2017年1月30日月曜日

皇位継承について 4

 次に、皇室典範第1条見直し派の主張について。
 皇位の正統性は、古事記の記述、天照大神の仰せ言によっている。曰く
 「天忍穂耳命(天照大神の子)が申されたとおりに、日子番能迩々芸命(天忍穂耳命の子・天照大神の孫)にお命じになって、
 『この豊葦原の水穂国は、お前が統治すべき国である、とご委任があって授けられた。だから仰せに従って天降りなさい
 と仰せになった。」
(中村敬信『古事記』現代語訳)

 このように古事記は天照大神を皇祖神として記述している。天照大神は女性神であり、女系天皇を排除する根拠はどこにもない。
 これが、神話上から女系天皇を容認するべしという皇室典範見直し派の主張である。
 神話をもとに強く主張しているのは、高森明勅氏である。同氏は小泉内閣時の「皇室典範に関する有識者会議」8名のメンバーの一人であった。
 高森氏は男系限定主義は神話からのメッセージではないという。

 「世界各地の神話では、最高神は『男性』であるのが通例だ。
 日本神話の最高神、天照大神が女性神であることは、それらに比べて、かなり目立つ特色と言ってよい。
 さらに見逃せないのは、この神が『女性』であるにもかかわらず、皇室の祖先神とされていることだ。
 血筋は、”男性”のみによって受け継がれるという、シナ流の『男系』絶対の考え方からは、このような神話は生まれる余地がない。
 この点についても述べておく。シナには『血筋』の継承について、次のような考え方が、伝統的にあった。
 生命(気)は、父(男性)からその息子(男性)たちに伝わっていく。
 母(女性)は、生命の形成と伝達について、その『形』を与えるだけ。
 娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。
 祖先からの生命は、世代を超えて男系(父→息子の血筋)を通してだけ、受け継がれる。
 その同じ生命を受け継ぐ者たちの全体が『宗族』と呼ばれ、宗族のメンバーは皆、同じ『姓』を持つ。
 このような考え方は、男尊女卑の思想に由来するのか。それとも、こうした考え方が男尊女卑の思想を生んだのか。
 どちらにしても、こうした『男系』主義の考え方と『男尊女卑』の思想は、きわめて密接な関係にあると見なければならないだろう。
 こうした男系主義の立場を前提とすれば、特定の血族の『祖先』が”女性”ということは、絶対にありえない。
 女性は、自分の血筋を子どもに伝えられない、と観念されているからだ。
 そうすると、神話上のこととはいえ、皇室の祖先神が『女性』神の天照大神とされているのは注目に値する。というより、神話上だからこそ一層、重く見る必要があるだろう。」
(高森明勅著ベスト新書『歴史で読み解く女性天皇』)

 ”長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ”という男系主義者がいう”伝統”も間違った思い込みであると言う。
 その証左に日本には男系血縁集団としての”宗族”がついに生まれなかった。同姓同士は結婚しないというタブーも機能しなかったという。

 「シナ文明に由来する『男系主義』を、わが国のかけがえのない”伝統”と思い込んでしまったことだ。
 男系主義の観点からすると、皇室の歴史は『逸脱』だらけだったことになる。
 皇族同士の結婚なぞは、その最たるものだ。多くの実例があるという程度ではなく、それこそ『あるべき姿』とさえされていた。
 ”易姓革命”なき女性の登場や、母から娘への皇位継承など、シナ男系主義の立場からは想像を絶する事例だろう。
 これらは、もはや逸脱どころか、男系主義への『挑戦』と言っていいかも知れない。
 その背景には、わが国独特の『双系』の伝統があった。そのことが近年、学問的に明らかになっている。その事実を見逃していたのだ。
 だから、日本の伝統にあらざるものを"伝統”とカン違いしてしがみつき、結果として皇室の存続をあやうくするような、『空想的』で『妥当性を欠く』対策案へと迷い込んでしまった。
 一方、女性宮家の創設は、わが国の『神話』と『歴史』から浮かび上がってくる”双系の伝統”に照らして、皇室がより『日本らしく』なっていく、大切な一歩になるのではないか。
 わが国は『女性』を神話上の”最高神”で、しかも皇室の祖先神とする国である。
 シナの男系主義が周囲に大きな影響を与えた東アジアの中で、歴史上10代、8人の『女帝』を登場させた国である。
 『女性宮家』創設をためらう理由はない。それは、むしろわが国にふさわしい『日本らしさ』の新展開と言えよう。」(前掲書)

 古事記や日本書紀などの神話はおとぎ話である。イザナキノミコト、イザナミノミコトの話など本当のことでないことは子どもでもわかる。天照大神のこともそうであり、神武天皇もそうであろう。
 歴史家はそれらのことは史実ではないと言う。そのとおりに違いない。
 が、記紀の作者は物語を”でっち上げた”かもしれないがそこには夢、願望、期待、祈りなど作者の想いが込められており史実以上のものがある。
 保守派の福田恒存氏は神話について進歩派の丸山真男さんと考えが同じで意を強くしたと言っている。

 「私はこれまで、当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか、さういふものが単なる史実以上に大事だといふことを何度も言ってまゐりましたが、最近大いに意を強うしたことに・・・丸山真男さんはこれまで進歩派の象徴と見なされてゐた人ですが、その中でかういってをります。
 『ぼくが日本神話を大切だといふのは、古代人の世界像とか価値判断のしかたが現れてゐる点です。
 考古学的事実史の上からいふと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいふと、決定的に重要なんですね。
 記紀の話は事実としては作り話であつていいわけです。・・・』」
(昭和40年4月号雑誌『自由』から)

 神話が”思想史上決定的に重要”であり、それがわが国の考え方の根っこを支えているとすれば、皇祖神が女性であるという日本の神話を無視するわけにはいかないというのが女系天皇容認派の主張である。
 女系天皇容認派はこのほかにも安定的な皇位の継承をその主張の根拠に挙げている。

2017年1月23日月曜日

皇位継承について 3

 万世一系は男系男子でなければ守れない。女系天皇になったら万世一系が途絶えてしまう。
 こう主張するのが生物学的な側面から現皇室典範第1条の男系男子維持派である。
 これを最初に言いだしたのが生物学者の蔵琢也氏であり、その根拠がY染色体である。

  「男子のみが所有するY染色体が神武天皇以来今日まで受け継がれてきたことに男系継承の意義があり、女系天皇に移った途端にこのY染色体の継承が途絶え、男子でも別人のY染色体を持つ天皇が出現することになる。
 これは皇統の断絶であるから、神武天皇から受け継がれてきたY染色体を我々の時代に途絶させてはならない。 - これがこの説の骨子であり、その信奉者は使命感と責任感をもって『男系天皇』を鼓吹することになる。
 これは科学を援用した継承論であり、これを知った多くの人々を強く説得する力を持ってきた。」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)

 このY遺伝子説は科学的根拠を持つものとして今や男系維持派のイデオロギーの中核的存在となっている。
 男系維持派の大御所である渡部昇一氏も持論”種と畑”理論でこのY遺伝子説をその主張の根拠としている。

 「『稲』はいかなるところに植えても稲ですが、『畑』は、稲を植えれば稲を、麦を植えれば麦を、ヒエを植えればヒエを実らせます。 
 つまり『畑』には、『種』にあるような連続性のイメージがないのです。
 /皇室に目を転じれば、古代から日本の天皇が外から妃を取ることは珍しくありませんでした。桓武天皇は九州、東北、さらには百済からも妃を捧げられています。
 /天皇という『種』を保つ『畑』は、方々から捧げられてくる。桓武天皇自身も、百済の『畑』で生まれていたと記憶しています。
 ただし『種』は天皇ですから、一向に構わないわけです。こうして種さえ守っていれば、皇室が廃絶に追い込まれることはありません。
 というのも、脈々と種を受け継いでいる天皇というものにこそ、日本人は尊敬の念を抱いてきたからです。」(前掲書)

 万世一系を法理論から擁護する説がある。この理論は明治の井上毅が作成した皇室典範義解に明記されている。
 今日に至るもこれを主張の根拠とする人がいる。
 皇室典範義解はこう締めくくっている。

 「皇室ノ家法ハ祖宗ニ承ケ子孫ニ傳フ君主ノ任意ニ制作スル所ニ非ス又臣民ノ敢テ干渉スル所ニ非サルナリ」

 この皇室典範は祖先の遺志だから君主といえども従うべきであり、変更不可と宣言している。
 井上毅はもともとイギリスに範をとった法律には反対であったが、この皇室典範義解でイギリス法である不文法を援用している。
 男系男子を貫くために最初の一押しを必要としたのであろう。
 皇室典範義解は、もともと皇室典範の解説書であり伊藤博文の私著として扱われたものであるが、その精神は現代にも脈々と受け継がれている。
 数学者の藤原正彦氏は「長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ」といったが、井上毅は皇室典範を説明により法理論上正当化していたのだ。
 因みに井上毅は秀才の誉れ高く、明治日本のグランドデザイナーといわれるほどであったが、女性の社会進出には一貫して否定的であった。

 以上男系維持派の主だった主張をとりあげてきた。彼らの主張の骨子を一言でいえば、「皇統の万世一系は奇跡であり、これは絶対守らなければならない。これが崩れれば皇室の崩壊につながる」という妥協の余地ないものである。

2017年1月16日月曜日

皇位継承について 2

 皇位継承の問題が浮上するたびに、皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」が議論の的となる。
 焦点は、「男系の男子」であり、これを維持する派と見直し派に議論が二分される。
 それぞれの主張に耳を傾け然る後に検証しよう。まず維持派の主張から。

 「藤原正彦氏は衆議院議員の平沼赳夫氏との対談(『この国のかたちを壊すのは誰だ』文藝春秋平成18年4月号)の中でこのように述べる。
 『万世一系を保つことが是か否かを平然と議論するということ自体、私には考えつかないことです。
 日本人は、古き伝統に対しては、議論など無用、ただそれにひれ伏すべき、という謙虚な精神を失ってしまった』 
 『しかし、その場合、重要なのは、男系継承の原則を変えるかどうかは議論してはならないということです。
 長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみであり、議論すべきはどうやって男系継承を維持するかという方法についてのみです。 
 飛鳥の昔から奈良、平安、鎌倉、室町と連綿と続いてきた伝統を、今平成の御世に変えるというのは、その間生きてきたすべての人々の想いを蹂躙することになる。
 そんな権利は現代の人々にはないのです』」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)

 同書で藤原氏は、万世一系は世界の奇跡として、アインシュタインが大正11年訪日時に言ったとされる言葉を引用している。
 曰く
 「近代日本の発展ほど世界を驚かせるものはない。万世一系の天皇を頂いていることが今日の日本をあらしめた。・・・我々は神に感謝する。日本という尊い国を造っておいてくれたことを」

 このアインシュタインの言葉は維持派の多くが引用するが、その出典を誰一人明らかにしていないという。

 さらに数学者の藤原氏は皇位継承問題をを数学的見方で言う。

 「数学は論理だがその出発点を決めるのは直感であり、情緒である」と。
 これに共鳴した衆議院議員の稲田朋美氏が、平成17年の皇室典範に関する有識者会議の女性天皇を容認した報告書は出発点が誤っていると批判した。
 もはや皇位継承に関する議論というより神学論争である。この出発点論は、議論の対象ではないという意味において、17世紀フランスのパスカルによるデカルト批判を想起させる。

 「私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっとおもっただろう。
 しかし、彼は、世界を動きださせるために神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。
 それからさきは、もう神に用がないのだ。無益で不確実なデカルト。」
(パンセ第77~78節)

 概して維持論者は藤原氏に代表されるように、万世一系は奇跡であり、これを守り抜く以外の議論を端から寄せ付けず、これが崩れれば皇室の崩壊を招くと主張する人が多い。
 同じ維持派でも、万世一系を守り抜くために男系でなければならない理由を理路整然と述べ持論を展開する人もいる。
 その理由とは何か、根拠となるものを見てみよう。

2017年1月9日月曜日

皇位継承について 1

 平成28年8月天皇陛下は譲位の意向をにじませた「お気持ち」を表明された。
 これを受け安倍首相は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置した。
 報道によると、同有識者会議は今月下旬にも「論点整理」の公表を目指すという。
 天皇陛下の譲位に関連しては、平成16年当時の小泉首相は、「皇室典範に関する有識者会議」を設置した。
 設置の意図は皇室に男の子が当分生まれなければ現皇室典範では国民の知らない皇室の子孫を天皇にしなければならない。それよりは愛子内親王がいらっしゃるのだから女性天皇でいいじゃないかというものであった。
 ところが平成18年秋篠宮家に悠仁親王ご誕生によりこの議論は頓挫した。皇位継承問題はさしあたって回避されたからである。
 ところが昨夏の天皇陛下の「お気持ち」表明以来、ふたたび皇室典範について議論されることが多くなった。
 小泉元首相は、平成28年9月日本外国特派員協会で天皇陛下の譲位だけを議論すべきで、女性天皇や女系天皇にまで広げて議論するべきではないといった。悠仁親王のご誕生をその理由に挙げている。
 それも一見識ではあるが皇位継承資格者の減少の問題が解決されたわけではない。
 皇室の存続は日本および日本人の根幹にかかわる問題である。
 皇位が安定的に継承される道を探る。このことは先送りせずあらゆる場合を想定して事前に検討しておくべき事案である。
 皇室の問題は日本人の心の琴線に触れる問題でありともすると避けられがちだ。
 小泉元首相がいうように譲位に限定して検討すべしというのも混乱を避ける意味では一理あるも、皇位継承資格者の減少問題をいつまでも先延ばしでいいということではないはずだ。
 皇族方だけでなく皇位の安定的継承を願っているであろう国民のことも考慮すればなおさらそうである。

 日本人にとって天皇とは何か。日頃意識することもないが、改めて考えればその存在が国民の意識に深く浸透していることが分かる。
 岩倉使節団は明治4年から2ヶ年にわたる欧米の視察で、キリスト教が欧米人の心の支え、社会に定着していることを学んだ。
 日本には仏教などの宗教はあるが、キリスト教のように国民を統合するまでのものはない。
 たしかに日本には儒教、仏教やキリスト教が入ったがそれら宗教が本来のすがたで根付くことはなく、日本流に置き換わり、もともとの宗教とは似ても似つかぬものとなった。
 かかる理由で、使節団は日本人の統合として天皇を脳裏に描いていたであろうことは容易に推測できる。
 その後制定された大日本帝国憲法の「告文」で天皇を「現人神」と位置づけたからである。

 はじめて日本を訪れる外国人がしばしばもらす感想がある。
丁寧な応対、相手を傷つけまいとするやさしい心根、治安のよさ、秩序立った行動など。
 これらは日本人として日常のあたりまえのことであるが外国人からみれば新鮮に映る。
 なぜ日本人の行動様式はこうなのか。生来の洗練された民族のなせる技か。とんでもない、それは自惚れでありそれ以外のなにものでもない。
 それでは日本人がこのような行動様式をとるのは何故か。長い間にわたる社会の安定の積み重ねがその要因の一つであることには違いない。これなくして秩序も礼節も育まれないからである。
 しからばその社会の安定は何によってもたらされたのか。四囲を海に囲まれた自然の要塞、同一民族、同一言語などさまざまな要因があるにせよ天皇の存在を抜きにしては考えられない。
 この論証は後に譲るとして、まずは安定的な皇位継承について有識者などの甲論乙駁を跋渉し原点にかえって考えてみたい。

2016年12月26日月曜日

北方領土 3

 ”時は金なり”、とマックス・ヴェーバーは歴史的著作の冒頭近くでベンジャミン・フランクリンの言葉を引用している。

 「”時間は貨幣だ”ということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。」
(マックス・ヴェーバ著大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

 時間を守らない、期限を設定しない。これほど資本主義の精神に悖るものはない。
 ソ連邦崩壊をいち早く予言した小室直樹博士はソ連労働者の非効率性について言う。

 「納期のない仕事なんて、日本では考えられまい。どの企業も、納期をよく守ることが、日本経済が世界に冠たる所以である。

 みんなが納期を守ってくれないことには、目的合理的(とくに形式合理的)な仕事なんかできっこないではないか。
 資本主義では、納期を守らない企業は、信用がうすれる。追徴金をとられる。日本だと、追徴金くらいではすまずに、取引停止を覚悟しておかなければなるまい。資本主義においては、納期厳守は、これほどまで大切。
 ところが、ソ連労働者には、納期という考え方がない。納期という考え方がなければ、流通機構は動きようがない。
 だってそうでしょう。品物を注文して、相手が、たしかにご注文うかがいましたと言ったところで、その品物がいつとどくのか。まるっきり分からない。
 これでは、商売のしようがありませんか。工場なら動かない。原料や資材を注文して、相手は、たしかにうけたまわりました、と。  でも、いつとどくか分からない。てんでバラバラに、ポツリポツリ来たって、これでは操業できない。操業できないから、こちらも納期が守れない。
 このストーリーからお分かりのとおり、どこか一ヶ所でも納期が守らない企業があると、その企業よりも物流の川下にある企業はみんな、納期が守れなくなってしまうのである。物流が乱されるのである。」
(小室直樹著光文社『ロシアの悲劇』)

 ロシア人労働者の行動様式は、マックス・ヴェーバーの”資本主義の精神”の神髄、ベンジャミン・フランクリンが喝破した”時間は貨幣である”からほど遠い。
 訪日時のプーチン大統領の時間に対するルーズさにもその一端を窺い知ることができる。
 ロシア経済を疲弊させているものには既述の三重苦のほかに厖大な軍事費支出と日常的な汚職がある。
 2015年度のIMF発表によるとロシアのGDPに占める軍事費は5.4%でアメリカの3.3%、その他主要国の約2%と比べて多い。
 汚職はロシア社会に深く根付いている。「汚職ははびこり、毎年GDPの3分の1に相当する額が汚職に回っているという。」
(2016年1月16日EL mundo紙電子版)
 下表は1人あたりGDPと汚職ランキングである。GDPが低いほど汚職も多いが、ロシアは例外的に多い。


 これでは欧米の基準に照らせばロシアは汚職国家、泥棒国家である。
 西側の一部メディアによればプーチン大統領はロシアでも賄賂と盗みがもっともうまい人であるという。
 プーチン大統領の周囲には常に汚職や陰謀の影がつきまとう。彼のサンクトペトルブルグ時代からそうである。政敵に対する追放や粛清の噂も絶えない。
 だがプーチン大統領になって、天然資源と兵器輸出に支えられているロシア経済も、それ以前よりは安定している。
 高度な科学技術者を擁し、女性の大学進学率も男子100人に対し女子130人とスウェーデンの140人に次いで高い。(2013年OECD)。
 クリミア併合もありロシア国民のプーチン大統領に対する支持率は高い。
 ロシア国民だけでなく、ブッシュ前アメリカ大統領をはじめ彼に傾倒している西欧の指導者も多いという。安倍首相もその一人かもしれない。
 プーチン氏を盲信するあまり、仮に北方4島の潜在主権について譲歩・放棄するようなことがあればその影響は尖閣諸島、竹島におよび取り返しのつかない失政として歴史に残るであろう。
 権謀術数により権力を掌握したプーチン大統領、片や三世議員の安倍首相、この違いは領土交渉とは無関係と思いたい。だが、過去には手練手管を弄した政治家が相手を振り回した例には事欠かない。
 独裁者の約束ほどあてにならないものはない。1938年第二次世界大戦の要因の一つとなったミュンヘン会談におけるヒットラーの約束、1945年スターリンによる日ソ中立条約の一方的破棄など。
 プーチン大統領をこれら独裁者と同列には扱えないが、武力によりクリミアを併合するなど、法による支配と民主主義の価値観を共有している相手でないことは確かだ。
 上を鑑みれば、北方領土が無条件で返還されると考えるのは夢物語にすぎない。
 70年近くにわたる領土交渉で北方4島が最も近づいた時期があった。
 元駐日ロシア大使アレクサンドル・パノフ氏の証言がある。
 「ソ連邦崩壊直後の1992年3月日露外相会談時、水面下で平和条約を締結し、まず歯舞・色丹を返還、その後国後・択捉を協議したいと提案したが、日本側は4島一括でなければと拒否した。」 
 当時のロシアはハイパーインフレに苦しみ、日本はバブル経済の余韻にあった。その後ロシアは復活し、日本の国際社会での地位は相対的に低下した。
 北方4島ははるかかなたにいってしまった。ロシアとの領土交渉は日暮れて道遠し。次世代またはそれ以降の世代に俟つほかない。

2016年12月19日月曜日

北方領土 2

 今回の安倍、プーチンの日ロ首脳会談は北方4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結するという日本側の目標にどれだけ近づくことができるかが焦点であった。

 決まったことは、北方4島で共同経済活動を行う協議を開始すること、これに尽きる。
 4島の帰属問題については何ら進展はなかった。むしろ後退したと言える。
 プーチン大統領は、4島が日本に返還されれば日米安保条約のもと日米がどう対処するか自分にはわからないが、と断りながらも、4島が事実上米軍の支配下に入るのではないかと懸念していたからである。
 領土問題について進展がなかったから交渉は失敗であったと断定するのは事実に即していない。この問題については下の理由でもともと今回の交渉で期待できなかったからである。

 北方領土については、プーチン大統領は一貫して領土問題は存在しないという厳しい見方であった。
 ところがわが国では比較的楽観的な論調が目立った。それはメディアの責任が大きいと袴田茂樹氏はインタビューに答えている。
 「朝日新聞は2012年、海外主要紙幹部とともにプーチン氏と会見した際、領土問題を『引き分け』で解決しようという発言を引き出した。
 だがロシア政府の発表では、プーチン氏は1956年の日ソ共同宣言について『歯舞、色丹の引き渡し後、この2島がどちらの国の主権下になるかは書かれていない』とも述べている。
 『引き分け』発言だけが報じられたため、日本国内で領土交渉の進展に対する期待が高まってしまった」

 「今年5月の日ロ首脳会談後も、安倍首相とプーチン氏の間で領土交渉が進むのではないかというメディアの過熱報道が続き、楽天主義的な期待につながっている」

(聞き手・小林豪 2016年12月11日朝日新聞デジタル)

 北方領土問題では、メディアの偏向した報道が世論を間違って誘導していたことは交渉結果からも明らかとなった。


 一方、共同経済活動は、これが進展すれば島が帰ってくことにはならないが、平和条約締結への小さな一歩とはいえる。
 これが意味するところは、単に経済的、領土的問題だけでなく中国を見据えた安全保障上の問題である。
 ロシアが少なくとも敵対的勢力でなくなればわが国の安全保障上有利に働く。

 それにしても今回の訪日でプーチン大統領の2時間を超える遅刻には日本中が唖然とした。遅刻の常習者らしいがそれにしてもひどい。

 さらにプーチン大統領は平和条約交渉に期限を設定するのは有害であるとさえ言った。これまた期限のない目標は目標たりえないというわれわれの常識と相容れない。

 時間は守らない、期限を設けない。これはプーチン大統領の作戦に違いないとの論評も目立つが果たしてそうか。

 過去15回も会っている相手にいまさらそんな作戦をあえてする必要があるだろうか。

 プーチン大統領の遅刻常習は相手に対する作戦的な一面もあるかもしれないが、本来の自然な振舞いではないか。

 ロシア人の行動様式を大統領自らが体現しているように見える。ロシア人の行動様式とはどんなものか。それは日本とどう違うのか。日ロ交渉に絡めて考えてみよう。

2016年12月12日月曜日

北方領土 1

 領土問題は一筋縄では行かない。今も昔も。それが平時であればなおさらそうだ。
 ロシアのプーチン大統領と安倍首相は今月15日に首相の郷里山口県の長門で会談する。
 なんと両首脳同士の会談は16回目になるという。お互いファーストネームで呼び合うほどの間柄でさぞかし経済協力と抱き合わせの北方4島の領土交渉も進展するのではと期待されたが、その日が近づくにつれトーンダウンしている。

 北方4島関連のいままでの経緯はこうだ。

 ・1956年の日ソ共同宣言で歯舞群島・色丹島を日本に引渡す。
 ・1993年の東京宣言で4島の帰属の問題を解決し、平和条約を早期に締結する。

 これらの宣言にかかわらず、最近になってプーチン大統領は日ソ共同宣言の歯舞・色丹の2島引渡しには主権が含まれているとはどこにも書いていないと言い出した。
 歯舞・色丹は当然主権を含めて返還されるものと思っていた日本側はプーチン大統領の話に吃驚仰天した。
 西欧諸国からの経済制裁、原油下落、通貨ルーブルの暴落と三重苦にあえぐロシア経済、それに2018年に大統領選挙を控えていることもあり、プーチン大統領にとって領土問題の譲歩は考え難い。
 それはクリミア併合でロシア国民の圧倒的支持をえているプーチン政権の人気離散を意味する。
 一方、領土問題で後退するようなことになれば期待が大きかっただけに安倍政権にはダメージとなる。
 首脳同士の波長が合えばうまくいくと考えがちだが国家間の付き合いはそれほど甘くはない。
 現にプーチン大統領とアメリカのブッシュ元大統領はウマが合ったといわれたが中東紛争ではことごとく対立した。
 かって田中角栄は首相就任直後、国交正常化のため北京に飛んでいった。
 毛沢東や周恩来は、苦労して主席や首相になった。
 中国と正式な国交がない状態を解決するには、自分と同じように苦労した彼らが権力の座にいる今をおいて他にない。
 率直に話をすれば必ずわかってくれる筈だ。”蛇の道は蛇”、角栄首相の想いは通じみごと日中共同声明を発表して、中国と国交を結んだ。
 プーチン大統領と安倍首相、ともに返り咲きの長期政権、既に15回も会談している。
 政権の長さや会談の多さだけでは、”蛇の道は蛇”、とはいえない。この両首脳には”同床異夢”という言葉がふさわしいようだ。