2013年5月6日月曜日

道州制考 2

 明治政府は、列強の帝国主義政策という外敵から守るためにも、近代化をあらゆるものに優先させた。
 幾多の障害を乗り越えたが、その中でも廃藩置県は、最も身を削る改革であった。
 長年つづいた武士階級の廃絶という荒療冶を断行した。革命というに相応しいレジームチェンジであった。
 列強の植民地政策である、”分割して統治する”という常套手段に、先手をうって中央集権体制を確立し、列強に対抗した。明治の志士の最大の功績の一つだろう。
 これに対し道州制はどのような位置づけになるのだろうか。県よりもさらに広域の州にしようとする、廃県置州とはなにを目指すのか。
 道州制導入の熱心な論客であり、同支持者の精神的バックボーンでもある堺屋太一氏の所見を検証して見よう。
 堺屋氏によると、

 人々は、自動車に代表される大量生産型の近代工業社会に、もはや満足していない。
 多様性と独創性を尊ぶ知価社会型を人々は求めている。
 前者は、中央集権体制が相応しかったが、後者は地方主権型が相応しい。
 中央集権が行き過ぎ、情報発信機能が東京のみに集中した「情報出島」構造を解消、各道州に情報機能を高める。
 自分のお金、市町村のお金、国家のお金とだんだん遠くになるに従って、使途が杜撰になる。
 厚生労働省のグリーンピア保養所など、役所の独断と偏見による無駄遣い以外のなにものでもない。
 公共事業、教育、医療、産業振興、観光、運輸等の政策と行政に地域の特性を反映させる。
 国と道州の住み分けとして、国の業務はつぎの17に限る。
 「皇室、外交、防衛、通貨、通商政策、移民政策、大規模犯罪、国家プロジェクト、大規模災害、高等司法、究極的なセーフティーネット、全国的な調査統計、民法商法刑法等の基本法に関すること、市場競争確保、財産権、国政選挙、国の財政税制。」
 道州内の地域の調整は道州がおこない、道州間調整は「道州間調整委員会」が行う。道州間調整のための財源として、租税の一部を「道州調整基金」に入れる。


 堺屋氏の基本的立場は、大量生産型社会から知価社会へと時代の要請が変わったこと、および中央集権体制が制度疲労を来し、今や有害になってきた、の2点であろう。
 自ら官僚として、また内閣の一員としての経験に裏打ちされており説得力がある。

 一方、道州制導入に真っ向から反対している、内閣府参与 京都大学大学院の藤井聡教授の論拠は、

 第一に、今回の東日本大震災がその典型であるが、今日本にまさに襲いかからんとし ている巨大災害は、個々の自治体や道州政府のレベルを完全に超えた規模になる。
 そうした規模の災害に対しては、今回の大震災に対する対応がまさにそうで あった様に、国家組織である自衛隊に加えて、「地方整備局」の組織力が不可欠だ。
 しかし、道州制になれば、地方整備局が解体されることとなっている。それ では巨大地震に対応できず、見殺しにされる被災者が続出することとなるだろう。
 その証拠に、整備局解体を含めた(九州、関西等の)「広域連合」の権限強化 の動きに、実に全国の400以上もの市町村長が明確に反対を表明しているのだ。
 つまり現場を知る者の生の声では、整備局解体などは、論外、以外の何物でも ないのだ。
 第二に、公的事業のための財源調達において公債は極めて重要な意味を持つ。この 時、同州政府に財源が移管されていれば、地方債を発行せざるを得なくなる。
 しかし地方債は国債と違い、最終的に中央銀行による買い支えが期待できない。
 そ の結果、大規模な公債発行が不可能となり、各種事業が大きく停滞することとなるだろう。その上、中央銀行の後ろ盾が無い以上、地方債では「夕張」の様に破 綻するリスクが格段に高くなってしまうのだ。
 第三に、道州制に移行するとはつまり、都道府県が無くなるということだ。おそら く、多くの国民はそれをリアルには理解していないのではないか。都道府県が無くなれば、奈良県民、鹿児島県民、福島県民といった「アイデンティティ」が急 速に崩壊していくことは間違いない。

つまり道州制への移行は行政システムの形だけに影響を及ぼすのではなく、自分は何物かという人間の根幹にも関わる問題 なのだ。
 一度「自分の都府県が無くなる」、という事を、全国民が少しは真面目に考えてはどうだろうか。


 藤井教授によれば、軍隊と中央銀行のない道州は、中途半端であり、地方主権というのもおこがましい。親の庇護で生きている中学生が「俺は独立だ、何でも俺が決めるんだ」と叫んでいるようなものだ、と揶揄している。


 明治維新の廃藩置県は、大久保利通はじめ、維新の立役者が、不退転の決意で断行した革命であった。

 道州制導入は、単なる都道府県合併ではなく、主権を道州に移すのであれば、廃藩置県にも匹敵する改革である。
 が、道州制には、なぜか革命を思わせるような熱気が感じられない。
 これは、どこにその原因があるのだろうか。




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