における残虐行為の報道など混乱を極めた。
価値観の混乱に、決定的に拍車をかけたのは、米軍GHQの自虐史観教育である。
教員のパージ、教科書の検閲はいうに及ばず、国旗、国歌までも規制された。
戦前 日本の朝日、讀賣、毎日の大衆有力3紙は、軍部の意向を先回りして自主検閲を行い主戦論を展開していた。
最有力朝日など満州事変勃発時を基準にして昭和20年の敗戦直前までに発行部数を2倍も増やした。
戦後、これら3紙は、一転してGHQの意向を先回りして、紙面の自主検閲を行い、GHQ政策を競って推進した。
戦後、この精神を汲んだ流れは、未だに変わることなく延々とつづいている。
軍部、GHQから、影の権威ともいうべき財務省へ。
時の最も有力な権威の意向を汲むという精神である。
中韓両国が、日本に対し正しい歴史認識をと喧しい。
最近、特に取り上げられる従軍慰安婦問題について、自虐史観教育との関連で検証してみたい。
従軍慰安婦問題とはいうものの、焦点はただ一点、強制連行があったか否かである。強制連行がなければ犯罪とはいえず問題にもならない。
1965年の日韓基本条約締結の時、慰安婦の強制連行など議題にもでなかった。
慰安婦問題がクローズアップされたのは、1983年、日本人の吉田清治による「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、昭和18年(1943年)に軍の命令で「挺身隊」として、済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという体験を発表。これを朝日新聞が取り上げ報道したことが発端である。
後日、吉田清治は「この本は全て嘘でした」と認めている。
それにも拘わらず、吉田清治の本とこれを取り上げた朝日新聞の報道は、一人歩きをはじめた。
さらにまずいことに日本政府は恰も日本軍の強制連行があったかのごとく謝罪してしまった。何をかいわんやである。
このことは政府にかぎらず教育現場においても同じ現象が起きた。
平成9年度(1997年)から、中学の歴史教科書には従軍慰安婦の強制連行が記載された。
マッカーサが占領政策を有利に進めるためにはじめた自虐史観教育は平成の世になっても一向に衰えることなく末端の教育現場を汚染し尽した。
強制連行はなかったという事実を突きつけられてさえも改められることはなかった。まさに日本中が自虐史観という空気に洗脳されたというほかない。
日本のかかる情況を韓国が利用しない筈がない。慰安婦の強制連行は動かぬ事実として国際社会に向かって喧伝し、アメリカの地方都市に慰安婦の銅像まで建てた。
知日家のイギリス人前エコノミスト編集長ビル・エモットは、歴史認識問題で、中韓にあまり反論しないほうがいい、反論しても国際社会は、この問題で日本の味方になる国はない、とまでいっている。
全く事実とは異なることが、国際社会では事実として定着してしまった。
マッカーサは占領政策のために、自虐史観教育を徹底した。
どの国でも実施している、愛国教育は悪であるという概念を植えつけた。
日本人は戦後、正しい教育の”関節”をはずされそのまま放置されたといっていい。
あろうことか、このままでいいという日本人が未だにいる。
恐るべし、自虐史観教育。
この世の関節がはずれてしまったのだ。
なんの因果か、
それを直す役目を押しつけられるとは!
シェークスピア「ハムレット」