”「しかたがない」と言う考えをやめること” カレル・ヴァン・ウォルフレンが日本への提言で最も強調していることである。 日本は政治化された社会となっていて、権力を持つ一部の人の意向が反映されたシステムになっている。
このシステムでは権力者が説明責任を求められない。建前はともかく現実にはそのような社会構造になっている。
その結果、国民は権力者の意向を ”しかたがない” と受け止める。
典型的な例として先の大戦が挙げられる。太平洋戦争は誰の責任で突入したのかはっきりしたことが分からない。
このため国民はあの戦争を台風や地震と同じように日本を襲った災難と受け止め ”しかたがない” とあきらめる。
日本人は調和を重んじ、同種同文の均質社会であり、勤勉な国民であるとされ、これに反することは ”日本人らしくない” で片付けられる。
「人の行動を制止する点で、『あなたは日本人らしくない』というほど効き目のある非難の言葉は、世界中どこにもないと思う。
日本の市民は、感情に訴えるこうした策略に気をつけなくてはならない。日本を変えたいと言えば、まずこの策略が使われるはずだからだ。
『あなたのやりかたは日本人らしくない』という言葉には、あらがいがたい力がある。これは、非常に狡猾な脅しの手口なのだ。」
(カレル・ヴァン・ウォルフレン著鈴木主税訳新潮文庫『人間を幸福にしない日本というシステム』)
日本的なるものは日本人にとって目に見えない強い強制力がある。カレル・ヴァン・ウォルフレンはこれこそ「偽りの真実」であり、支配者が支配を容易にするための方策にすぎないと一蹴する。
これから脱却するために国民が真の市民として政治に参画すること、「知は力なり」を実践することを提言している。
カレル・ヴァン・ウォルフレンの提言は日本社会の構造的欠陥を鋭くついている。 手放しで褒めたいところだが問題となるのはその実現可能性である。
彼に言わせればそれこそ ”しかたがない” 発想だと言うだろう。だが改革は実現しなければ意味がない。
日本はコンセンサス社会である。根回し社会である。会議で延々と議論するが、肝心なことは会議ではなく酒席など裏舞台の場で決まることがまれではない。
日本史上際立って独裁的であった信長でさえ最終決定は合議を装ったという。それが円滑にいくと考えたからであろう。
ドナルド・トランプ氏は大統領に就任する以前の自伝で、 ”日本人は商売のやりにくい相手だ。6~8人、多いときには12人ものグループでやってくる。話しをまとめるためには全員を説得しなければならない” と言っている。外から見たコンセンサス社会日本の素顔が垣間見れる。
日本社会が合意を習い性としていることは明らかだ。トップダウン、上意下達は、この国ではうまくいかない。
”鶴の一声” が効果的なのはそれが稀だからであり濫発しては神通力がなくなる。
トップダウンは方針決定は速いが指示が浸透するまでには時間がかかる。一方根回しは方針が決定するまでのプロセスは長いがその後の実行はスムーズである。
トップダウンが優れ、根回しが劣っているという考えは想像力の欠如にほかならない。
カレル・ヴァン・ウォルフレンはあらゆる日本的なるものに懐疑的である。
改革にはこの日本的なるものを払拭しなければならないという。
問題はどうやって改革を実現するかである。総花的に進めても何の成果も得られないだろう。
明治維新前と異なり国民の教育レベルは格段に高くなり改革するためのノウハウもある。
日本的なるものを払拭し効果あるとすればそれはただ一つ情報の罠であろう。
「私が知っている多くに欧米諸国やアジア諸国とくらべて、偽りの情報が組織的かつ狡猾な手口で流されている点で、日本は最悪だ。
私が本書で論じてきた日本の社会・政治構造は、主としてこうした欺瞞によって成り立っている。
みなさんは、偽りの情報を流す大きな媒体について知る必要がある。
それは制度と思想である。制度のなかには、大半の日本人が決して疑いを抱かないものもある。
また、思想のなかには、日本人がいつも当然のように受け入れているものもある。
日本人は、偽りの情報を流すこれらの媒体と対決しなければならない。
日本が価値のある国、信頼できる国として生き残れるかどうかは、この媒体の力をよわめられるかどうかにかかっているのだ。」(前掲書)
必要なのは情報を識別する能力である。何が真実で何が偽りかを識別する能力である。なぜなら偽りの情報は絶えることがないからである。
日本独特の記者クラブ制度に拘束されたメディアが発する数々の管理された情報およびまさかと思われる財務省ホームページのPR活動 ”日本の財政を考える” などは現代版大本営発表というにふさわしい。
わが国で最も必要としながらも欠如しているもの、それは政治・経済関連情報の識別能力であろう。これを欠けば対象を見誤りすべての改革は空転する。情報識別能力の向上はつまるところは国民一人ひとりにかかっている。
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