文献やデータなどからそれまでの常識や価値観を覆すような事実をいかに感じ取るか。
この敏感度、いってみれば驚く能力こそ学者にとって第一に要求される資質であるという。
研究対象に情熱をもって取り組みかつその仕事を根気よく継続すればいつかひらめいてインスピレーションが現れるかもしれない。
このほかマックス・ヴェーバーは学生向け講演で学者の資質についていくつか挙げている。
・「こんにちなにか実際に学問上の仕事を完成したという誇りは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ得られるのである。」
・「いわばみずか遮眼革を着けることのできない人や、また自己の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。」
・「学問の領域で『個性』をもつのは、その個性ではなくて、その仕事に仕える人のみである。」
・「自己を滅して専心すべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段のように考え、自分がどんな人間であるかを『体験』で示してやろうと思っているような人、つまり、どうだ俺はただの『専門家』じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら『個性』のある人ではない。」(マックス・ヴェーバー著尾高邦雄訳岩波文庫『職業としての学問』)
一意専心自己を滅して学問に傾倒することができる人のみが学者として相応しい。自己宣伝するような人は個性ある人とはいわない。
学問の世界では、「個性」は研究対象に専心することによってのみ獲得される。
高名な学者に憧れるとか自意識過剰では「個性」は獲得できない。
マックス・ヴェーバー流にいえば、いわゆる御用学者は学問に縁遠い「個性」がない人ということになる。
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