言葉によって何かを伝えようとすると発信者が意図すると否とにかかわらず中立的ではなくなる。
日本のメディアは日韓関係といい韓国では韓日関係という。もし日本で韓日関係と言ったら韓国寄りメディアとレッテルを貼られるだろう。
言っていることは同じだが受け取る印象はこれほど違う。この意味において中立的な表記方法などない。
人に訴える議論は詭弁となりやすい。先ごろ話題となった加計学園の獣医学部新設問題で、前川前文科省事務次官は「行政が歪められた」と言った。
これに対し菅官房長官は、「前川前次官は行政が歪められたというが当のご本人は出会い系バー通いをしていた、教育行政にかかわっていながらそのようなことをする人の発言は信用できない」と非難した。
この問題で議論すべきは、獣医学部新設の認可が正当に行われたかどうか、行政が歪められたかどうかであって、出会い系バー通いの非難はこれとは関係のない論点のすり替えである。
嘘つきの人間が「嘘はいけない」と言ったからといって、「嘘がいけない」ことに変わりはない。
だが受けとるほうは、嘘つきがそう言うのだから、たまには嘘をついていいのかもしれないと思うかもしれない。嘘つきのこの発言が「嘘をつく」ことに一種の免罪符を与えたようなものだ。
詭弁はこれを弄する人は無意識のうちに本題と離れたこの人に訴えるやり方で人びとを説得しようとしているのだろう。
論点のすり替えは、言葉がすべての法曹の世界でも行われている。
よく例に挙げられるのが昭和47年に起きた外務省秘密漏洩事件である。当時、毎日新聞の西山太吉記者が、沖縄の本土復帰の日米交渉で密約があったという証拠の機密資料を、外務省の蓮見喜久子事務官から入手した。
この裁判は国民の知る権利と国家の秘密保全のどちらを優先するかについて世間の話題をさらった。
ところが検察の起訴状に「情を通じ」という言葉があり、これがメディアによって明らかにされると世論の流れは一気に西山記者に厳しくなった。
報道の自由と国家機密の議論より起訴状の「情を通じ」が世間の注目を集め、こんなことで資料を入手した西山記者はとんでもないヤツだということになった。
上の論点のすり替えは詭弁のほんの一例にすぎない。詭弁は必ずどこかに誤りがある。詭弁は正しくある必要がないのでその種類はいくつもある。
詭弁の種類について統一された定義はないようだが、大まかには論理的に破綻しているものと論理以外の意図的なものに分けることができる。
論理は「Aが成立するならばBになる」から構成されるが、このAの前提部分に誤りがあるものと、Bの演繹部分に誤りがあるものに分けられる。
論理以外のものには、論点のすり替え、言葉によるマジックなどレトリックを駆使した手法である。
なお冒頭に挙げた日韓関係、韓日関係のように間違ってはいないが印象操作も詭弁の一種とする場合もある。
世の中には詭弁や誤謬が溢れかえり日常茶飯事に使われている。
人を説得したり、誘導しようとする意思が働けばどうしても中立的ではなくなる。
世論調査も質問の仕方によって結果も微妙に異なってくる。
政権寄りのメディアの世論調査は政権寄りに、政権に距離を置くメディアのそれは政権に厳しい結果となって表れる。
メディアは新聞の社説などのほかに世論調査を通じて時の政権に一定の影響力を及ぼしていることになる。
世論調査と同様に国の政策もその策定過程では中立的ではない。
いづれの省庁も各種諮問会議のメンバーには自らの意に沿う人選を行い政策が策定されるまでにレトリックの限りを尽くす。
それがどんなものか内容によっては唖然とするものがある。
2017年9月18日月曜日
2017年9月11日月曜日
詭弁を弄する 1
一見正しそうに見える論理だがよくよく考えると間違っている。われわれはこのようなことを時々体験する。いわゆる詭弁である。
だがこのようなことは実社会には溢れかえっている。しかもわれわれ自身もそれと気づかず詭弁を弄している。
こう語るのは論理的思考の研究者であり教育者でもあった修辞学者の香西秀信氏である。
詭弁を間違った論理とすればその反対の極に位置するのが形式論理に則った論理ということになる。それはいわば真空の無菌室で純粋培養されたような論理である。
「われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。
われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分に機能しない。
が、その十分に機能しないことを、相手が詭弁を用いたからだと勘違いしてはいけない。(中略)
私の専門とするレトリックは、真理の追究でも正しいことの証明(論証)でもなく、説得を(正確に言えば、可能な説得手段の発見を)その目的としてきた。
このために、レトリックは、古来より非難、嫌悪、軽視、嘲笑の対象となってきた。
が、レトリックがなぜそのような目的を設定したかといえば、それはわれわれが議論する立場は必ずしも対等ではないことを、冷徹に認識してきたからである。」
(香西秀信著光文社新書『論より詭弁』)
言葉で何かを主張したり、説得しようとした途端に純粋な形式論理から逸脱した理論になる。このことをもって詭弁と定義すれば実社会は詭弁に溢れていることになる。もっとも詭弁はその使用者に騙しの意図があることが前提であり、そうでなければそれは詭弁ではなく誤謬ということになる。
世の中に詭弁や誤謬が溢れているとすればわれわれはうかつに人の言ったことなど素直に信じられなくなってしまう。 実生活上これらに無関心を決め込むわけにもいかない。それではどうすればいいのか。
詭弁や誤謬を正しく認識しそれらが与える影響について冷静に対応すること。これに尽きると言えるが、具体的にはどうすればいいのか。それが問題である。
だがこのようなことは実社会には溢れかえっている。しかもわれわれ自身もそれと気づかず詭弁を弄している。
こう語るのは論理的思考の研究者であり教育者でもあった修辞学者の香西秀信氏である。
詭弁を間違った論理とすればその反対の極に位置するのが形式論理に則った論理ということになる。それはいわば真空の無菌室で純粋培養されたような論理である。
「われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。
われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分に機能しない。
が、その十分に機能しないことを、相手が詭弁を用いたからだと勘違いしてはいけない。(中略)
私の専門とするレトリックは、真理の追究でも正しいことの証明(論証)でもなく、説得を(正確に言えば、可能な説得手段の発見を)その目的としてきた。
このために、レトリックは、古来より非難、嫌悪、軽視、嘲笑の対象となってきた。
が、レトリックがなぜそのような目的を設定したかといえば、それはわれわれが議論する立場は必ずしも対等ではないことを、冷徹に認識してきたからである。」
(香西秀信著光文社新書『論より詭弁』)
言葉で何かを主張したり、説得しようとした途端に純粋な形式論理から逸脱した理論になる。このことをもって詭弁と定義すれば実社会は詭弁に溢れていることになる。もっとも詭弁はその使用者に騙しの意図があることが前提であり、そうでなければそれは詭弁ではなく誤謬ということになる。
世の中に詭弁や誤謬が溢れているとすればわれわれはうかつに人の言ったことなど素直に信じられなくなってしまう。 実生活上これらに無関心を決め込むわけにもいかない。それではどうすればいいのか。
詭弁や誤謬を正しく認識しそれらが与える影響について冷静に対応すること。これに尽きると言えるが、具体的にはどうすればいいのか。それが問題である。
2017年9月4日月曜日
悲観大国ニッポン 5
内閣府が先月公表した「国民生活に関する世論調査」によると、現在の生活に「満足」「まあ満足」合わせて約74%、この先どうなるかの質問には「同じようなもの」65.2%、「悪くなっていく」23.1%、「良くなっていく」9.4%であった。
この結果から見る限り国民は先行きの暮らし向きに多少不安はあるものの悲観している様子ではない。悲観の原因が経済的要因でないとすればその他に求めなければならない。
その他に求めなければならないがそれが何であるか明白な要因は見当たらない。強いていえば漠然たる要因ということになるが、そうなれば社会学的分析を俟たなければならない。
19世紀末フランスの社会学者デュルケームは自殺の研究を通じて連帯が失われればアノミーになるという社会学の一大発見をした。
連帯が失われる原因の一つに父性の欠如がある。社会の父性が欠如すれば社会不安になるし、家族の父性が欠如すれば家族崩壊を来たす。父性とは必ずしも父親とは限らないその役割を母親が担うことだってある。
ところで今日本の社会システムは安定している、特段父性が欠如しているとも思えない。
それにもかかわらずニッポン人が将来に対し最も悲観的な国民であるという事実はこの父性の欠如を無意識のうちに嗅ぎ取っているのかもしれない。
潜在意識のどこかに父性の欠如を感じている。それは世論調査でも国民が懸念している国防・安全保障に表れている。 日本はこれを外国の軍隊に依存している。日本がアメリカの強大な核の傘で守られていることは周知の事実である。
国防・安全保障は国の基本である。国の基本にかかわることを自国で担わず他国に依存する。
家庭内で暴れる子供に手を焼いた父親が誰か他人に解決を依頼するのと同じで、いずれも父性が欠如している。
国家に父性が欠如すれば社会は不安定になる。国の主権にも歪みが生じる。
戦後日米間には、一貫して経済対話が行われている。日米構造協議、年次改革要望書、そして現在の日米経済調和対話と名前は変わったが実態は変わっていない。
建前は、日米それぞれの要望を出し合う協議の場だが、実態はアメリカの要望に対し歴代政権がこれを受け入れるという一方的なものであったことはその成果が示している。
経済対話とは別に日米合同委員会がある。日米の政治家が参加しないこの合同委員会は1960年に締結された日米地位協定の正式な協議機関として設立された。
日本の官僚と在日米軍のトップがメンバーで月2回行う秘密の会合である。
日米の間には、米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた占領期から続く軍事上の協定(国民に明らかにされていない)が存在している。秘密会合たる所以である。
そこではおよそ主権国家としてあるまじきことがらが決定されている。その異常さを他ならぬアメリカ側メンバーでただ一人軍人でないスナイダー公使が上司の駐日大使に報告している。
その報告書で、米国の軍人が日本の官僚に直接指示する日米合同委員会のありかたは異常であると激怒して曰く。
「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです(1972年4月6日アメリカ外交文書)」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない隠された日本支配の構造』)
いくら秘密にされているとはいえ主権を脅かされているこのような事実を国民はうすうす感じている。
自前で核武装できないのでアメリカの傘に頼らざるをえない。被爆国のわが国では核武装の議論さえタブー視される。 主権を脅かされても他国に国の安全を委託する。国民が恒心を持てるのは健全な主権を自覚できればこそである。 日本国の主権に懸念あり、これがニッポン人が将来に対し不安を抱き悲観的になる原因の一つであることは間違いない。
もともと日本人は楽観的であった。
生ける者遂にも死ぬるものにあれば
この世なる間は楽しくをあらな
大伴旅人(万葉集)
この歌にくよくよしない楽観的な万葉人の生き様をうかがい知ることができる。
外国と比べて経済的に恵まれている方に属するわが国が悲観大国であることは正常な状態ではない。
この歪みは国民の心に積み重なっている。いずれこの揺り戻しが起こるであろう。
歪みが長引き大きくなるほどそれもまた大きくなる。その時がいつかは分からないが。
日本人は明治維新に成功した。その時は必ずくる。
この結果から見る限り国民は先行きの暮らし向きに多少不安はあるものの悲観している様子ではない。悲観の原因が経済的要因でないとすればその他に求めなければならない。
その他に求めなければならないがそれが何であるか明白な要因は見当たらない。強いていえば漠然たる要因ということになるが、そうなれば社会学的分析を俟たなければならない。
19世紀末フランスの社会学者デュルケームは自殺の研究を通じて連帯が失われればアノミーになるという社会学の一大発見をした。
連帯が失われる原因の一つに父性の欠如がある。社会の父性が欠如すれば社会不安になるし、家族の父性が欠如すれば家族崩壊を来たす。父性とは必ずしも父親とは限らないその役割を母親が担うことだってある。
ところで今日本の社会システムは安定している、特段父性が欠如しているとも思えない。
それにもかかわらずニッポン人が将来に対し最も悲観的な国民であるという事実はこの父性の欠如を無意識のうちに嗅ぎ取っているのかもしれない。
潜在意識のどこかに父性の欠如を感じている。それは世論調査でも国民が懸念している国防・安全保障に表れている。 日本はこれを外国の軍隊に依存している。日本がアメリカの強大な核の傘で守られていることは周知の事実である。
国防・安全保障は国の基本である。国の基本にかかわることを自国で担わず他国に依存する。
家庭内で暴れる子供に手を焼いた父親が誰か他人に解決を依頼するのと同じで、いずれも父性が欠如している。
国家に父性が欠如すれば社会は不安定になる。国の主権にも歪みが生じる。
戦後日米間には、一貫して経済対話が行われている。日米構造協議、年次改革要望書、そして現在の日米経済調和対話と名前は変わったが実態は変わっていない。
建前は、日米それぞれの要望を出し合う協議の場だが、実態はアメリカの要望に対し歴代政権がこれを受け入れるという一方的なものであったことはその成果が示している。
経済対話とは別に日米合同委員会がある。日米の政治家が参加しないこの合同委員会は1960年に締結された日米地位協定の正式な協議機関として設立された。
日本の官僚と在日米軍のトップがメンバーで月2回行う秘密の会合である。
日米の間には、米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた占領期から続く軍事上の協定(国民に明らかにされていない)が存在している。秘密会合たる所以である。
そこではおよそ主権国家としてあるまじきことがらが決定されている。その異常さを他ならぬアメリカ側メンバーでただ一人軍人でないスナイダー公使が上司の駐日大使に報告している。
その報告書で、米国の軍人が日本の官僚に直接指示する日米合同委員会のありかたは異常であると激怒して曰く。
「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです(1972年4月6日アメリカ外交文書)」
(矢部宏治著講談社現代新書『知ってはいけない隠された日本支配の構造』)
いくら秘密にされているとはいえ主権を脅かされているこのような事実を国民はうすうす感じている。
自前で核武装できないのでアメリカの傘に頼らざるをえない。被爆国のわが国では核武装の議論さえタブー視される。 主権を脅かされても他国に国の安全を委託する。国民が恒心を持てるのは健全な主権を自覚できればこそである。 日本国の主権に懸念あり、これがニッポン人が将来に対し不安を抱き悲観的になる原因の一つであることは間違いない。
もともと日本人は楽観的であった。
生ける者遂にも死ぬるものにあれば
この世なる間は楽しくをあらな
大伴旅人(万葉集)
この歌にくよくよしない楽観的な万葉人の生き様をうかがい知ることができる。
外国と比べて経済的に恵まれている方に属するわが国が悲観大国であることは正常な状態ではない。
この歪みは国民の心に積み重なっている。いずれこの揺り戻しが起こるであろう。
歪みが長引き大きくなるほどそれもまた大きくなる。その時がいつかは分からないが。
日本人は明治維新に成功した。その時は必ずくる。
2017年8月26日土曜日
悲観大国ニッポン 4
生まれや育った環境、文化、宗教が異なる外国人は、日本人とは違った視点で日本を客観的に見ることができる。その見方は、正しいか否かは別にしてわれわれの考えるヒントにはなる。
この観点から二人の外国人の相反する日本感の根拠について検証してみよう。
・ジャック・アタリ
日本は並はずれた技術力で80年代に世界の中心都市になるチャンスがあったにもかかわらずそれを逃した。
それは官僚が特権維持にこだわり外国人を受け入れて中心都市になるにふさわしい普遍化の使命を担わず内にひきこもったからである。
これがジャック・アタリの日本に対する見方の核心部分である。
80年代当時日本が世界の中心都市になろうという野望をもっていたかは疑問であるが、経済的に日の出の勢いにあり、外国からもそのように評価されていた。
外国人受け入れは、歴史的にみても世界の中心都市になるためには必要条件かもしれない。
だがその意思がなければあえてすることもないだろう。『ジャパンアズナンバーワン』でも指摘されているように日本の成功は日本的なやり方にあり、と日本自身が自負していたのだから。
ジャック・アタリはグローバリズムや緊縮財政について利点は述べてもそれがもたらす弊害については過小評価している。
欧州は行き過ぎたグローバリズムと緊縮財政のために現状は彼の思惑通りにはなっていない。
アジアについては日本と異なり韓国は中国との関係が良好として過大評価しているが現状は説明するまでもない。
日本のグローバルな人材の受け入れは先進国では最も遅れているかもしれないが、この分野で進んでいる欧州の混乱を見るかぎり、行き過ぎた人材のグローバル化には疑問が残る。
このようにいくつか疑問点があるにしても、ジャック・アタリの自由についての歴史的見識は高く評価されているようだ。
この点、日本に対しては否定的であるが、それは個性とか自由について日本と欧米との間には抜き難い認識の差があるからであろう。
・イェスパー・コール
知的財産
研究開発費のGDPに占める割合が米独より多いので、日本は将来にわたり楽観していいという。が、問題はその内容である。
80年代に日本企業の強みは長期的視野に立った経営にあるといわれた。
ところが昨今の知的財産の活用については、それは当て嵌まらないようだ。
かってソニーの知財部門のトップを務めた中村嘉秀氏はいう。
「経営者は長期的事業戦略や競争には気が回らない。開発、事業、知財の三位一体こそ競争力の源泉である。・・・ 世界を見渡せばApple,Google,Amazon,Microsoft,Qualcomm,Intelなど知財戦略がそっくり事業戦略になっている。
日本でもかっては、ソニーのプレイステーションやCD事業、任天堂のファミコン、日本ビクターのVHS事業なども同じだった。」(馬場練成『発明通信社【潮流No73】』)
研究開発費の多さだけで手放しで楽観的にはなれない。
人口問題
生産年齢人口の減少→労働力不足→供給不足、はこれを否定的に捉えるのではなくむしろ一人ひとりの価値および生産性を引き上げるチャンスと見るべきであると主張している。 この見解は現在の供給過剰・需要不足に起因するデフレ時代には言い得て妙である。
労働力不足を安易に移民により補うことの危うさは欧州の混迷をみれば明らかだ。
日本に楽観的なイェスパー・コール氏であるが、彼は2008年当時、日本に悲観的であった。その根拠について自ら述べている。
「私も色々と日本の審議会に参加しました。それはすごい。検討は深いところまでやって、国際的な比較もします。 非常に面白く、勉強になる。勉強で終わらずにプランまでは出す。しかし、決定能力はゼロに近い。(中略)
日本がいずれ二等国に転落するというレポートはすでにいろいろ出ています。その最大の原因は意思決定ができないということです。」
(イェスパー・コール『日本はすでに世界の関心からはずれている』2008年6月言論NPO)
当時と比べ政治の決定力が格段によくなったとも思えないが彼が楽観に転じたのは、資産運用も手がけるエコノミストらしい変わり身の速さなのだろうか。
このように楽観も悲観もその根拠となるものに、外国特に先進国と比べて際立ってニッポンが悲観的にならなければならない理由が見出せない。
双方とも人口問題を主要な根拠の一つに挙げているが、そのこと自体決定的な根拠に欠ける証でもある。
ニッポン人は諸外国に比べ社会システムに不信感をもっておらず、平和だと思っているにもかかわらず、将来に対して最も不安を抱えているのは日本人であるという事実は受け止めなければなりません、と調査会社の社長が言うように、これは事実なのだからそうなった原因がなければならない。
なにもニッポン人は趣味で悲観的になったわけではなかろう。中には悲観好きの人がいるかもしれない。どこにも物好きはいる。
問題は、好事家ではない大多数のニッポン人がなぜ悲観的になったか、真の原因がどこにあるかである。
この観点から二人の外国人の相反する日本感の根拠について検証してみよう。
・ジャック・アタリ
日本は並はずれた技術力で80年代に世界の中心都市になるチャンスがあったにもかかわらずそれを逃した。
それは官僚が特権維持にこだわり外国人を受け入れて中心都市になるにふさわしい普遍化の使命を担わず内にひきこもったからである。
これがジャック・アタリの日本に対する見方の核心部分である。
80年代当時日本が世界の中心都市になろうという野望をもっていたかは疑問であるが、経済的に日の出の勢いにあり、外国からもそのように評価されていた。
外国人受け入れは、歴史的にみても世界の中心都市になるためには必要条件かもしれない。
だがその意思がなければあえてすることもないだろう。『ジャパンアズナンバーワン』でも指摘されているように日本の成功は日本的なやり方にあり、と日本自身が自負していたのだから。
ジャック・アタリはグローバリズムや緊縮財政について利点は述べてもそれがもたらす弊害については過小評価している。
欧州は行き過ぎたグローバリズムと緊縮財政のために現状は彼の思惑通りにはなっていない。
アジアについては日本と異なり韓国は中国との関係が良好として過大評価しているが現状は説明するまでもない。
日本のグローバルな人材の受け入れは先進国では最も遅れているかもしれないが、この分野で進んでいる欧州の混乱を見るかぎり、行き過ぎた人材のグローバル化には疑問が残る。
このようにいくつか疑問点があるにしても、ジャック・アタリの自由についての歴史的見識は高く評価されているようだ。
この点、日本に対しては否定的であるが、それは個性とか自由について日本と欧米との間には抜き難い認識の差があるからであろう。
・イェスパー・コール
知的財産
研究開発費のGDPに占める割合が米独より多いので、日本は将来にわたり楽観していいという。が、問題はその内容である。
80年代に日本企業の強みは長期的視野に立った経営にあるといわれた。
ところが昨今の知的財産の活用については、それは当て嵌まらないようだ。
かってソニーの知財部門のトップを務めた中村嘉秀氏はいう。
「経営者は長期的事業戦略や競争には気が回らない。開発、事業、知財の三位一体こそ競争力の源泉である。・・・ 世界を見渡せばApple,Google,Amazon,Microsoft,Qualcomm,Intelなど知財戦略がそっくり事業戦略になっている。
日本でもかっては、ソニーのプレイステーションやCD事業、任天堂のファミコン、日本ビクターのVHS事業なども同じだった。」(馬場練成『発明通信社【潮流No73】』)
研究開発費の多さだけで手放しで楽観的にはなれない。
人口問題
生産年齢人口の減少→労働力不足→供給不足、はこれを否定的に捉えるのではなくむしろ一人ひとりの価値および生産性を引き上げるチャンスと見るべきであると主張している。 この見解は現在の供給過剰・需要不足に起因するデフレ時代には言い得て妙である。
労働力不足を安易に移民により補うことの危うさは欧州の混迷をみれば明らかだ。
日本に楽観的なイェスパー・コール氏であるが、彼は2008年当時、日本に悲観的であった。その根拠について自ら述べている。
「私も色々と日本の審議会に参加しました。それはすごい。検討は深いところまでやって、国際的な比較もします。 非常に面白く、勉強になる。勉強で終わらずにプランまでは出す。しかし、決定能力はゼロに近い。(中略)
日本がいずれ二等国に転落するというレポートはすでにいろいろ出ています。その最大の原因は意思決定ができないということです。」
(イェスパー・コール『日本はすでに世界の関心からはずれている』2008年6月言論NPO)
当時と比べ政治の決定力が格段によくなったとも思えないが彼が楽観に転じたのは、資産運用も手がけるエコノミストらしい変わり身の速さなのだろうか。
このように楽観も悲観もその根拠となるものに、外国特に先進国と比べて際立ってニッポンが悲観的にならなければならない理由が見出せない。
双方とも人口問題を主要な根拠の一つに挙げているが、そのこと自体決定的な根拠に欠ける証でもある。
ニッポン人は諸外国に比べ社会システムに不信感をもっておらず、平和だと思っているにもかかわらず、将来に対して最も不安を抱えているのは日本人であるという事実は受け止めなければなりません、と調査会社の社長が言うように、これは事実なのだからそうなった原因がなければならない。
なにもニッポン人は趣味で悲観的になったわけではなかろう。中には悲観好きの人がいるかもしれない。どこにも物好きはいる。
問題は、好事家ではない大多数のニッポン人がなぜ悲観的になったか、真の原因がどこにあるかである。
2017年8月21日月曜日
悲観大国ニッポン 3
次に楽観的な日本論について
高度経済成長期には時代を反映した日本楽観論が受け入れられた。その一人にアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルがいる。彼が1979年に上梓した『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、日本の高度経済成長の要因を分析した代表的な日本楽観論の一つである。
1970年代から80年代にかけては生産年齢人口が多い人口ボーナスといわれる時代であった。
だが現在の低成長時代の近未来予測としては人口ボーナスは前提にできない。日本の生産年齢人口の減少は内外の識者が一様に指摘するところである。この人口減少が今や日本悲観論の主要な根拠の一つとなっている。
それでは今の日本楽観論はなにがベースになっているかといえば皮肉なことにこの人口減少もその一つになっていることである。つまり人口減少は悲観・楽観双方の主張の根拠となっているのである。
ドイツ人エコノミストのイェスパー・コール氏は日本楽観論を展開しているが人口減少をその要因の一つとして挙げている。
彼はエコノミストらしくデータを駆使して日本の悲観論は根拠がなくそれは単なる日本人の悲観好きにすぎないという。
その主張の裏づけをいくつも挙げているがとくに彼が強調しているのが知的財産と人口問題である。
・知的財産
公的機関と民間企業を合わせた研究開発費対GDP比率を日米独で比較すれば2014年の時点では米独が2%台後半に対し日本は3%台後半である。
日本はものづくり大国といわれるが、競争力の源泉となる研究開発によって生み出される知的財産分野でも大国である。
研究開発費投資がそのまま特許取得・商品化につながるわけではないが資本主義に不可欠なイノベーションの可能性という点で日本はリードしている。
「日本は資源の乏しい国です。生産人口が減少する時代に入って、労働力という意味での人的資源も今後は不足していくでしょう。
しかし、日本には資源不足を補って余りある知財という資源がある。これを活かすことでふたたび世界をリードできるはずです。」(イェスパー・コール著プレジデント社『本当は世界がうらやむ最強の日本経済』)
・人口問題
人口減少、特に若年労働力人口が減少するのは深刻であるが、需要と供給の原則から労働者一人ひとりの価値は上がる。労働者の価値が上がれば自ずから雇用の問題の解決につながる。
日本の失業率は欧米に比べて低い。日本3.11%、米4.85%、独4.16%である。(2016年IMF統計ベース)
日本に限って失業の問題など存在しないかのようにに見える。
だがそれは見せかけにすぎない。近年アングロサクソン流の新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義が推進された結果、正規社員から賃金が安い非正規社員へと置き換えられ失業率こそ悪化しないものの雇用の質が悪化してしまったからである。
「いかに非正規を正社員化して、賃金を高めていくか。それが日本の抱える課題でした。少子化によって人口が減るのは、おもに若年層です。
これから2020年東京オリンピック&パラリンピックまで、66歳以上の日本人は毎年43万4000人ずつ増えていきます。
一方、企業のマネジメントの中核をなす36歳以上55歳未満は毎年17万2000人ずつ減少します。
現場を担う25歳から35歳の人に至っては、毎年23万1000人ずつ減っていきます。
つまり働かなくなる人が増えて、働く人が減ります。働く人が減れば、人手不足になりますよね。
人手不足とは人の供給不足ですから、一人あたりの価値は高まります。
企業は人を確保するためにこれまで以上の高条件を提示しなくてはいけません。その結果、魅力のない非正規のオファーは減り、かわりに正社員のオファーが増えていきます。
つまり人口、とくに生産人口が減れば、需給のバランスという自然の摂理によって、勝手に非正規社員の正社員化が進むのです。」
「非正規が減って正社員化が進めば何が起きるか。まず賃金が上がります。
正社員の賃金のうち約35%がボーナスです。もし同一労働同一賃金で正社員と非正規社員の月給が同じだとしたら、正社員はボーナスに加え、社会保険の恩恵もプラスされますので、年収ベースで50%近く高いという計算になります。
この前提で正社員の割合が1%高くなれば、日本の国民所得は0.7%上がります。仮に正社員率が10%上がれば国民所得は7%アップ、正社員率が15%上がれば国民所得は約10%アップです。
私は非正規率が40%から25%に下がると予想しているので、国民の所得はトータルで10%アップですね。」
「所得が増えて生活が安定すれば、これまで経済的事情で結婚や出産をあきらめていた人たちが積極性を取り戻します。
そうなれば出生率も改善します。政府が婚活支援をするより、このほうがずっと効果があります。
少子化は日本にメリットをもたらしますが、急激な少子化は社会的な混乱を招きやすい。
出生率が上向けば、そのデメリットが緩和されて、より好ましい形で人口減少が進んでいきます。
人口減少がもたらす正社員化は、まさしく日本のあらゆる問題を解決してくれるのです。」(前掲書)
いくら労働力の質が改善されたとしても絶対的な労働人口が減少すればGDPがマイナス成長になるのではと心配されるがそれは生産性向上でカバーできると言う。
1998年に日本の労働力人口がピークを迎えたが、GDP成長率は1999年以降、低成長あるいは時折マイナスを記録するものの、平均的にはプラスで推移している。これは生産性向上の証である。
イェスパー・コール氏は、数少ない楽観的な日本人以上に楽観的である。
高度経済成長期には時代を反映した日本楽観論が受け入れられた。その一人にアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルがいる。彼が1979年に上梓した『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、日本の高度経済成長の要因を分析した代表的な日本楽観論の一つである。
1970年代から80年代にかけては生産年齢人口が多い人口ボーナスといわれる時代であった。
だが現在の低成長時代の近未来予測としては人口ボーナスは前提にできない。日本の生産年齢人口の減少は内外の識者が一様に指摘するところである。この人口減少が今や日本悲観論の主要な根拠の一つとなっている。
それでは今の日本楽観論はなにがベースになっているかといえば皮肉なことにこの人口減少もその一つになっていることである。つまり人口減少は悲観・楽観双方の主張の根拠となっているのである。
ドイツ人エコノミストのイェスパー・コール氏は日本楽観論を展開しているが人口減少をその要因の一つとして挙げている。
彼はエコノミストらしくデータを駆使して日本の悲観論は根拠がなくそれは単なる日本人の悲観好きにすぎないという。
その主張の裏づけをいくつも挙げているがとくに彼が強調しているのが知的財産と人口問題である。
・知的財産
公的機関と民間企業を合わせた研究開発費対GDP比率を日米独で比較すれば2014年の時点では米独が2%台後半に対し日本は3%台後半である。
日本はものづくり大国といわれるが、競争力の源泉となる研究開発によって生み出される知的財産分野でも大国である。
研究開発費投資がそのまま特許取得・商品化につながるわけではないが資本主義に不可欠なイノベーションの可能性という点で日本はリードしている。
「日本は資源の乏しい国です。生産人口が減少する時代に入って、労働力という意味での人的資源も今後は不足していくでしょう。
しかし、日本には資源不足を補って余りある知財という資源がある。これを活かすことでふたたび世界をリードできるはずです。」(イェスパー・コール著プレジデント社『本当は世界がうらやむ最強の日本経済』)
・人口問題
人口減少、特に若年労働力人口が減少するのは深刻であるが、需要と供給の原則から労働者一人ひとりの価値は上がる。労働者の価値が上がれば自ずから雇用の問題の解決につながる。
日本の失業率は欧米に比べて低い。日本3.11%、米4.85%、独4.16%である。(2016年IMF統計ベース)
日本に限って失業の問題など存在しないかのようにに見える。
だがそれは見せかけにすぎない。近年アングロサクソン流の新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義が推進された結果、正規社員から賃金が安い非正規社員へと置き換えられ失業率こそ悪化しないものの雇用の質が悪化してしまったからである。
「いかに非正規を正社員化して、賃金を高めていくか。それが日本の抱える課題でした。少子化によって人口が減るのは、おもに若年層です。
これから2020年東京オリンピック&パラリンピックまで、66歳以上の日本人は毎年43万4000人ずつ増えていきます。
一方、企業のマネジメントの中核をなす36歳以上55歳未満は毎年17万2000人ずつ減少します。
現場を担う25歳から35歳の人に至っては、毎年23万1000人ずつ減っていきます。
つまり働かなくなる人が増えて、働く人が減ります。働く人が減れば、人手不足になりますよね。
人手不足とは人の供給不足ですから、一人あたりの価値は高まります。
企業は人を確保するためにこれまで以上の高条件を提示しなくてはいけません。その結果、魅力のない非正規のオファーは減り、かわりに正社員のオファーが増えていきます。
つまり人口、とくに生産人口が減れば、需給のバランスという自然の摂理によって、勝手に非正規社員の正社員化が進むのです。」
「非正規が減って正社員化が進めば何が起きるか。まず賃金が上がります。
正社員の賃金のうち約35%がボーナスです。もし同一労働同一賃金で正社員と非正規社員の月給が同じだとしたら、正社員はボーナスに加え、社会保険の恩恵もプラスされますので、年収ベースで50%近く高いという計算になります。
この前提で正社員の割合が1%高くなれば、日本の国民所得は0.7%上がります。仮に正社員率が10%上がれば国民所得は7%アップ、正社員率が15%上がれば国民所得は約10%アップです。
私は非正規率が40%から25%に下がると予想しているので、国民の所得はトータルで10%アップですね。」
「所得が増えて生活が安定すれば、これまで経済的事情で結婚や出産をあきらめていた人たちが積極性を取り戻します。
そうなれば出生率も改善します。政府が婚活支援をするより、このほうがずっと効果があります。
少子化は日本にメリットをもたらしますが、急激な少子化は社会的な混乱を招きやすい。
出生率が上向けば、そのデメリットが緩和されて、より好ましい形で人口減少が進んでいきます。
人口減少がもたらす正社員化は、まさしく日本のあらゆる問題を解決してくれるのです。」(前掲書)
いくら労働力の質が改善されたとしても絶対的な労働人口が減少すればGDPがマイナス成長になるのではと心配されるがそれは生産性向上でカバーできると言う。
1998年に日本の労働力人口がピークを迎えたが、GDP成長率は1999年以降、低成長あるいは時折マイナスを記録するものの、平均的にはプラスで推移している。これは生産性向上の証である。
イェスパー・コール氏は、数少ない楽観的な日本人以上に楽観的である。
2017年8月14日月曜日
悲観大国ニッポン 2
自分の顔は鏡を通してしか見ることができない。ところがわれわれは自分の思考や行動パターンになると鏡の役目など思いもつかないで自分自身を熟知しているかのごとく考えかつ振舞いがちである。
だが熟知していると思っているのは錯覚にすぎないのではないか。自分自身を知るのは難しい。同じ失敗を繰り返す人が多いのがその証左である。
失敗を繰り返す人はおおにして周囲の忠告に耳をかさず客観的に自分を見ようとしない。
このことは国家や民族についても言える。外国人の日本論はわれわれが気づかないことを教えてくれることがある。
そこで視点を変えて外国人の日本論をとりあげこれを検証してみよう。
まず、フランスの思想家ジャック・アタリの日本論について
”欧州の知性”とか”欧州の頭脳”と形容されるほどこの高名な思想家は彼の代表的な著作で日本の近未来について悲観的な見方をしている。
「日本は世界でも有数の経済力を維持し続けるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は低下し続ける。
1000万人以上の移民を受け入れるか、出生率を再び上昇させなければ、すでに減少しつつある人口は、さらに減少し続ける。
日本がロボットやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きん出ているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。
また、日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば、北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。
こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器を含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。
こうした戦略は、経済的に多大なコストがかかる。2025年、日本の経済力は、世界第5位ですらないかもしれない。」(ジャック・アタリ著林昌宏訳作品者『21世紀の歴史』)
ジャック・アタリが指摘するのは人口減、個人の自由の制限および国防費増の3点でありこれらにつき少し敷衍し問題点を明らかにしよう。
・ 人口減問題
国立社会保障・人口問題研究所(平成29年推計)の日本の将来推計人口によれば、2015年の国勢調査で1億2709万であった人口が、2040年に1億1092人、2053年に9924万人、2065年に8808万人になると推計している。
世界の人口が爆発的に増加すると予測されているのにこの日本の人口減予測は突出している。
日本はこれまで移民を受け入れてこなかったがこの政策を撤回しないかぎり長期衰退は避けられないという。
ー人口減は日本衰退の予兆として内外から指摘されている。
・ 個人の自由
ユダヤーギリシャの理想は自由こそが究極の目的であり、また道徳規範の遵守ともなり、生存条件でさえあることを明確にした。
ところが個人の自由は日本の主要な価値観ではない。それゆえ外国から有能な人材を集めることが出来ない。
ー個人の自由・個人主義が徹底していないところに優秀な人材は集まらない。
・国防費の負担増
中国、韓国、北朝鮮との関係は和解しなければならないが、話し合いでの解決は容易ではない。
軍事的なオプションが必ず求められるであろう。その場合多大な費用負担を伴う。
ー国防費の負担増はその他の縮減を伴い国力低下になる。
ジャック・アタリは日本に対し悲観的である。日本はかって世界の中心になるチャンスがあったのに国を開放せず移民を受け入れなかったことなどのためそれを逃した。
近未来には世界の中心になる資格などなくむしろ凋落の一途をたどるだろう。
2011年1月中央大学における講演で21世紀の世界のシナリオで日本について少子化以外の要因も挙げて悲観的に言及している。
「第1段階はアメリカの相対的凋落だと言った。ヨーロッパは連邦化が進み上昇するが、日本は沈むだろう。
日本は国家債務が多すぎ、少子化に有効な手が打てず、政府は勇気ある増税策を取れないから、危機から脱するのは難しい。
しかしナノテクノロジー、バイオテクノロジー、ニューロサイエンス、情報技術といった、教育や医療に有効な技術的ポテンシャルを日本は持っている。その強みを生かせるかどうかだ。」
未来に希望がないわけではないが、日本の命運は半ば尽きたと言わんばかりの日本論である。
だが熟知していると思っているのは錯覚にすぎないのではないか。自分自身を知るのは難しい。同じ失敗を繰り返す人が多いのがその証左である。
失敗を繰り返す人はおおにして周囲の忠告に耳をかさず客観的に自分を見ようとしない。
このことは国家や民族についても言える。外国人の日本論はわれわれが気づかないことを教えてくれることがある。
そこで視点を変えて外国人の日本論をとりあげこれを検証してみよう。
まず、フランスの思想家ジャック・アタリの日本論について
”欧州の知性”とか”欧州の頭脳”と形容されるほどこの高名な思想家は彼の代表的な著作で日本の近未来について悲観的な見方をしている。
「日本は世界でも有数の経済力を維持し続けるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は低下し続ける。
1000万人以上の移民を受け入れるか、出生率を再び上昇させなければ、すでに減少しつつある人口は、さらに減少し続ける。
日本がロボットやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きん出ているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。
また、日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば、北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。
こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器を含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。
こうした戦略は、経済的に多大なコストがかかる。2025年、日本の経済力は、世界第5位ですらないかもしれない。」(ジャック・アタリ著林昌宏訳作品者『21世紀の歴史』)
ジャック・アタリが指摘するのは人口減、個人の自由の制限および国防費増の3点でありこれらにつき少し敷衍し問題点を明らかにしよう。
・ 人口減問題
国立社会保障・人口問題研究所(平成29年推計)の日本の将来推計人口によれば、2015年の国勢調査で1億2709万であった人口が、2040年に1億1092人、2053年に9924万人、2065年に8808万人になると推計している。
世界の人口が爆発的に増加すると予測されているのにこの日本の人口減予測は突出している。
日本はこれまで移民を受け入れてこなかったがこの政策を撤回しないかぎり長期衰退は避けられないという。
ー人口減は日本衰退の予兆として内外から指摘されている。
・ 個人の自由
ユダヤーギリシャの理想は自由こそが究極の目的であり、また道徳規範の遵守ともなり、生存条件でさえあることを明確にした。
ところが個人の自由は日本の主要な価値観ではない。それゆえ外国から有能な人材を集めることが出来ない。
ー個人の自由・個人主義が徹底していないところに優秀な人材は集まらない。
・国防費の負担増
中国、韓国、北朝鮮との関係は和解しなければならないが、話し合いでの解決は容易ではない。
軍事的なオプションが必ず求められるであろう。その場合多大な費用負担を伴う。
ー国防費の負担増はその他の縮減を伴い国力低下になる。
ジャック・アタリは日本に対し悲観的である。日本はかって世界の中心になるチャンスがあったのに国を開放せず移民を受け入れなかったことなどのためそれを逃した。
近未来には世界の中心になる資格などなくむしろ凋落の一途をたどるだろう。
2011年1月中央大学における講演で21世紀の世界のシナリオで日本について少子化以外の要因も挙げて悲観的に言及している。
「第1段階はアメリカの相対的凋落だと言った。ヨーロッパは連邦化が進み上昇するが、日本は沈むだろう。
日本は国家債務が多すぎ、少子化に有効な手が打てず、政府は勇気ある増税策を取れないから、危機から脱するのは難しい。
しかしナノテクノロジー、バイオテクノロジー、ニューロサイエンス、情報技術といった、教育や医療に有効な技術的ポテンシャルを日本は持っている。その強みを生かせるかどうかだ。」
未来に希望がないわけではないが、日本の命運は半ば尽きたと言わんばかりの日本論である。
2017年8月7日月曜日
悲観大国ニッポン 1
調査会社エデルマン・インテリジェンスが2016年10月13日から11月16日にかけ28カ国で実施した国民の自国に対する信頼度調査で、日本は最下位であった。
プレスリリースでは具体的に他国と比較した内容について述べ結論として日本は将来に希望をもてない悲観大国であると断じている。
「日本の知識層における信頼度は回復しましたが、『自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっている』と答えた日本人回答者は、知識層31%、一般層17%で(グローバル平均:知識層62%、一般層:49%)、昨年に引き続き調査対象28カ国中最下位の結果となりました。
プレスリリースでは具体的に他国と比較した内容について述べ結論として日本は将来に希望をもてない悲観大国であると断じている。
「日本の知識層における信頼度は回復しましたが、『自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっている』と答えた日本人回答者は、知識層31%、一般層17%で(グローバル平均:知識層62%、一般層:49%)、昨年に引き続き調査対象28カ国中最下位の結果となりました。
さらには、『全体として、国は正しい方向に向かっている』と思っている日本人は全回答者の33%しかおらず(グローバル平均:50%)、英国(50%)や米国(51%)と比較しても、日本人はより将来に対して悲観的な国民であることが伺えます。
また、『子供たちは、私より良い人生を送れるだろう』と思っている日本人回答者は29%で、英国の43%、米国の58%と比較しても、またグローバル平均の55%と比較しても、日本人は将来に対して希望を抱いていない国民であり、引き続き「悲観大国」であることが明らかになりました。」
(エデルマン・ジャパン(株)2017年2月7日プレスリリース『日本は悲観大国を脱することができるのか?』)
この調査結果についてはエデルマン・ジャパン社長ロス・ローブリーもコメントしている。
「相対的に見ると、日本人は現在、他の諸外国に比べれば、そこまで社会システムに不信感を持っておらず、様々な社会問題に対しても、不安や恐れのレベルはそれほど高くないように思われます。
日本の知識層の自国に対する信頼度が大幅に上昇したのも、ブレグジットやトランプ現象に比べれば、日本は平和だと思った結果なのかもしれません。
しかし、日本における信頼の格差(注:知識層と一般層の格差)が調査史上初めて明らかになり、また、将来に対して最も不安を抱えているのは日本人であるという事実は受け止めなければなりません。」
また、『子供たちは、私より良い人生を送れるだろう』と思っている日本人回答者は29%で、英国の43%、米国の58%と比較しても、またグローバル平均の55%と比較しても、日本人は将来に対して希望を抱いていない国民であり、引き続き「悲観大国」であることが明らかになりました。」
(エデルマン・ジャパン(株)2017年2月7日プレスリリース『日本は悲観大国を脱することができるのか?』)
この調査結果についてはエデルマン・ジャパン社長ロス・ローブリーもコメントしている。
「相対的に見ると、日本人は現在、他の諸外国に比べれば、そこまで社会システムに不信感を持っておらず、様々な社会問題に対しても、不安や恐れのレベルはそれほど高くないように思われます。
日本の知識層の自国に対する信頼度が大幅に上昇したのも、ブレグジットやトランプ現象に比べれば、日本は平和だと思った結果なのかもしれません。
しかし、日本における信頼の格差(注:知識層と一般層の格差)が調査史上初めて明らかになり、また、将来に対して最も不安を抱えているのは日本人であるという事実は受け止めなければなりません。」
日本人は悲観的である。悲観論が好きとも言われる。日本に生活の拠点を移してから約30年経つというドイツ人エコノミストのイェスパー・コール氏は自著『本当は世界がうらやむ最強の日本経済』で、「日本の文化や生活スタイルにだいぶ馴染んだつもりです。ただ、いまでも理解しがたいことが一つあります。日本人はどうしてこんなに悲観論がすきなのか!」と不思議がっている。
日本人は貯蓄好き、保険好きともいわれる。これは将来に対し不安を抱いているからだろう。ラテン系の人たちのように楽観的でないことはたしかだ。
悲観主義は日本の文化なのかもしれない。日本人は自分や家族あるいは身内については自慢しないし、そういうことははしたないことだと教わっている。
自慢する人がたまにいてもそういう人はなんとなく違和感をもたれる。
ものごとを悲観的に話すほうが知的と受けとられる。テレビのコメンテータは深刻な面持ちで悲観論を展開すれば高額なギャラを受け取ることが出来る。その背景に視聴者の悲観論好きがあるからである。
なぜ日本人はこうまで悲観的なのか、一度立ち止まって考えてみたい。
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