丸山真男は、敗戦の翌年 雑誌”世界”に寄稿した論文「超国家主義の論理と心理」で、日本のファシズムを鮮やかに分析した。
民主主義を実現するためには、まずこれを阻害していた要因を解明することからはじめなければならないが、この論文はその目的を果たすに余りある。
敗戦後の約半年後、国内の、それも自ら軍隊生活を経験した新進気鋭のこの政治学者の論文は新鮮な驚きをもって受けとめられたという。
同論文で日本の戦争責任について論じている。
「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているにちがいない。
然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。
何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか。
我が国の不幸は寡頭勢力によって国政が左右されていただけでなく、寡頭勢力がまさにその事態の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである。」
このように、誰もはっきりとした戦争責任を負わないという無責任体制であったことを指摘している。
さらに同論文で、きわめて暗示的として、東條英樹首相の発言を紹介している。
衆議院戦時行政特例法委員会で、首相の指示権の問題について、喜多壮一郎氏から、それは独裁と解してよいかと質問されたのに対し、
”独裁政治といふことがよく言はれるがこれを明確にして置きたい。(中略)東條といふものは一個の草奔の臣である。
あなた方と一つも変わりはない。ただ私は総理大臣といふ職責を与えられている。
ここで違ふ。これは陛下の御光を受けてはじめて光る。陛下の御光がなかったら石ころにも等しいものだ。
陛下の御信任があり、この位置についているが故に光っている。そこが全然所謂独裁者と称するヨーロッパの諸公とは趣を異にしている。”
と東條英樹首相の独裁についての見解を紹介し
「こうした自由なる主体的意識が存在せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。
上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。」
と分析している。
究極的権威である天皇に近ければ近いほど権威が増し、遠ければ逆となる。
各階層ごとに、上からの圧迫感を自分より下のものに捌け口をもとめてバランスを保つというシステムがなりたっていた。
このシステムの故に、外地での残虐な行為は、責任の所在はともかく、直接の下手人は、二等兵によってなされていたという。
隊内では二等兵でも、一たび外地に赴けば、皇軍として、日ごろの圧迫感の捌け口を求めたとしても不思議ではない。
このように日本のファシズムは、恰もはっきりした司令塔不在の自動機械のようにずるずると戦争に突入していったが、その中で個人は、巨大な機械の部品として埋没し、そこには主体的自由意思のかけらも見出すことはできない。
個人の自由なる主体意識の確立。これなくして民主主義は成り立ちようがない。
丸山真男は、自らも身をもって体験した、日本のファシズムを分析することにより、まず、民主主義実現のための糸口を求めた。
次に、以前より取り組んできた日本政治思想史の研究を深め、如何にして日本に民主主義を根づかせるかにつき数々の論文を発表した。
丸山真男の研究の影響は大きく、戦後民主主義の理論的リーダの役割を担った。
次稿で、研究の核心について触れて見たい。
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