2017年3月20日月曜日

森友学園問題

 国有地の払い下げで明るみになった森友学園問題、この官有物不当廉売は”明治14年の政変”の原因の一つともなった古くて新しい問題である。
 経緯を見れば不自然であることは一目瞭然である。
① 平成27年5月近畿財務局と森友学園が10年間の定期借地契約を締結。
  (広さ8770㎡の土地を227万5千円/月)
② 平成28年4月大阪航空局は森友学園が負担した土地汚染廃棄物の除去費用を支払う。
  (支払額 1億3176万円)
③ 平成28年4月大阪航空局から近畿財務局へ地下埋設物等撤去費用等見積を提出。 
  (見積額 8億2200万円)
④ 平成28年5月不動産鑑定士評価書を提出。
  (鑑定評価額 9億5600万円)
⑤ 平成28年6月国有地を近畿財務局と森友学園が売買・所有権移転の買戻特約付随意契約を締結。
  (契約金額 1億3400万円)

 上記②~⑤から森友学園は9億5600万円の国有地を実質224万円で購入したことになる。タダ同然と言っていい。
 国会でこの経緯を糾されて政治家も官僚も違法性はなかったと堂々と述べている。
 しかも情報公開法に反することなく交渉経過の資料は廃棄したという。
 だれも不正は働いていないのに国有財産がタダ同然で売却された事実だけが残った。(もっとも森友学園側の小学校設立申請取り消しで土地は返還される予定だが)
 この取引で利益を得たかもしれない当事者は森友学園だけである。
 政治家も官僚も目に見える利益を得ていない。が、目に見える利益がないからといって利益がないわけではない。
 否、それ以上の利益があるからこそ官僚機構をあげて森友学園を応援した結果があの土地売買契約であると考えるのが自然だ。
 この取引は森友学園の働きかけにより政治家と官僚が阿吽の呼吸で森友学園を優遇した。これ以外には考えられない。 だがいくら追求してもその証拠・事実は突き止められないかもしれない。事実を突き止めるには障壁が多すぎ明らかな官僚の法令違反も見当たらないからである。まして誰が指示したかなど分かる筈もない。
 一昔前の学生寮の悪しき伝統。灯りを消した暗い部屋で、理由もなく生意気だからといって新入寮生をなぐった上級生たちのうち誰が犯人かを突き止めるのと同じように難しい。
 本件は財務省の裁量が際立つ。9億5600万円の国有財産を224万円で売却するなどという裁量行政は異常だ。
 国民をなめてかかっているといわれても弁解の余地もあるまい。官僚が国民をなめているのは日本と同じく一昔前のドイツでも同じであったらしい。

 1904年アメリカを旅行したドイツの社会学者マックス・ヴェーバーはアメリカの労働者に質問した。

 「自分たちであんなに公然と軽蔑している政治家たちに、どうしてあなた方は統治されているのか。
 アメリカの労働者にこう尋ねると、15年前(1904年)までは、次のような答えが返ってきた。
 『あんた方のお国のように、こっちをなめてかかったお偉い官員さまよりも、こっちでなめてかかれる連中を役人衆にしとく方がこっちも気が楽なのさ』
 これがかってのアメリカ『民主主義』の立場であった。」
(マックス・ヴェーバー著脇圭平訳岩波文庫『職業としての政治』)

 マックス・ヴェーバーは税金や国有財産をあたかも私有財産のごとく扱う官僚を家産官僚と名付けた。
 家産官僚は前近代社会の産物であるともいっている。
 森友学園問題では、曖昧な行政上の指導・示唆、法的な根拠のない口頭での指示・示唆など法治ではなく人治の限りが尽くされた結果であり、そうでなければあのような非常識な売買が成立する筈がない。
 関係者はさぞかし当局官僚の一顰一笑に右往左往したことだろう。
 森友学園問題は日本社会が未だ前近代社会の一面を持ち合わせていることの証左であり、そのことを暴いて見せた。

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