2018年1月1日月曜日

デフレの怖さ 8

 明治以降の日本は官僚制を創設し富国強兵、殖産興業の旗印で欧米に追いつけ追い越せと近代化を図った。
 明治元年(1868年)から約70年間官僚制は十二分に機能し日本は近代化に成功した。
 ところが大東亜戦争を境にそれまで国家を支えた官僚制が機能しなくなり国家破滅寸前まで追い込まれた。
 営々と築いてきた先代の事業を放蕩息子が一代でなくすかのように。
 敗戦後は奇跡といわれるほどの経済発展を遂げた日本だが約70年経過した今ふたたび官僚制機能に暗雲が漂っている。
 政治家が正しいと思っている政策を実行できずにいる。官僚が阻害しているからである。これが日本の現状である。
 本来あるべき政と官の立場が事実上逆転している。これを解消すべく中央省庁の審議官以上の人事を内閣官房に移管したがそれもこの逆転現象を解消できていない。それほど官僚の力が強い。
 なぜそうなったか。ここは官僚制が極度に腐敗し機能不全に陥った大東亜戦争時の事例が参考になる。

 大東亜戦争は圧倒的な物量にまさる米英に挑んだ無謀な戦争というのが定説となっている。
 だが研究がすすみこの定説に疑問をなげかける研究者がいる。そのなかの一人佐治芳彦氏は大東亜戦争は物量で負けたのではなく官僚制の機能不全が原因で負けたという。陸海軍のシステムが破綻していたからであるという。
 それが証左にいくつかの戦闘で戦力が優位にあったにもかかわらず日本軍は敗北している。
 大東亜戦争の転機となったミッドウエー海戦は戦力的には3対1で圧倒的に日本軍が優位であった。アメリカはこの戦いを ”ミッドウエーの奇跡” と呼んでいる。
 戦局挽回のチャンスがあった南太平洋海戦でも2対1で日本軍優位の戦力であったにもかかわらず戦機を逃した。
 なぜこのようなことになったのか。一言でいえば戦争遂行にあたって将軍や提督はじめ指揮官の人事が目的合理的ではなく陸軍や海軍の掟によってなされたからである。
 ことを為すにあたってそれにもっともふさわしい人ではなく、組織の掟が優先されたのである。これでは勝つ戦も勝てなくなる。

 「とにかく太平洋戦争を戦った将軍や提督の思想と行動とをトレースしてゆけば、もっとマジメにやれなかったのかと憤慨し、あるいはあきれる若い人(世代)も多いはずである。
 敗戦後、日本に革命がおこって、人民の名で敗戦責任者を裁いたとすれば、絞首刑まちがいなしという将軍や提督があまりにも多すぎるからだ。
 だが有為な人材の登用を怠り(アイゼンハウアーは退役寸前の大佐だった)、兵学校や士官学校のハンモック・ナンバー的人事に終始した組織のおそろしさを私は痛感する。」
(佐治芳彦著日本文芸社『太平洋戦争 封印された真実』)

 マジメにやらなかった将軍たち。
 たとえば(前掲書から抜粋・加筆)
 ・出撃する若き特攻の戦士たちに『君らだけを行かせやしない。最後の一機で私も突っ込む。・・・諸君はいまや神である』とまで激励したが、いざとなったら特攻隊を置き去りにして逃亡、温泉で静養した富永恭次第4航空軍司令官

 ・数万の兵士が全滅あるいは空腹でフラフラしながらフィリピン山中でアメリカ軍と戦っているさなか、愛人を東京赤坂から陸軍軍属として輸送機で自分の総司令部の官舎に連れ込んだ寺内寿一南方軍総司令官

 ・「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」 多くの日本兵はこの戦術訓を律儀に守り捕虜になることを拒み自決した。
 だがゲリラの捕虜となり、最高機密の作戦計画書を破棄もせずこれを奪われながら、責任を感じて切腹もせず、のめのめと終戦をむかえた福留繁連合艦隊参謀長

 汚職とか女性スキャンダルはどの組織にもみられるが上の事例は常軌を逸している。

 さらに深刻かつ致命的であったのは組織が機能不全に陥ったことである。
 目的合理的に運営すべき組織の人事が士官学校や兵学校の卒業時の序列で割り当てられたり、同期あるいはかっての上司・部下関係など人間関係がハバをきかせた。
 機能集団であるべき軍隊組織が共同体化してしまったのだ。
 たとえば(前掲書から抜粋・加筆)
 ・機動部隊の司令長官 南雲忠一中将は水雷屋であり航空専門ではなかった。
 彼はハワイ真珠湾の第二撃を中止しみすみすチャンスを逃した。
 ミッドウエー海戦では敵艦隊と接触しない新たな形の海戦に適応できず躊躇と無能ぶりを示した。
 無能ぶりは南太平洋の機動部隊同士の海戦でも同じであった。
 卒業時序列で決定されるハンモック・ナンバー的人事の悪例がここにある
 彼をよく知る第十一航空艦隊司令長官塚原二四三は言う。「南雲はその背景、教育訓練、経験および関心などの、どの面からみても、日本海軍航空部門の重要な役職につけるにはまったく不適格であった」
 このような人物が大東亜戦争でもっとも重要な機動部隊の司令官であったことをおもえば背筋が寒くなる。

 ・陸軍の作戦で最も悪名高いインパール作戦は当初の大本営の意に反して決定された。
 この作戦を推進・強行したのは第15軍司令官牟田口廉也中将である。彼はインパール作戦を上司のビルマ方面軍司令官の河辺正三中将(日中戦争勃発時のかっての上司)に上申した。
 河辺中将は他ならぬ盧溝橋事件以来の部下からの上申とあって陸軍大学同期の東條英機首相を説得しこの作戦を承認させた。
 人間関係がハバをきかせた典型的な例である。阿鼻叫喚の地獄となった無謀なインパール作戦はこのような情実で決定された。

 日本は官僚国家である。官僚組織が機能不全になれば国家として機能不全になってしまう。これが大東亜戦争が残した教訓である。
 ひるがえって現代日本、官僚組織は健全といえるか。
大東亜戦争時の陸海軍の組織と今の官僚組織とどう違うのか。
 当時の軍部は政治を壟断した。現代の官僚、代表的な財務官僚は緊縮財政を主導し財政政策を壟断している。実質上政治を壟断しているという意味では当時も今も同じ。
 陸士、海兵卒と、かって大蔵一家を呼ばれた財務官僚の結束の固さも同じ。

 日本は空気が支配する社会である。「公債残高は税収の約15年分に相当、将来世代の大きな負担に」「ムダ使いするな」「節約だ」「緊縮だ」
 ひとたびこれら官製のプロパガンダがゆきわたればこれが人びとを束縛する。
 いくら経済学者やエコノミストが理詰めでその間違いを指摘しても効果なし。
 そうなれば政治家のデフレ脱却スローガンも人びとには空虚にしか聞こえない。

 国民が選んだ政治家の主張が官僚に阻まれ頓挫する現状はどうみても正常ではない。
 最高権力者である首相が掲げた三本の矢のうち第一の大胆な金融緩和はまともに放たれたが、第二の機動的な財政政策は緊縮財政となり、第三の民間投資を喚起する成長戦略は、企業がひたすら内部留保を積み増す結果だけに終わった。
 第二と第三は首相の意図に反しデフレ脱却へのベクトルが逆である。これではデフレ脱却は覚束ない。
 これは前述のごとく政治家がデフレ脱却の政策を知らないからではなく実行できないからである。

 さればどう対策すればよいのか。組織の構成員は官僚組織に限らず上を向いて仕事をする。下を向いて仕事せよといってもそれは無理なこと。
 機能集団であるべき組織が共同体化しているのは官僚組織にかぎらずひろく民間組織にもゆきわたっている。
 官僚の機能不全を声高に叫んだところで仕方がない。問題とすべきは不正、腐敗をチェックする機能である。
 19世紀イギリスの思想家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」といった。絶対的権力にはチェック機能がない。
 官僚組織が機能不全になるのは、官僚に対するチェック機能が働かないからである。
 現代日本でそれができるのは政治である。デフレ脱却は政治が正常に機能すること、これ以外に解決の途はない。
 ヒットラーはインフレ下で決起に失敗したがデフレ下で合法的に政権奪取に成功した。ジンバブエのムガベ前大統領はハイパーインフレ時にはその地位が揺らぐことはなかったがデフレになったとたんその座を追われた。
 いずれもデフレを甘くみた結果であった。

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