2018年4月2日月曜日

無宗教国家日本 6

 2003年元旦の朝日新聞の社説に「『千と千尋』の精神で---年の初めに考える」というタイトルで一神教と多神教について言及し今後は多神教の精神が望ましいと主張している。

 「(前略)この地球上にも、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない。それが『千と千尋』に込められた一つのメッセージだったのではないか。
 『文明の対立』が語られている。背景にあるのはイスラム、ユダヤ、キリスト教など、神の絶対性を前提とする一神教の対立だ。『金王朝』をあがめる北朝鮮もまた、一神教に近い。
 いま世界に必要なのは、すべて森や山には神が宿るという原初的な多神教の思想である。そう唱えているのは、哲学者の梅原猛さんだ。
 古来、多神教の歴史をもつ日本人は、明治以後、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな『八百万の神』の精神を発揮すべきではないか。
 厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。」
(朝日新聞03年1月1日社説から)


 2003年元旦は9.11の同時多発テロから約1年後にしてイラク戦争勃発直前にあたる。キリスト教とイスラム教という一神教間の対立が喧伝された時期でもある。社説の論旨を敷衍してみよう。

 一神教の対立が世界の争いの種になっている。かって日本も天皇を現人神とする一神教まがいの国家神道で戦争の悲劇を招いた。高名な梅原猛さんも言っているではないか。
 かって文明は多神教から一神教への流れであったが、今後は諸民族が共存するためには一神教から多神教へと向かうべきである。今世界に必要なのは多神教の思想である、と。

 日本人にはストンと腑に落ちる言説である。誰もが納得しそうな言葉だ。だがすぐにストンと腑に落ちることには注意が必要である。
 まずこの議論の前提の一つには多神教の世界では争いが起きないことになっている。
 だが歴史を見ればエジプト、メソポタミア、ペルシャなど古代オリエント世界はすべて多神教であったが争いが起きないどころか争いが絶えなかった。なかでも古代エジプトで最も偉大なファラオといわれるラムセス二世の時代は積極的な領土拡大政策で戦争につぐ戦争の時代である。わが国の古代世界も遺跡などから見る限り同じようなことが言えるのではないだろうか。
 つぎに、一神教は唯一神をあがめるあまり排他的で寛容に欠け、独善的で強調性がなく好戦的となり争いが絶えないという前提で議論が成り立っている。
 だがユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じ旧約聖書に起源をもつ「啓典の民」であり、始祖も同じアブラハムである。
 後発のイスラムの聖典コーランにもイエスは神ではないが立派な預言者であると褒め称えている。
 近世から現代にかけての中東の紛争は宗教戦争というより前世紀までの欧州による植民地政策の影響を受けた領土争いの要素が色濃い。
 わが国の天皇を現人神とする一神教的国家神道で戦争に突入したのは異教徒に対する宗教戦争などではないだろう。
 原因は大陸における権益の衝突である。わが国の領土政策が英米露など列強と対立したためである。
 言い古されているが戦争は外交の延長である。宗教が異なるというだけで戦争などしない。
 こう見てくると上の主張は前提が崩れていることは明らかだ。したがって一神教より多神教がよいという論理は破綻している。
 一神教と多神教どちらがよくてどちらがわるい、どちらが好戦的でどちらが友好的とも言えない。議論を深めるためには別の視点で見なければならない。

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