3月15日安部首相はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉への参加を正式に表明した。国論が二分している中での交渉参加表明である。
一旦参加表明したからには簡単に引き返せるとは思えない。安部首相は既にルビコン河を渡ってしまったのかもしれない。
まず、TPPのAPECに占める割合と日米の割合、TPPのメリット、デメリット及び自民党の交渉参加の判断基準を見てみよう。
1 APEC全体のGDPにTPP交渉参加国が占める割合
TPP交渉参加国: 70.7%(日本参加前55.2%)
その他のAPEC参加国・地域: 29.3%(日本参加前44.8%)
日本参加によるTPPの日米の比率: 80.3% (出典 IMF World Economic Outlook Database)
2 TPP協定のメリット及びデメリットとして指摘される点(例)
2-1 TPP協定のメリット
(1) アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)へのステップとなる。
(2) TPP協定参加国間で互いの関税をなくしていくことで、貿易が盛んになる。
(3) 日本の製品がTPP協定参加国の国内製品と差別されないようになる。
(4) 日本の技術やブランドが守られるようになる。
(5) 日本企業が行った投資がTPP協定参加国において不当な扱いを受けないようになる。
(6) 貿易の手続きやビジネスマンの入管手続きを簡単にすることで、中小企業も海外で活動をしやすくなる。
2-2 TPP協定のデメリット
(1) 原則として即時に全品目の関税の撤廃が求められ、その結果、農業の衰退や自給率の低下を招くのではない
か。
(2) 安全ではない食品が増加したり、食品の安全基準が緩和されるのではないか。
(3) 公的な医療保険を受けられる範囲が縮小されてしまうのではないか。
(4) 質の低い外国人専門家(医師・弁護士等)や単純労働者が大量に流入するのではないか。
(5) 地方の公共事業が海外の企業にも一層開放されることで、海外の企業に取られてしまうのではないか。
(6) 外国人の投資家が訴えることで、日本の国内制度を変更させられるなど、国家主権にも影響が及ぶのではない
か。(ISDS制度) (出典:地域シンポジウムで配布された内閣官房作成資料)
3 自民党のTPP交渉参加の判断基準
(1) 政府が、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉参加に反対する。
(2) 自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない。
(3) 国民皆保険制度を守る。
(4) 食の安全安心の基準を守る。
(5) 国の主権を損なうようなISD条項は合意しない。
(6) 政府調達・金融サービス等は、わが国の特性を踏まえる。
TPPは日本が交渉参加すれば、APECに占める割合が圧倒的となり、TPPは実質日米EPAに近い。
安部首相は、自民党の6条件のうちの第1項目がクリアされたとの理由で交渉参加を表明した。
その他の条件は、交渉で勝ち取る、これが敵わなければ交渉を辞退するといっている。
はたして、上記のようにTPP参加国のなかでGDPの比率が高く存在感ある日本が、一旦交渉参加表明した後、主張が通らなかったという理由で辞退できるのだろうか。
TPP交渉参加国は本年10月に成案を得る計画である。日本がTPP交渉に正式参加できるのは、米政府が議会に通知してから90日後というルールがあるため、日本が交渉のテーブルに参加できるのはTPPのスケジュール上僅か1回のみという可能性が高い。
この1回だけの交渉で先行する参加国に日本の主張を認めさせ覆させることができるのか。そんなことができる交渉能力があるのか。
ともあれ、激しく国論が二分する中、日本の首相は、交渉参加を決断した。国内の賛成派も反対派も、舌鋒鋭く相手を攻撃し議論が収まる気配がない。
しかもそれぞれ理路整然と自論を展開しているので、はたしてどちらが国益に適うのかなかなか一概に決めかね迷うばかりである。面倒だから、エイヤーとサイコロでも振って決めたくなる。
しかし、ことが、参加するにしろ、辞退するにしろ、日本に与える影響は大きいのでそんなことはいっておれない。
否、むしろこういう時こそ国民一人ひとりにポリティカル・リテラシーを求められる時ではないか。
これにより日本の今後の進路がきまり、国のかたちが変わる程の影響があるかもしれないと思えばなおさらそうである。。
次稿で、判断の糧として、TPPの背景を探りたい。
2013年3月18日月曜日
領土問題 4
尖閣諸島は歴史的にも法的にもわが国の領土であるが、中国の主張は真逆で、尖閣諸島は中国の核心的利益で、同諸島の領有を国家の方針としている。
日本のとり得る選択肢は、領土問題など存在しないという日本の立場を貫き通す以外にない。
が、これには、国としての覚悟がなければ完遂できない。
国としての覚悟ないまま、中国と対峙してもますます泥沼に嵌るだけであろう。
日本の立場を貫き通す上で唯一障壁となるものは、紛争から戦争へと発展する事態をなにがなんでも回避しようとする政策を全てに優先させるあまり中国に対して譲歩、妥協することである。理想的平和主義ほどやっかいなものはない。
日本は敗戦後、長きにわたり平和を享受してきた。もう戦争はいやだ、二度と戦争などしたくないという思いは広く国民に骨の髄まで根づいている。今の日本で、好戦的な発言でもしようものならその人はまず頭がおかしい変なやつだと思われ相手にもされない。政治家なら、次の選挙で落選確実だ。
誰しも平和を望まない国民はいない。平和を願い不戦を宣言し、これを憲法で規定することだけで平和が達成されるのであれば、これにこしたことはない。
しかし、歴史は証明する。そんなことで平和が達成されるなど、夢のまた夢であることを。
いってみれば、台風はいやだから、法律で上陸するのを禁止するようなものだ。そんなルールなど、国際社会で通用する筈がない。
1938年9月イギリス首相チェンバレンは、ミュンヘン会談で、ドイツのヒトラーの要求を全面的に認め、チェコ有数の工業地帯ズデーデン地方をドイツの領土とした。条件として、ドイツはこれ以上のいかなる領土の要求をしないと確約する文書に署名した。
チェンバレンは帰国後の空港で、この文書を誇らしげに掲げ、これで戦争が回避されヨーロッパに平和が訪れたと宣言した。
この平和は半年ももたず、ヒトラーはチェンバレンとの誓約を嘲笑うかのように、チェコ本国、ポーランドへと侵攻していった。
当時財務大臣であったチャーチルは、最も強行にチェンバレンの宥和政策に反対していた。
が、当時のイギリス国民は厭戦気分が強く、チャーチルなど戦争屋とみなされ、国民の支持はなかった。
チャーチルは第二次世界大戦回顧録で述懐している。
「第二次世界大戦は防ぐことができた、宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と。
平和を願わない国民はいないが、現実は、この国民の願いとは別のものになってしまうというのが歴史の鉄則だ。
個人について成立する命題が、全体にと。ついても成立するとは限らないという社会学の法則がここでも当て嵌まる。
平和について、この1938年当時のイギリス社会は、格好の事例となった。
個人がいくら平和を願ったとしても、国家としての意思には反映されない。否、意思に反映しても結果は個人の願いとは異なってしまう。
当時は、イギリスのみならず、ヨーロッパ全体に厭戦気分が充満していた。平和主義者があふれ、戦争に結びつく言動などもってのほかであった。平和の達成があらゆるものに優先された。
その結果、チャーチルが言ったように、やらなくともよかったかもしれない戦争を招いてしまった。皮肉なことに、平和主義者が戦争を引き起こしたといっても過言ではない。
以上の事柄を弁えた上で現下の尖閣諸島問題も考えなければならない。
不戦を宣言し、平和憲法を有するわが国は、1938年当時のヨーロッパ社会以上に平和を愛し、厭戦気分が漲っている。
戦争などとんでもない。戦争を避けるためとあらば、どんなことでも受け入れかねない。こんな空気がある。
現に、領土的野心をもった隣国がこんな空気を感じているからこそ、野心をむき出しにしている。
中国の圧倒的人口と年々拡大する軍備費、少数の指導者による計画的な権益拡大作戦、これらを露骨に見せ付けられると平和に浮かれた日本はなすすべなく右往左往するばかりである。
国防をひたすら米軍に頼り、自らを防衛する気概がないかのようだ。
しかし、こういう時こそ歴史の教訓に従がわなければならない。
戦争を避けることをあらゆるものに優先させることだけは避けなければならないという歴史の教訓に。
尖閣諸島問題で日本のとり得る選択肢は、冒頭に述べたとおり、領土問題は存在しないという立場を貫く以外にない。
仮に、将来、アメリカなりロシアの仲介で、紛争を避ける唯一の手段として、尖閣諸島を日中の共同管理とする提案を受け入れるなどの事態が発生すれば、かなり危険だ。
それは領土損失という失敗以上の、紛争拡大という失策に他ならない。
そのような妥協で得られるものは一時的な平穏のみである。繰り返し強調したい、戦争を避けるための妥協は、最終的に意図することとは反対の結果を招く。
とくに、相手が、軍事拡張にひた走り、領土的野心を隠そうともしない一党独裁国家の中国相手の場合にはそうである。領土問題は、単に資源や経済の問題ではなく、それ以上に安全保障の問題である。
平和を願うことと、平和を勝ち取ることは全く別のものである。
平和を祈念すればするほど平和から遠ざかる。残念ながら、これが歴史の冷酷な事実である。
事実から目をそらしても何の解決にもならない。
日本のとり得る選択肢は、領土問題など存在しないという日本の立場を貫き通す以外にない。
が、これには、国としての覚悟がなければ完遂できない。
国としての覚悟ないまま、中国と対峙してもますます泥沼に嵌るだけであろう。
日本の立場を貫き通す上で唯一障壁となるものは、紛争から戦争へと発展する事態をなにがなんでも回避しようとする政策を全てに優先させるあまり中国に対して譲歩、妥協することである。理想的平和主義ほどやっかいなものはない。
日本は敗戦後、長きにわたり平和を享受してきた。もう戦争はいやだ、二度と戦争などしたくないという思いは広く国民に骨の髄まで根づいている。今の日本で、好戦的な発言でもしようものならその人はまず頭がおかしい変なやつだと思われ相手にもされない。政治家なら、次の選挙で落選確実だ。
誰しも平和を望まない国民はいない。平和を願い不戦を宣言し、これを憲法で規定することだけで平和が達成されるのであれば、これにこしたことはない。
しかし、歴史は証明する。そんなことで平和が達成されるなど、夢のまた夢であることを。
いってみれば、台風はいやだから、法律で上陸するのを禁止するようなものだ。そんなルールなど、国際社会で通用する筈がない。
1938年9月イギリス首相チェンバレンは、ミュンヘン会談で、ドイツのヒトラーの要求を全面的に認め、チェコ有数の工業地帯ズデーデン地方をドイツの領土とした。条件として、ドイツはこれ以上のいかなる領土の要求をしないと確約する文書に署名した。
チェンバレンは帰国後の空港で、この文書を誇らしげに掲げ、これで戦争が回避されヨーロッパに平和が訪れたと宣言した。
この平和は半年ももたず、ヒトラーはチェンバレンとの誓約を嘲笑うかのように、チェコ本国、ポーランドへと侵攻していった。
当時財務大臣であったチャーチルは、最も強行にチェンバレンの宥和政策に反対していた。
が、当時のイギリス国民は厭戦気分が強く、チャーチルなど戦争屋とみなされ、国民の支持はなかった。
チャーチルは第二次世界大戦回顧録で述懐している。
「第二次世界大戦は防ぐことができた、宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と。
平和を願わない国民はいないが、現実は、この国民の願いとは別のものになってしまうというのが歴史の鉄則だ。
個人について成立する命題が、全体にと。ついても成立するとは限らないという社会学の法則がここでも当て嵌まる。
平和について、この1938年当時のイギリス社会は、格好の事例となった。
個人がいくら平和を願ったとしても、国家としての意思には反映されない。否、意思に反映しても結果は個人の願いとは異なってしまう。
当時は、イギリスのみならず、ヨーロッパ全体に厭戦気分が充満していた。平和主義者があふれ、戦争に結びつく言動などもってのほかであった。平和の達成があらゆるものに優先された。
その結果、チャーチルが言ったように、やらなくともよかったかもしれない戦争を招いてしまった。皮肉なことに、平和主義者が戦争を引き起こしたといっても過言ではない。
以上の事柄を弁えた上で現下の尖閣諸島問題も考えなければならない。
不戦を宣言し、平和憲法を有するわが国は、1938年当時のヨーロッパ社会以上に平和を愛し、厭戦気分が漲っている。
戦争などとんでもない。戦争を避けるためとあらば、どんなことでも受け入れかねない。こんな空気がある。
現に、領土的野心をもった隣国がこんな空気を感じているからこそ、野心をむき出しにしている。
中国の圧倒的人口と年々拡大する軍備費、少数の指導者による計画的な権益拡大作戦、これらを露骨に見せ付けられると平和に浮かれた日本はなすすべなく右往左往するばかりである。
国防をひたすら米軍に頼り、自らを防衛する気概がないかのようだ。
しかし、こういう時こそ歴史の教訓に従がわなければならない。
戦争を避けることをあらゆるものに優先させることだけは避けなければならないという歴史の教訓に。
尖閣諸島問題で日本のとり得る選択肢は、冒頭に述べたとおり、領土問題は存在しないという立場を貫く以外にない。
仮に、将来、アメリカなりロシアの仲介で、紛争を避ける唯一の手段として、尖閣諸島を日中の共同管理とする提案を受け入れるなどの事態が発生すれば、かなり危険だ。
それは領土損失という失敗以上の、紛争拡大という失策に他ならない。
そのような妥協で得られるものは一時的な平穏のみである。繰り返し強調したい、戦争を避けるための妥協は、最終的に意図することとは反対の結果を招く。
とくに、相手が、軍事拡張にひた走り、領土的野心を隠そうともしない一党独裁国家の中国相手の場合にはそうである。領土問題は、単に資源や経済の問題ではなく、それ以上に安全保障の問題である。
平和を願うことと、平和を勝ち取ることは全く別のものである。
平和を祈念すればするほど平和から遠ざかる。残念ながら、これが歴史の冷酷な事実である。
事実から目をそらしても何の解決にもならない。
2013年3月11日月曜日
領土問題 3
前稿では、中国の政治体制と人民の行動様式について検討してきた。これを腑にしっかりと落とし込んでおき、つぎに現実に日本の脅威となっている中国の軍事力について検討したい。
清王朝以前の中国は、西欧列強諸国によって、その潜在的強大さによって眠れる獅子として畏怖されていた。日清戦争以後その評価は覆り、帝国主義諸国の進出の場となった。さらに第二次世界大戦以降はかっての眠れる獅子がすっかり目覚め、新たな脅威となりつつある。
中国は1992年2月に領海法(中華人民共和国領海及び隣接区域法)を制定し、南シナ海、東シナ海を自国領とした。この領海法を根拠に、国家海洋権益を断固守り海洋強国を建設すると宣言した。領海法は中国の国内法である。国際的に誰も認めていない。つまり中国は人の領土を勝手に自国の領土と法律に定め、これを断固守ると宣言したのである。
2007年5月はじめて中国を訪問した当時のキーティング米太平洋軍司令官に対し、中国海軍の高官が、太平洋を分割し、ハワイより東をアメリカ、西を中国が管理してはどうかと真顔で打診されたと上院軍事委員会の公聴会で証言している。
フィリピン、台湾、尖閣諸島を含む東南アジアの海は、友愛の海どころか騒乱の海となってしまった。
下図は、アジア太平洋地域の各国の兵力を示すが、中国が突出しているのがわかる。
(平成24年版防衛白書から)
かって中国軍は物量的に日本に優っていても質的には劣勢だと見られていたが、近年その差は急速に縮小しているようだ、主力戦闘機に至っては、自衛隊のF-15と中国軍スホーイSu30MKKの比較ではSu-30MKKのほうが優位という専門家もいるほどだ。
2013年の中国の国防予算は前年度比10.7%増の約11兆1千億円で日本の2倍を越える。
しかもこれは公表分だけである。中国の軍事費は不透明で、実態は憶測の域をでない。このペースで中国の軍事力が拡大していったら、西太平洋は遠からず中国の内海になってしまうかもしれない。
中国軍とくに中国海軍は、歴史が浅く、経験を要する海軍の戦力としては未だ日米に遅れをとっているという論調が目立つ。
事実そうかもしれないが、弾道ミサイル、宇宙兵器などは、現時点においてさえ、日本のみならずアメリカにとっても脅威となっている。
およそ戦いに際し、相手をいたずらに過大評価するのは、問題かもしれないが、過小評価することほど危険なことはない。
特に対中国関係のおいてはそうである。何故なら、わが国においては、日清戦争、支那事変の記憶がそう遠くないだけに、中国を過小評価しがちであることは否めないからだ。
相手の過小評価は間違いなく失策の元である。胸に刻み込んでおきべきことだ。
以上で、尖閣諸島で対峙する中国が如何なる国であるか、また国家としてなにを目指しているのかおおよそのことは分かったので、次稿でわが国が中国とどうむきあうべきかを考えたい。
清王朝以前の中国は、西欧列強諸国によって、その潜在的強大さによって眠れる獅子として畏怖されていた。日清戦争以後その評価は覆り、帝国主義諸国の進出の場となった。さらに第二次世界大戦以降はかっての眠れる獅子がすっかり目覚め、新たな脅威となりつつある。
中国は1992年2月に領海法(中華人民共和国領海及び隣接区域法)を制定し、南シナ海、東シナ海を自国領とした。この領海法を根拠に、国家海洋権益を断固守り海洋強国を建設すると宣言した。領海法は中国の国内法である。国際的に誰も認めていない。つまり中国は人の領土を勝手に自国の領土と法律に定め、これを断固守ると宣言したのである。
2007年5月はじめて中国を訪問した当時のキーティング米太平洋軍司令官に対し、中国海軍の高官が、太平洋を分割し、ハワイより東をアメリカ、西を中国が管理してはどうかと真顔で打診されたと上院軍事委員会の公聴会で証言している。
フィリピン、台湾、尖閣諸島を含む東南アジアの海は、友愛の海どころか騒乱の海となってしまった。
下図は、アジア太平洋地域の各国の兵力を示すが、中国が突出しているのがわかる。
(平成24年版防衛白書から)
かって中国軍は物量的に日本に優っていても質的には劣勢だと見られていたが、近年その差は急速に縮小しているようだ、主力戦闘機に至っては、自衛隊のF-15と中国軍スホーイSu30MKKの比較ではSu-30MKKのほうが優位という専門家もいるほどだ。
2013年の中国の国防予算は前年度比10.7%増の約11兆1千億円で日本の2倍を越える。
しかもこれは公表分だけである。中国の軍事費は不透明で、実態は憶測の域をでない。このペースで中国の軍事力が拡大していったら、西太平洋は遠からず中国の内海になってしまうかもしれない。
中国軍とくに中国海軍は、歴史が浅く、経験を要する海軍の戦力としては未だ日米に遅れをとっているという論調が目立つ。
事実そうかもしれないが、弾道ミサイル、宇宙兵器などは、現時点においてさえ、日本のみならずアメリカにとっても脅威となっている。
およそ戦いに際し、相手をいたずらに過大評価するのは、問題かもしれないが、過小評価することほど危険なことはない。
特に対中国関係のおいてはそうである。何故なら、わが国においては、日清戦争、支那事変の記憶がそう遠くないだけに、中国を過小評価しがちであることは否めないからだ。
相手の過小評価は間違いなく失策の元である。胸に刻み込んでおきべきことだ。
以上で、尖閣諸島で対峙する中国が如何なる国であるか、また国家としてなにを目指しているのかおおよそのことは分かったので、次稿でわが国が中国とどうむきあうべきかを考えたい。
2013年3月4日月曜日
領土問題 2
緊迫する尖閣諸島の領有権問題で、対峙する中国と向き合うには、中国をよく知らなければならない。
まず、中国共産党の組織を見てみよう。
政治局常務委員 7人 (総書記・国家主席 首相、全人代常務委員長ら)
政治局員 25人 (地方の書記ら)
中央委員・候補 376人
党大会代表 2270人
党員 8260万人 (2012年11月時点)
中国は、人口13億5千万人のうち、約6%が共産党員で、そのうちわずか7人による指導体制である。
中国は共産党という官僚組織によって運営されている国家である。
官僚組織は、管理者によって定められた規則に準拠して運営される。その特徴は、非合理的なものを一切排除する。教育と登用試験によって専門家を育成する。規則にもとずき処理する。
そこには我々が考える国民主権にもとずく民主主義の思想は一切入りこむ余地はない。
マックス・ウエーバーが定義するビューロクラシーは、権限・階層(ヒエラルキー)・専門性の原則にもとずき、これらが文書主義によって、機械のように機能する組織である。
彼は論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後でビューロクラシーについて、警告を発している。
「精神のない専門人、心情のない享楽人、。この無のものは、人間性のかって達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。
マックス・ウエーバーの警告は中国共産党において現実となりつつある。
次に、中国の行動様式を正しく理解しなければならない。この理解を間違えると、その後の対処の仕方が不適切になる。中国は共産党一党支配によって成り立っている。その他の政党は認められていない。
中国共産党規約 総綱では、「党の最高の理想と最終の目標は共産主義を実現することである。中国共産党はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と「三つの代表」という重要な思想をみずからの行動の指針とする。」とある。
三つの代表とは、江沢民が2000年に発表した思想で、
中国共産党規約 総綱で一貫している主張は共産党指導による社会主義の実現である。
以上を国是としているのが中国という国家である。我々はこのことを腑に落とし込んでおかなければならない。
中国の指導者がたびたび口にする”核心的利益”なるものの思想的背景はこの行動指針にもとずくものであろう。
我々は、ともすると自国の基準で、他国も判断しがちだが、この中国共産党規約 総綱をみるかぎり日本の基準など比較対象にもならない。
我々は、現実に、かかる組織をもち、かかる行動様式をとる国家と対峙している。
かかるユニークな国家と向き合うには一体どうしたらいいのか。他に、参考となりうる多少なりとも類似の組織・機能集団はないものか。
思いあたる節がないではない。唐突かもしれないが、先の大戦時の日本の陸軍および海軍である。
組織の理論があらゆるものに優先し、それに歯止めをかける装置が欠如している。統帥権に守られて事実上、国民国家から独立した組織となっている。そこには、国民の意思より、組織の論理が優先され、すべての事案がこれにもとずいて冷徹に決裁される。これらは、組織の運営という視点で見れば、中国共産党にも共通点を見出せる。
中国を理解し、対峙するには、意外と、これら日本国民に馴染みのある組織に隠されたヒントがあるかも知れない。
まず、中国共産党の組織を見てみよう。
政治局常務委員 7人 (総書記・国家主席 首相、全人代常務委員長ら)
政治局員 25人 (地方の書記ら)
中央委員・候補 376人
党大会代表 2270人
党員 8260万人 (2012年11月時点)
中国は、人口13億5千万人のうち、約6%が共産党員で、そのうちわずか7人による指導体制である。
中国は共産党という官僚組織によって運営されている国家である。
官僚組織は、管理者によって定められた規則に準拠して運営される。その特徴は、非合理的なものを一切排除する。教育と登用試験によって専門家を育成する。規則にもとずき処理する。
そこには我々が考える国民主権にもとずく民主主義の思想は一切入りこむ余地はない。
マックス・ウエーバーが定義するビューロクラシーは、権限・階層(ヒエラルキー)・専門性の原則にもとずき、これらが文書主義によって、機械のように機能する組織である。
彼は論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後でビューロクラシーについて、警告を発している。
「精神のない専門人、心情のない享楽人、。この無のものは、人間性のかって達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。
マックス・ウエーバーの警告は中国共産党において現実となりつつある。
次に、中国の行動様式を正しく理解しなければならない。この理解を間違えると、その後の対処の仕方が不適切になる。中国は共産党一党支配によって成り立っている。その他の政党は認められていない。
中国共産党規約 総綱では、「党の最高の理想と最終の目標は共産主義を実現することである。中国共産党はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と「三つの代表」という重要な思想をみずからの行動の指針とする。」とある。
三つの代表とは、江沢民が2000年に発表した思想で、
先進的な社会生産力の発展の要求先進的文化の前進の方向最も広範な人民の根本的利益以上の三つからなっており、いまなお中国共産党の理論の根幹である。
中国共産党規約 総綱で一貫している主張は共産党指導による社会主義の実現である。
以上を国是としているのが中国という国家である。我々はこのことを腑に落とし込んでおかなければならない。
中国の指導者がたびたび口にする”核心的利益”なるものの思想的背景はこの行動指針にもとずくものであろう。
我々は、ともすると自国の基準で、他国も判断しがちだが、この中国共産党規約 総綱をみるかぎり日本の基準など比較対象にもならない。
我々は、現実に、かかる組織をもち、かかる行動様式をとる国家と対峙している。
かかるユニークな国家と向き合うには一体どうしたらいいのか。他に、参考となりうる多少なりとも類似の組織・機能集団はないものか。
思いあたる節がないではない。唐突かもしれないが、先の大戦時の日本の陸軍および海軍である。
組織の理論があらゆるものに優先し、それに歯止めをかける装置が欠如している。統帥権に守られて事実上、国民国家から独立した組織となっている。そこには、国民の意思より、組織の論理が優先され、すべての事案がこれにもとずいて冷徹に決裁される。これらは、組織の運営という視点で見れば、中国共産党にも共通点を見出せる。
中国を理解し、対峙するには、意外と、これら日本国民に馴染みのある組織に隠されたヒントがあるかも知れない。
かって毛沢東はいった「核戦争になっても構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半分が残る。中国の人口は6億だが半分が消えても3億がいる。われわれは一体なにを恐れるのだろうか」
中国を理解するのは容易ではない。現代中国の指導者が毛沢東の思想をどう受け継いでいるのか知る由もない。
が、尖閣諸島をめぐる紛争で、我々が逡巡している時間的余裕はない。知り得る限りの知識で対処する他ない。