米国民のみならず世界中が驚きそして懸念した。この先世界はどうなるのか、と。
ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは選挙の結果をうけてニューヨーク・タイムズ紙にこう寄稿した。
「世界は地獄へ向かっているが自分にできることは何一つない、ならば自分の庭の手入れだけしていればいい、と。
私は『その日』以降の大半はニュースを避け、個人的なことに時間を費やし、基本的に頭の中をからっぽにして過ごした。(中略)
おそらく、米国は特別な国ではなく、一時代は築いたものの、いまや強権者に支配される堕落した国へと転がり落ちている途上にあるのかもしれない。」(NYタイムズ、11月11日付 抄訳から)
トランプ大統領になって米国はどうなるのか、国際社会はどうなるのか。時代の流れとトランプ氏個人の問題を区別して考えてみよう。
まず、時代の流れから。
アメリカを覇権国の地位にのぼらせた要因の一つにグローバリズムがある。
国際企業家がアメリカを経済的・軍事的に強力な国に仕立てあげたのだ。
そして今やアメリカの覇権国としての地位を脅かしているのもグローバリズムである。
グローバリズムの負の遺産である格差拡大がアメリカ社会を蝕み始めている。
このことは4年に一度米国国家情報会議が大統領選挙にあわせて提出する報告書に経済的不安要素の一つに挙げられている。2012年12月の報告書には次の3つを挙げて
いる。
1 非効率で高額な医療保険
2 中等教育の水準低下
3 所得格差
上記の3はグローバリズムがもたらした負の遺産である。
グローバリズムの負の遺産とは何か。富の一極集中と製造業の疲弊である。製造業の疲弊は主にグローバルな自由貿易に起因している。
2国間の貿易は、双方が比較優位を持つ財に特化し、他の財の生産を貿易相手国にまかせるという国際的分業をおこなう。この分業により貿易当事国は貿易を行わなかった場合よりも利益を得ることができる。
これがデヴィッド・リカードの比較生産費説(比較優位)である。
だが、リカードの学説は特定の諸条件のもとにおいてのみ成立し、その条件が成立しなければ正しくないことが明らかになった。
「その特定の条件とは何か。それにはいくつかのものがあるが、とくに重要なものを挙げると、
(1) 静学的であること。つまり、ダイナミックな経済変動を考慮に入れると、比較生産費説は成立するとはかぎらない。
(2) 収穫逓増ではないこと。つまり、大規模生産の利点(多く作れば作るほど生産性が向上すること)がある場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。
(3) 外部経済、外部不経済が存在しないこと。つまり、公害や産業の地域開発効果、あるいはデモンストレーション効果(後進国の国民が先進国の国民のまねをすること)などが意味を有する場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。
この三点である。このような理論経済学の進歩によって、比較生産費説のジレンマは、じつはジレンマでも何でもなく、特定の諸条件のもとにおいてのみ成立する比較生産費説を、あたかも無条件で成立するかのごとく錯覚したものであるのにすぎないことが明らかになった。
このことから得られる結論は明白であり、かつ重大である。
すなわち、自由貿易は、いついかなる場合でも最良の経済システムとはかぎらない。
ある国が、自由貿易をおこなうことによって、かならず、よりよくなるともかぎらない。」
(小室直樹著光文社『アメリカの逆襲』)
アメリカの前の覇権国である英国も帝国主義全盛のころその国力を武器に他国に対し自由貿易を推し進め自らの地位の安定をはかった。
現在のアメリカはグローバル化が極度にすすみ富が一部国際企業家に集中して格差が拡大し、製造業が疲弊した。
自由貿易は善だ、グローバル化は善だとばかりに突き進んだ結果がこれだ。
リカードの比較生産費説の成立条件などそんなめんどくさいことなどてんで考えないで突き進んだ結果がこれだ。
此度の大統領選挙でもこれらが争点となった。そして内向きアメリカファーストを掲げたトランプ候補が勝利した。
この内向き不干渉主義はアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが宣言したものである。いわばアメリカ誕生時の国是への先祖返りである。
この意味において驚きでも何でもないが覇権国から脱落する速度を早める結果になることは間違いないだろう。他国へ干渉しない覇権国などありえないからである。潮目がはっきりと変わった。
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