2018年6月11日月曜日

AI時代の格差問題 1

 フランスの経済学者トマ・ピケティは、15年の歳月を費やして200年以上の資産や所得の厖大なデータを収集・分析した。
 その結果、資本主義の下では株、債権、不動産などの資本から得られる配当、利子、賃料などの収益の増加率が労働によって得られる賃金の上昇率を常に上回り格差は拡大し続けるばかりと結論づけた。
 18世紀の産業革命から2010年まで世界の経済成長率は平均1.6%であったが資本収益率は4~5%であったという。
 この分析結果をもとに彼は格差拡大のメカニズムを不等式  r>g  で説明した(rは資本収益率、gは経済成長率)。
 次図は高額所得者の所得シェアの国際比較である。第二次世界大戦で所得格差が大幅に縮小したが戦後再び拡大している様子が見てとれる。
 日本の場合上位10%のシェアでは図のように米英などアングロサクソン寄りとなっているが、上位1%のシェアではドイツ、フランスなど欧州大陸寄りになっている。
 これは日本の格差拡大の問題点が富裕層の増加より低所得層の増加にあることを示している。これを裏付けるように所得が中央値の半分に満たない人の割合を示す相対的貧困率が1985年の12%から2012年の16.1%に上昇している。


 
 格差拡大は以前から問題とされてきたがピケティによって改めて大々的にクローズアップされた。格差は資本主義の宿命であるのでこれが対策としてピケティは累進課税の富裕税を提案している。
 だが、最近は資本主義の宿命などで済まされそうにないことが起こりつつある。
 人工知能AI時代の到来である。この未だかって経験したことがないような革命が到来すれば格差問題の処方箋も従来の考え方を捨て去らなければならないかもしれない。それほど深刻かつ差し迫った問題である。
 それは今われわれが理念としている自由とか民主主義をも否定しかねないほどの破壊力をもっている。以下AIについて格差問題に焦点をあて考えてみたい。

2018年6月4日月曜日

健全財政の罠 6

 財政健全化の必要性を訴える人がしばしば使うきまり文句がある。
「国の借金が1000兆円あるいはGDPの約2倍という、国際的に見ても突出した規模に及んでおり、われわれは膨大な借金を将来世代にツケ回ししている。」
 発言する人が意図しているかどうかにかかわらずこれは明らかにトリックである。
 大きな嘘に騙されないためにはどうしたらいいか。例えば、財務省のホームページに日本の財政を考えるという動画がある。
 この動画に嘘があるかもしれないと疑問をもつ人がどれだけいるだろうか。
 まずたいていの人は疑念など抱かず親切で分かりやすいと思うだろう。日本で最も権威ある官庁の動画に嘘などある筈ないと。

 だが信じることには偽りが多く疑うことには真理が多い、文明は疑いが進歩させると福澤諭吉は言った。

 「東西の事物をよく比較して、信ずべきことを信じ、疑うべきことを疑い、取るべきことを取り、捨てるべきことを捨て、それをきちんと判断するというのは、なんとも難しいことである。
 そして、いまこの仕事を任せられるのは、ほかでもない、唯一われわれのように学問をするものだけなのだ。学問をするものががんばらなくてはならない。
 孔子も『自分であれこれ考えるのは、学ぶことにはおよばない』と言っている。
 多くの本を読み、多くの物事に接し、先入観を持たずに鋭く観察し、真実のありかを求めれば、信じること疑うことはたちまち入れ替わって、昨日信じていたことが疑わしくなることもあるだろうし、今日の疑問が明日氷解することもあるだろう。学問をする者はがんばらないといけない。」(前掲書)

 正しい判断力、豊かな発想は学ぶことによって獲得される。
 いくら個人で経験を積み、それをもとに考えを廻らしても自ずから限界がある。特に財政についてはそうである。その仕組みが家計と似て非なるものだからである。
 消費税などわれわれの暮らしに直結する財政はわれわれ自身の問題である。にもかかわらず財政など他人事と考えている人は多い。
 好むと否とにかかわらずわれわれは何らかの形で政治にかかわっている。政治にかかわる以上財政の知識があるとないとでは政治を見る目に差がでてくる。
 財政について知識があれば財政政策についてそれなりの判断ができるであろうがなければ判断のしようがない。

 この20年間わが国は財政健全化の旗印のもと緊縮財政策に終始した。この結果成長が頓挫した。
 たとえば隣国中国との比較で、20年前1998年の中国のGDPは日本のわずか0.26倍にすぎなかったが今年2018年の推計では日本の2.73倍とはるか先を越されてしまった。(2018年4月時点のIMF推計値 USドルベース)
 主な原因はデフレ下にもかかわらず緊縮政策というインフレ対策を行ってきたからである。このことは増税と歳出削減の度に景気停滞に見舞われたことからも明らかである。
 緊縮財政は時の政権が主導してきたがお膳立ては財務省というのが大方の見方である。財務省による緊縮財政を誰も止めることができなかった。
 官僚は暴走する。戦前の軍部、そしていま財務官僚とその構図は変わっていない。
 それなら官僚の暴走を止めればいいではないかと簡単に言う人がいるが、それがどんなに大変なことであるか。今も昔も官僚は放っておけば肥大し暴走することは古今東西の歴史が証明している。
 どうしたらいいか。それにはまず暴走を止める環境つくりが必要だろう。
 個人であれ組織であれ権力は強大になればなるほどまた長くなればなるほど腐敗しやすくなる。財務省は国家の徴税と予算編成という権限をもつ。
 徴税権をもつ財務省傘下の国税庁は査察権と国民のすべての資金をチェックできるという強大な権限をもっている。
 権限を分散するには、この国税庁を財務省から完全に独立させ新たに社会保険料と税金を一括して徴収する歳入庁を設置するという方法がある。この案は不祥事が発生するたびに問題提起されてきたがかけ声だけに終わっている。
 政治家、財界人、学者、言論人など日本をリードする階層の過半が緊縮財政策に賛成で事実上財務省を支持しているからである。
 これを実現するのは容易ではない。実現するためには国民の総意が最後のよりどころとなるが一朝一夕にしてできることではない。
 サミュエル・スマイルズが言ったように、国民のレベルが上がれば政治家のレベルもあがる。 
 ここで国民のレベルを上げるとは財政リテラシーを上げることである。これなくして明日への展望が開けない。
 福澤諭吉流にいえば ”財政リテラシーのすすめ” は喫緊の課題であり学問するものはがんばらないといけない。

2018年5月28日月曜日

健全財政の罠 5

 「たいていの人は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい」 アドルフ・ヒットラーは政権奪取前に自著『わが闘争』でこう述べている。
 このヒットラーの言葉が今の日本で現実に起きている。こういっても俄かには信じ難いだろうが残念ながらこれは事実である。しかもその嘘が国家の財政についてであるから事は深刻である。
 例えば
1 日本の借金は厖大で17年末1085兆円(2018.2.9財務省)で赤ん坊を含めて一人当たり858万円となる。
2 財政を立て直すには増税するしかない。とりわけ消費税は現在8%であるが諸外国に比し低すぎる。将来的にはこれを20%にまで上げなければ財政再建などとてもできない。
3 わが国の財政は危機的でこのままでは破綻する。

 これらのことおよびこの類のことが財務省を発信源として広く深く浸透している。それは一般国民だけでなく政界、財界、学界、言論界など国民をリードする立場にある階層にまで浸透している。腕利きのマジシャンの催眠術にでもかかったような浸透ぶりである。

 実態はこうである。
① 国民が借金しているのではなく政府が借金している。貸し手は個人や企業であり一人あたり858万円政府に貸している。
② 消費税収は諸外国に比しけして少なくない。消費税8%の現時点においてもそうである。
 国税の税目別収入のうち消費税が占める割合
        日本     27.9%
        アメリカ    0
        イギリス   26.3%
        ドイツ    35.4%
        フランス   50.5%
        イタリア   27.3%
   (2017年6月財政金融統計月報第782号から)
③ わが国には財政問題は存在しない。国債は自国通貨建てで、かつ90%以上が国内で消化されている。対外純資産328兆円27年連続世界一である。(2018.5.25閣議報告

 なぜこういうことになるのか。消費税を増税すれば消費が停滞し意図に反し減収となることはこれまでの実績が示している。財務官僚もこのようなことでGDPが停滞し国民が貧乏になるのを望んでいるわけではないだろう。特に日本の消費税は欧州と違い一律に課されるため増税は経済的弱者に厳しく経済格差を一層拡大させる。
 彼らに悪意の意図があるとは思えないが目指していることはまぎれもなく日本の貧困化である。
 組織の論理はあらゆるものに優先する。組織には掟があり、内部規範は絶対的である。最近の財務省の一連の不祥事がこのことを図らずも証明している。
 一方、だまされる側にも一定の責任があるだろう。嘘を真実と信じこんでしまう側である。財政に関する正しい知識が不足しているがゆえに易々とだまされてしまう。
 財政リテラシーの欠如は、いまや糖尿病などの生活習慣病と同じく国民の身体を蝕む深刻な経済の病である。

 福澤諭吉は学問とは何かについて定義している。

 「文字は学問をするための道具にすぎない。たとえば、家を建てるのに、かなづちやのこぎりといった道具がいるのと同じだ。
 かなづちやのこぎりは建築に必要な道具ではあるけれども、道具の名前を知っているだけで、家の建て方を知らないものは大工とは言えない。
 これと同じで、文字を読むことを知っているだけで、物事の道理をきちんと知らないものは学者とは言えない。いわゆる『論語読みの論語知らず』というのはこのことである。  『古事記』は暗誦しているけれども、いまの米の値段を知らないものは、実生活の学問に弱い人間である。
 『論語』『孟子』や中国の史書については詳しく知っているけれども、商売のやり方を知らず、きちんと取引ができないものは、現実の経済に弱い人間である。
 何年も苦労し、高い学費を払って西洋の学問を修めたけれども、独立した生活ができないものは、いまの世の中に必要な学問に弱い人間だと言える。
 こうした人物は、ただの『文字の問屋』と言ってよい。『飯を食う字引』にほかならず、国のためには無用の長物であって、経済を妨げるタダ飯食いと言える。
 実生活も学問であって、実際の経済も学問、現実の世の中の流れを察知するのも学問である。和漢洋の本を読むだけで学問ということはできない。」
 (福澤諭吉著斉藤孝訳ちくま新書『学問のすすめ』)

 知識だけでは何にも役に立たない。健全財政という罠にはまってしまって20年以上もデフレから脱却できずにのたうちまわっている現状を解決できなければ、どんな理屈をこねようと、国のためには福澤諭吉流に言えば ”無用の長物” ということになる。

2018年5月21日月曜日

健全財政の罠 4

 近代社会のシステムは複雑多岐で官僚も有能であることが求められる。法律を忠実に執行する能力が官僚に求められる。
 セクハラ疑惑で辞任に追い込まれた財務省の福田前事務次官は辞任会見で「われわれは財政の管理人にすぎない」と語った。
 管理人であれば与えられた目的を達成するのが任務である。管理人が政治に介入することなどあってはならない。
 ところがこれは建前である。現実にはわが国では官僚が政治の領域へ容赦なく踏み込んでいる。
 重要な財政政策は実質官僚が取り仕切っている。本来これは政治家が率先してリーダーシップを発揮すべき分野である。
 官僚にも言い分があるに違いない。なにも好きこのんで政治に首を突っ込んでいるわけではない。そうせざるを得ないからそうしているのだと官僚は弁明するだろう。ここにこの問題の核心の一端がある。
 明治初期多くの青年が読んだ本がある。「学問のすすめ」と「自助論」である。当時の大ベストセラーであり警世・啓蒙の書である。これ等の書は国際的にも地盤沈下した現代のわが国にとっても今なお色あせることがない書である。

 まず「自助論」から
 この本は大英帝国全盛期のサミュエル・スマイルズの書で冒頭近くに国家と国民の関係についてのくだりがある。
 「政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんな理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルまでひきさげられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。
 つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。これは、水が低きに流れるのと同じくらい当然の論理である。
 立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅をきかす。
 国家の価値や力は国の制度ではなく国民の質によって決定されるのである。」
(サミュエル・スマイルズ著竹内均訳三笠書房『自助論』)

 政治家のレベルが低いのは国民のレベルが低いからだ。政治家のレベルを上げるには国民のレベルを上げなければならない。 
 まして政治家を選挙で選ぶ民主主義国家においてはなおさらそうであろう。次図は国民が政治家をどう見ているかの国際比較である。

 


 日本の政治家がいかに信頼されていないかが分かる。日本国民は自分たちが選んだ政治家を信頼していない。 政治家が信用されなければ行政の執行を担う官僚への依存が高くなるのは理の当然である。
 ましてわが国は官僚国家といわれるほど官僚に対する依存度が高い。昔から ”お役人さん” は畏れられもしたが公平で信頼できる人でもあった。だが権限が増大するにつれ官僚の振舞いも次第に尊大になった。
 もともとの習性として官僚は放っておけばどこまでも権力を求める。
 だが官僚の専横を許したのは官僚の習性もさることながらそれ以上に国民と政治家の共同作業によるところが大きい。国民と政治家が長い期間をかけて役人の専横を醸成してきたからに他ならない。
 その結果、役人が政治を実質的に取り仕切るという最悪の事態となった。
 この事態を改善するのは容易ではない。言うは易く行うは難し、だが手を拱いていてはなにごとも変わらない。
 殷鑑(いんかん)遠からず。失敗の手本および問題解決の糸口は身近にある。福澤諭吉の「学問のすすめ」がそれである。少しも色あせていないばかりかすっかり自信をなくした今こそ読まれてしかるべき書である。

2018年5月14日月曜日

健全財政の罠 3

 官僚政治の国家、それがわが国の実態である。建前上は民主国家であるが一歩踏み込めば官僚による統制がゆきわたっている。
 近代国家では立法、行政、司法の三権が分立しそれぞれの役割を担っている。
 ところが日本では建前はそうであっても実質官僚がこれを壟断している。官僚が法律をつくり、運用し、かつ解釈までしている。

 わが国の法案は、議院内閣制であること、政党には党議拘束があることおよび提出時に法案に賛同する人数要件をクリアしなければならないなどのハードルがあり議員立法は少なく殆んどが政府提出法案である。議員立法を33本も成立させた田中角栄は例外中の例外である。
 法案は官僚が起案し内閣法制局を経て閣議決定され国会へ送られる。実質上官僚が法律を作っている。
 重要な政策、例えば骨太の方針は閣議決定される以前に官僚によって外堀が埋められ、内閣はこれを追認するだけ。
 運用については、文科省が獣医学部新設の申請受付を法律の根拠なく中止していたように、裁量行政が普通に行われている。裁量行政がもたらす権力は強大で国民だけでなく政治家までこれに悩まされている。
 官僚は司法にまで手を伸ばす。たとえば条例の解釈などに疑義が生じた場合、裁判所に持ち込まれるのはまれで、殆んどが地方の役所で解釈される。それでも解決しない場合中央にまで持ち込まれ当局がこれを裁定し決着がつく。

 このようにわが国の官僚の振舞いが極めて政治的であることは明らかである。
 古今東西の官僚制を研究したマックス・ウエーバーは「職業としての政治」のなかで政治家の本文と官僚のそれは異なるという。


 「官僚は間違っていると思う命令でも、誠実かつ正確に、あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように執行することが名誉である。このような倫理的規律と自己否定がなければ官僚機構は崩壊してしまう。
 これに反し国政を担う政治指導者は自分の行為の責任を自分一人で負うことが名誉である。責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、許されもしない。
 ゆえに政治的な意味において最も名誉ある優秀な官僚は政治家としては最も無責任かつ道徳的に劣っている。」

 これが有名な ”最高の官僚は最悪の政治家である” の由来である。官僚が自分の本分を離れ政治家の分野に踏み込めば意図せずとも無責任な結果を招くという。
 残念ながらわが国の官僚主導の財政策はその好個の例であり二重の意味で罪が深い。
 デフレ時のインフレ対策という誤った政策であること、およびそのことによる責任を一切負おうとしないことである。

 わが国は今も昔も官僚をエリートと思ってきた。官僚もまた自分たちをエリートと思ってきた。
 順調に国が発展しているときはなんら問題はなかった。ところがそうでなくなると誰かが責任を負わなければならなくなる。
 その責任は誰が負うべきか。これまでの考察では官僚のようにも思える。またそう主張する人も多い。
 だがよく調べてみるとそうでないことが分かる。真の責任は官僚ではなく他にある。
 そのヒントは近代日本の黎明期に求めることが出来る。これが分かれば自ずと解決策も浮かび上がってくる。

2018年5月7日月曜日

健全財政の罠 2

 「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」これが2006年3月小泉政権時の政府によるデフレ脱却の定義である。
 現状はデフレ脱却の兆しがあるとはいえ政府は未だデフレ脱却を宣言していない。
 デフレ時には物が売れない、物を買わない、投資を控える、貯蓄する、このため物価も上がらない。この結果経済活動が停滞しGDPが低迷する。
 したがってデフレ下では景気を刺激しなければならない。デフレ脱却には金融緩和だけでは限界がある。それはここ数年の異次元金融緩和にもかかわらず2%の物価目標に遠くおよばないことで明らかになった。そして財政支援が欠かせないことが徐々に識者の間で認識されるようになってきた。

 ところが現実にはこれに反する政策がとられている。財政健全化の名目で消費税増税と緊縮財政というデフレ対策と真逆のインフレ対策である。
 これは確実に景気を冷やす政策である。1997年以降の実績がそのことを示している。
 なぜこうなっているか、その原因は1980年代後半のバブル崩壊時にまで遡らなければならない。

 戦後の金融・財政政策は良くも悪くも官僚主導であった。バブル崩壊でそれまでの成功体験が根本から崩れ当局は経験したことがないデフレという事態に直面した。なにしろデフレが起きたのは大恐慌の時代以来のことであるから官僚にとっても未知の事態である。
 決められた法律の枠内で忠実に業務を遂行する官僚にとってこの経験したことがない事態の対処方法は最も不得意の分野である。

 そのことがまもなく証明された。バブル崩壊で自信を失くした日本はワシントン・コンセンサスを受け入れた。
 ワシントン・コンセンサスとは1980年代にブラジル・メキシコ・フィリピンなど途上国の累積債務問題の処方箋である。
 ワシントンに本拠を置くIMFなど国際機関の間には一定の合意がありその政策の骨子は市場原理・新自由主義的インフレ対策である。
 折りしも英米ではサッチャーとレーガンがこの政策で一定の成功を収めていた。
 このため渡りに船と思ったのだろうか日本は対外純資産国であるにもかかわらず累積債務問題を抱えた国と同じ処方箋を採用した。
 そして一旦これを採用したら変更不可。官僚の無謬性の原則がそれを許さない。
 先輩が決めた政策を変更すること、それは先輩に弓を引くことになる。そんなことなどできない、できっこない。
 いくらデフレ対策に悖ろうがそんなことはお構いなし。知ったことではない。外部からの意見には聞く耳を持たない。

 共同体の内の規範(内部規範)と外の規範(外部規範)は異なる。内部規範は絶対的であり外部規範は相対的である。ゆえに内部規範が常に外部規範に優先する。
 このことは官僚組織という共同体のみならず組織一般に共通する。マックス・ウエーバーが発見した社会学の法則がここにも生きている。

 財務省が推し進める消費税増税およびプライマリーバランス黒字化に象徴される緊縮財政策は政界、財界、言論界など日本国内に広くかつ深く浸透している。
 一強といわれる安倍内閣もこれを止めることができない。太平洋戦争前の陸軍の暴走を誰も止められなかったように。

 もしこの政策が今後も継続すれば経済格差拡大と貧困化がすすみ最悪の場合かってのアルゼンチンのように先進国から途上国へと逆戻りすることもあり得る。
 アニメ「母をたずねて三千里」は、一人の少年がイタリアからアルゼンチンへ出稼ぎにいった母を訪ねるストーリーである。現代の両国の関係を考えれば隔世の感がある。日本とていつまでも先進国であり続ける保障はない。
 現状ではデフレ下のインフレ対策という狂った政策の軌道修正は望めそうもない。
 このまま日本はズルズルと経済的に弱小国になり安全保障面でも外国の脅威に怯えるだけの国になるのだろうか。
 狂瀾を既倒に廻らす、起死回生の方法があるのだろうか。あるとせばそれは何か。

2018年4月30日月曜日

健全財政の罠 1

 セクハラ疑惑で辞任に追い込まれた福田前財務事務次官は辞任表明の記者会見で今回の不祥事と消費増税や財政再建とを関連づけないでほしいと述べ辞める間際まで職務に忠実であった。
 これに関連して思い出すのは7年前の東日本大震災発生直後のテレビのインタビューで震災復興財源について問われた武藤元財務事務次官の答えである。
 既に退官し民間のシンクタンクに転身していた同元次官
は震災復興税の創設を提案し辞めてもなお財務省の立場を忘れることはなかった。
 健全財政死守は現役OBを問わず財務官僚にとって職務上の教義であるのだろう。教義であればこれに反することは許されない。

 財務省設置法第3条第1項には財務省の任務の一つに健全な財政の確保がある。
 財務官僚はこれを「出ずるを制して入るを量る」方式、具体的には緊縮財政と増税で達成しようとしている。
 メルケル首相が推奨するドイツのシュヴァーベン地方の倹約で知られる主婦の生き方である。
 その結果どうなったか。国民の貧困化と国力の低下である。
 1997年以降消費税増税と緊縮財政によってたびたび景気が腰折れし失われた20年となった。(次図)


出典:IMF World Economic Outlook Databases(2018年4月)世界経済ネタ帳






 緊縮策を採用したEUと日本は低迷しているがそうではないアメリカ、中国は順調にGDPを伸ばしている。
 人口減がGDP頓挫の原因という見方もあるがわが国の高度成長期は今と同じく人口は伸び悩んでいたが生産性向上でこれを達成した。また人口増加率とGDP伸び率には確たる関連性はない。(次図)

                                       高橋洋一氏生成

 GDP低迷の原因を消費税増税と緊縮財政のみに帰することはできないがこれが第一の要因であることは間違いないだろう。
 財政健全化のためには国民貧困化も国力低下もやむなし。だれもこのようなことを意図するはずはないが結果としてこうなっている。
 いまやわが国は個人も企業も投資せずひたすら貯蓄に励み政府は財政健全化の旗印のもと増税と緊縮策を推進する。

 これがわが国の現実でありデータとして表れている。そしてこの施策は改められるどころかなお強化される予定となっている。なぜこのようなことになるのだろうか。