2015年5月4日月曜日

核兵器と戦争 5

 中国は2009年以降、領土にかかわる核心的利益として台湾、チベット、東トルキスタン、南シナ海、尖閣諸島を掲げ、これらに関して譲歩することはないと言明している。
 中国が尖閣諸島で譲歩しなければ紛争は継続する。紛争は必ず決着されなければならない。
 今や残された道は限られる。戦争以外の解決方法がなければ戦争となる。
 尖閣諸島をめぐってもその懸念が払拭しきれない。
 尖閣諸島で日中が武力衝突してもアメリカは経済制裁のみで武力介入しないことも予想される。
 そしてこの戦いで日本が敗北すれば戦後70年つづいてきた日本のあり方が根底から問われることになる。

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 このわが国憲法の前文、戦勝国によるおしきせではないかと久しく言われてきた。文法的にもおかしい日本語である。が、すくなくともここに高々と掲げられた理想を戦後の国民は最高法典として戴いてきた。
 それが根底から崩されることになる。戦後70年日本人は、” 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して” 自主防衛をおろそかにしたツケを払わされることになる。
 唯一の被爆国であるわが国は、ひたすら平和を願いそのことを世界に発信しつづけてきた。
 そうすれば平和を保たれると信じてきた。憲法の前文をそのまま信じたと言ってもいい。
 そして国家の防衛は自主努力よりもむしろ他国依存を優先した。
 尖閣諸島を奪われても、アメリカが武力介入しなければ核戦争は避けられたとして国際社会はむしろ安堵するかもしれない。
 当面の危機を逃れるため独裁政権のわがままを見過ごすといかに危険か。
 ドイツ系住民が多数を占めていたチェコスロバキアのズデーデン地方の帰属問題に関するミュンヘン会談におけるヒットラーに対する宥和政策、近くはロシア系住民が多数を占めているクリミアを併合したプーチン大統領に対する経済制裁。
 これら独裁政権に対する優柔不断な対応は一時の平和には寄与するかもしれないが永続する平和を保障しない。
 中国による尖閣諸島奪取とて例外ではありえない。紛争にしろ戦争にしろその性質上拡大する。どちらか一方が譲歩しない限り。
 日本が尖閣諸島で中国に敗北し譲歩を続ければ、一時的に東アジアに平和が訪れるだろう。
 そうなれば第二次大戦後の旧ソ連に対するフィンランドのように、日本は中国の勢力圏にまきこまれ ”フィンランド化” した資本主義国となる。
 日本人はそのような日本を望むだろうか? 今でさえ媚中的発言をする一部政治家がいる。
 片やそのような日本は見たくないという人もいるだろう。
 戦争敗北となれば必ずや国論は二分され、日本社会はアノミーさながらになる。
 このように選択肢が限られるのは、たとえ日本がいかなる運命と辿ろうと核戦争に巻き込まれるのだけはイヤだというのがその根底にあるからであろう。
 核兵器時代以前の選択肢とは明らかに異なる。

0 件のコメント:

コメントを投稿