イスラム教の教典コーランはキリスト教との相違点についてにつぎのようにのべている。
「これ啓典の民よ、宗教のことで矩を超えてはならぬ。神について真理以外を口にしてはならぬ。
マリアの子救世主イエスは、ただ神の使徒に過ぎぬ。マリアに託された神のお言葉であり、神の霊力である。
だから神を信じなさい。”三”などと言ってはならぬ。控えるがよい、身のためだ。アッラーこそ唯一の神、讃えあれ。
神が子を持つなどありえない。天にあり地にあるあらゆるものが神の管理の下。いかようにもしてくれよう。
救世主とて、神の僕であることを軽んじはしない。近侍する天使たちとてそう。神に伺候することを軽んじ、偉ぶる者たちは、終末の日に神がひとまとめにして喚びつけてくれよう」 池内恵訳ブルース・ローレンス著コーラン第4章婦人第171~172節
イエスは神ではなく人にすぎない、イエスもムハンマド(マホメット)と同じく一人の預言者だ。父と子と精霊が一体となる三位一体説などを否定し、神はただアッラー1人と断じている。
コーランに従えばユダヤ教とキリスト教の関係は時系列的にも次の順序を辿る。
① ユダヤ教 旧約聖書 預言者 アブラハム・モーゼ
② キリスト教 新訳聖書 預言者 イエス・キリスト
③ イスラム教 コーラン 預言者ムハンマド
イスラム教は、古い教えのユダヤ教やキリスト教を大事にし高く評価するが、コーランこそが最終的に辿りついた正しい教えであり、ムハンマドが最後の預言者である。
以後の預言者の出現は有り得ない。
キリスト教の予定説などと異なり、イスラム教では、善行を積めば来世で救済されると教える。
イ スラム教の善行とはなにか。その前にイスラム教徒として次の六信五行をはじめコーランに従う行動をとってはじめて信者たり得る。
六信
1 神 2 天使 3 啓典 4 使徒 5 来世 6 定命
五行
1 信仰告白 2 礼拝 3 喜捨 4 断食 5 巡礼
このうち社会学的に注目すべきは”巡礼”だ。この巡礼では、恵まれたものも、恵まれないものも、同じ格好をし全てが平等である。
人種、国境その他全てをのりこえアッラーのために祈る。イスラム社会の連帯感の源泉はこの巡礼にあるのだろう。そこにはわれわれを苦しめるアノミーなど無縁の世界がある。
イスラム教徒に求められる善行とは、イスラム法に従った行動をとること。
イスラム法の骨子は
① コーラン
② 預言者の言行録
である。
コーランを憲法にたとえれば、預言者の言行録は、さしずめ細則や判例といったところか。
預言者の言行録は、言葉だけでなく、振るまいや様子などの状況も詳細に述べられている。
イスラム教ではイスラム法に従ったものだけが天国にいける。そうでないものは地獄いき。
天国行きか、地獄行きかはキリスト教と同じく最後の審判できまる。
天国は具体的に描写されている。
男性は天国で永遠の処女72人と関係をもつことができる。けして悪酔いすることのない酒や、果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる。
このようにイスラム教は、キリスト教などとくらべ、分かりやすく具体的な宗教である。
ムハンマドを最後の預言者とし、アッラーを唯一絶対の神と崇め、宗教戒律、倫理規範、国家の法律との一致、これこそイスラム教という宗教の強みである。
が、民主主義も資本主義も近代法も、すべて西欧のキリスト教に遅れをとった。それは、この宗教のもつ強みがそのまま弱みとなったからであった。
小室直樹博士はこの点を鋭く分析している。
「ムハンマドは最後の預言者であるので、新しい預言者が出てきて、ムハンマドが決めたことを改定するわけにはいかない。つまり、神との契約の更改・新約はありえない。
未決事項の細目補充は可能だが、変更は不可能。このような教義から、イスラムにおいては、法は発見すべきものとなり、新しい立法という考えは出にくくなった。
必然的に中世の特徴である伝統主義社会が形成され、そこを脱却できる論拠を持ち得なかった。」
また資本主義については
「資本主義を成立させるための、法律、規範、人々の行動様式は、すべてこの外面的行動だけを規制している。
例えば、資本主義の憲法は、"良心の自由”を確実に保証し、国家権力や、それ以外の権力が人間の内面に侵入することを絶対に拒否している。
このゆえ、宗教の自由は確保されている。しかし、イスラム教のように人間の内面と外面が密接に絡みあっているよう宗教ではこうはいかない。イスラム法が資本主義と矛盾したときはどうなる。 イスラム法が優先されれば、資本主義の法律は機能しなくなるかもしれない。”イン・シャー・アッラー(アラーの思し召しによって)”という思想は、資本主義的約束不履行のための慣用句のように、資本主義諸国ビジネスマンにはおもわれているだろう。
人間の間の契約が絶対でなければ、資本主義は機能しえない。
このように、資本主義とデモクラシーと近代法とが成立し、機能するためには、パウロ的な、人間の外面と内面、行動と内心とを峻別する二分法がどうしても必要だったのである」
イスラム教は分かりやすい宗教であり、最も宗教らしい宗教といえるかもしれない。ただひたすら来世のために善行を積む。
イスラム教五行に一つ加えジハード(聖戦)がある。
若者を自爆テロに勧誘するにあたり、殉教すれば天国にいけると説得しているともいはれている。
不幸なことに、これもまた宗教の一面であることに違いはない。
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