アベノミクス第一の矢、大胆な金融政策の効果を全て否定する人がいる。誰あろう否定論者は、外国からではなく、国内からであり、理論経済学者 伊東光晴京都大学名誉教授がその人である。
雑誌『世界』2013年8月号に寄稿した論文「安倍・黒田氏は、何もしていない」で綿密にデータを駆使し理路整然と異を唱えている。
当該論文の要点を整理してみよう
アベノミクス関連イベント
2012・11・16 野田首相の衆議院解散決定
2012・12・16 政権交代
2013・03・20 黒田日銀総裁就任
2013・04・04 黒田総裁のもと最初の日銀金融政策決定会合
アベノミクスは大胆な金融政策によって通貨供給量を大幅に増加させたが、その結果は、その大部分が日銀にある各銀行の当座預金の増加となっているだけで、それが引き出され企業に融資されて設備投資となるなど、実体経済の活性化をもたらすものにはほとんどなっていない。
白川前日銀総裁時代と質的に何ら変化はなく、当座預金勘定が量的に増大しただけである。
にもかかわらず、株価が上昇し、円安が進行したのはつぎの理由による。
株価の上昇について
日本の株式市場は特異で、主に外国人によって売買され、日本は証券市場という場所を貸すだけのウィンブルドン現象を呈している。外国人の日本株保有比率は約25%であるが、彼らは高速売買を繰り返し、日本の個人株主がそれに便乗しようとする。このため株価を決定するのは実質上外国人という特殊性がある。 この外国人の投資行動は背後にいる投資ファンドによって左右される。投資ファンドは、米国株、ヨーロッパ株、アジア株に分散投資しており投資比率の大枠もそれぞれ決まっている。
米国株とヨーロッパ株は2012年前半にはリーマンショック以前に戻していたために、買い増しする余地がなくなりかけていた。
2012年6月にはアジア株、その中心の日本株に向かわざるを得ないと予想されていた。2012年10月から外国人はそれまでの売り越しから買い越しに転じた。このように、2013年11月からの株価上昇は政権交代とは関係ない要因で起こったものである。
円安を解剖する
財務省の為替介入によって円安はもたらされた。円安のための円売り、ドル等の買い、そのドル等は外国国債、ほとんどがアメリカの長短の国債に換えられる。これは、アメリカ政府の望むところである。日本の円高是正のための円売りドル買いがアメリカ国債購入となるならば、アメリカも日本の為替介入を黙認してゆくことになる。
為替介入は現財務官が行うことであって、黒田日銀総裁とは何の関係もない。為替介入のための短期国債の大量発行とこれをセットオフするための大幅金融緩和。こうした一連の政策の輪は、安倍首相があずかり知らぬところで進行し、円高から円安への急速な移行もアベノミクスとは無関係の動きである。
アベ・クロノミクスの評価
第一に為替安定のための正攻法である、投機資金のいたずらなる動きを抑えるト-ピングタックスである。わずかな税率でも取引回数が多いと投機を抑制できる制度であるが、アメリカの反対で実現せず、金融市場の混乱だけが残った。
第二に期待は多様であるが、アベノミクスでは株価上昇や円安という期待は一様であると考えるところに誤りがある。現実はそうならない。
第三に金融政策の非対称性を知らない愚論が横行している。金融政策はインフレ対策には有効であるが不況対策には無効である。
有名とされる「紐のたとえ」によると、紐を引っ張ると同様に中央銀行の緊縮政策によって銀行貸し出し量を減らし、それによって貨幣供給量を減らすことはできる。しかし、紐を押しても効果がないのと同様に、銀行貸し出し及び貨幣供給量を増やすことはできない。
複合不況
トヨタの五月の決算発表時 豊田社長は「日本の国内市場は縮小している」と発言した。日本市場の縮小、これに鋭くメスをいれているのは藻谷浩介氏であり、かれは日本の生産年齢人口の減少が問題であると指摘している。これが円高とあわせた現在の不況の複合要因である。
伊東教授の論旨は明快である。ここまで理路整然と自説を展開されるから宗教指導者よろしく多くの弟子を惹きつけて止まないのかもしれない。
だが、しかしである。データそのものに問題はないにしても、これの扱いには疑問なしとはしない。
順を追って検討してみよう。
伊東教授が指摘しているように大量に供給された通貨は日銀の当座預金に積みあがったままである。それにもかかわらず、株価は上がった。
その原因は外国人投資家自身の内なる理由によって日本株を買ったのであって、それは民主党政権であろうが自民党政権であろうが変わりはないと断言している。
が、株価ほど気まぐれのものはない。政権政党変更と株価の関連性無視は極論にすぎよう。
たとえば時の政権が資本主義に親和的であるのか否かによって投資家の投資行動も変わるだろう。政治は運命であると古人もいっている。
円安は為替介入の結果であると伊東教授は言う。本当にそうなのだろうか。基軸通貨でない円は、日本国内でないと通用しない。ドルに交換しようが、米国債を購入しようが、交換または支払われた円は国内に止まる。国内における円の流通量は変わらない。
為替は物品と同じくその他の条件を捨象すれば当然ながら希少性があれば高騰し、そうでなければ下落する。特に為替取引をするヘッジファンドのジョージ・ソロスなどはこの考えの下に取引しているといわれている。
また、為替は2国間の交換レートであるからそれぞれの通貨国の経済状況にも左右されるという複雑な面がある。
為替介入は一時的には影響するかもしれないが持続するものではない。
長期的には一方の通貨の増刷によりもたらされる相手国通貨に対する相対的希薄化および2国間の経常収支等の経済状況にこそ為替レートの決定となる要素が多いと考えるのが妥当ではないか。
アベ・クロノミクスの評価で、有名な「紐のたとえ」は指摘の通りであり金融政策に並行し財政政策の必要性はつとにいわれている。
伊東教授は、トヨタの2013年3月期の決算を引用して複合不況について述べている。
営業利益1兆3288億 主な内訳
販売増 6500億(49%)
コスト削減 4500億(34%)
円安効果 1500億(11%)
円高の是正の影響は全体の11%に過ぎない。利益の大部分は自己努力で、政策と何の関係もないと断言している。
最も貢献している販売増は、確かに自己努力に違いないが、円高の是正があってはじめて達成されたのではないか。
伊東教授は、豊田社長のコメントを引用したあとで、現在の不況は生産年齢人口の減少にありと説く、藻谷浩介氏を高く評価している。
藻谷氏は、「いま起きているのは、車や家電、住宅など、主として現役世代にしか消費されない商品の、生産年齢人口=消費者の頭数の減少に伴う値崩れだ。これはマクロ経済学上のデフレではなくて、ミクロ経済学上の現象である。」と主張している。
生産年齢人口の減少は、成長の阻害要因ではあるが、世界にはドイツなど生産年齢人口減少国でなおかつ成長している国があるのも事実である。
伊東教授は理路整然と自説を展開されているが、なぜかその論調には素直に首肯できないものがある。論理そのものではなくその基となる素材の扱い方に疑念がある。いかなる場合も批判精神は健全に保ちたい。
アベニミクス第二の矢、機動的な財政政策と第三の矢、成長戦略については様子を見別途検証したい。
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